アラビア半島を渡った人類

 われわれヒト(現生人類)は今から約12万年前にアフリカからアラビア半島に渡っていたことが分かった。今回、英国やアラブ首長国連邦など5カ国の研究者による合同調査で突き止めた。1月28日の米科学誌サイエンス電子版に発表された。

 これまでの研究で、現生人類はアフリカで誕生し、二つのルートで勢力を広げたことが分かっている。ナイル川周辺を通ってヨーロッパへ移動した北ルートと、アラビア半島を経て東南アジアへと広がる南ルートだ。南ルートの移動がいつごろから始まったのか、これまではっきりしていなかった。

 調査チームは、アラブ首長国連邦のジェベル・ファヤ遺跡を2003年から10年にかけて調べた。出土した石器の特徴や地層を分析した結果、アフリカで出現した現生人類の遺跡と似ており、約12万年前にアフリカから南ルートのアラビア半島に渡っていた、と結論づけた。

 名古屋大学博物館の門脇誠二助教(先史考古学)は「南ルートの移動が始まった時期が分かったのは画期的だ。この時期に移住した現生人類が、このまま継続してアジアやオセアニア地域に広がっていったのかどうかは、さらに調査が必要だろう」と話している。(asahi.com 2011年1月28日 竹石涼子)

  出アフリカは定説より早かった?               
 初期現生人類の出アフリカ時期が定説より2万年早まるかもしれない。アラビア半島の太古の石器を発掘した研究者が発表した。ドイツのテュービンゲン大学を退職した植物考古学者で、研究共著者のハンス・ペーター・ユルプマン(Hans-Peter Uerpmann)氏は、1月26日の記者会見で次のように話している。「出アフリカは文化面の発達が後押ししたと考えられてきたが、どうやら環境変化が主な要因のようだ」。

 初期人類は約6万年前、ナイル渓谷や現在のエチオピア経由でアフリカを出たと考えられてきた。しかし太古の石器の発見により、現在のソマリアあたり、いわゆる“アフリカの角”から直接半島へ渡った可能性が出てきた。しかも、道具はアフリカ独特のデザインが施されているという。

 太古の石器類は、アラブ首長国連邦のジャベル・フェイ(Jebel Faya)遺跡で2003年から2010年にかけ発見された。手斧など一部の道具は、以前は初期アフリカだけで見られた両面加工が施されているという。年代特定にはルミネセンス法を用い、石器に付着した砂粒の自然発生放射線を測定した。

 しかし、「人類移動の歴史が書き換えられたわけではない」という。同時期の石器が以前にイスラエルで見つかっているからだ。このため、中東への移動時期が早まる可能性は前々から示唆されていた。

 また、中東への最初の移住者がわれわれの祖先である証拠もない。遺伝子もろとも既に死滅している可能性がある。ウェルズ氏のDNA調査によると、現生人類の起源は6万年前のアフリカにさかのぼる。「両者は容姿も似ていただろうし、それほど遠縁ではなかったと思う」と同氏は述べている。(National Geographic News January 28, 2011)

 アフリカ単一起源説とは?
 アフリカ単一起源説とは、ミトコンドリアDNAのハプログループの分布から推定した人類伝播のルートおよび年代自然人類学におけるアフリカ単一起源説とは、地球上のヒトの祖先はアフリカで誕生し、その後世界中に伝播していったとする学説。対立する説に、ジャワ原人・北京原人・ネアンデルタール人などが各地域で現生のヒトに進化していったとする多地域進化説がある。

 ただし、多地域進化説も時間を十分さかのぼればヒト科の誕生の地がアフリカであるという点で意見は一致しており、この二説の相違点は「現生人類の祖先はいつアフリカから出発したか」でもある。そのため両者を「新しい出アフリカ説」「古い出アフリカ説」と呼ぶこともある。 分子系統解析の進展(いわゆるミトコンドリア・イブやY染色体アダムなど)によって、人類は14~20万年前に共通の祖先を持つことがわかり、これはアフリカ単一起源説(新しい出アフリカ説)を強く支持するものである。

 では、人類はいつから誕生し、いつから2足歩行し、いつから道具を使うようになったのだろう?

 ヒト(人類)の誕生
 ヒト(人類)の祖先が、チンパンジー・ボノボの祖先と別れたのは600万年前~700万年前くらいらしい。では、ヒトとは何か。これも生命とは何かと同じく難しい問いである。脳が発達して道具を使うことができる(チンパンジーやオランウータンも道具を使う)、複雑な言語体系がある、火を使用するなどのほか、他の類人猿にはみられない大きな特徴は、直立二本足歩行をすることであろう。犬歯が発達していないという特徴もある。

 どうしてサルから別れたのかもよくわからないが、アフリカの乾燥化に伴い、森林の縮小、サバンナの拡大ということが背景にあるのであろう。すなわち、森林生活からサバンナでの生活へと、生活環境を変えざるを得なかったのかもしれない。

 360万年前のタンザニアのラエトリ遺跡には二本足歩行のはっきりとした足跡の化石が残っている。当時はまだ脳の容量もチンパンジー程度、長い腕と短い足といったチンパンジー的な特徴も持っていた。大きさも110cm~140cmとチンパンジーなみである。それより以前、450万年前~430万年前のラミダス猿人がすでに2本足歩行していたという。

 ヒト(人類)の進化と拡散
 大きな流れは、猿人(アウストラロピテクス)→原人(ホモ・エレクトス)→旧人(ホモ・ネアンデルターレンシスなど)→新人(ホモ・サピエンス)であろう。

 だが、化石人類にはいろいろな種類がある。それらのほとんどは、現生人類にはつながらない、子孫を残さずに絶滅してしまった種のようである。不思議なことに、こうした様々な人類はアフリカで誕生して、世界に散らばっていったらしい。なぜアフリカだけが、新しい人類発祥の地になるのかはわからない。ジャワ原人、北京原人などはアフリカに起源を持ち、アジアに進出して絶滅したホモ・エレクトスの一種で、彼らが現在のインドネシア人、中国人の祖先というわけではない。

 アウストラロピテクスは、脳の容量は現在の人類の1/3程度、身長も110cm~150cmとチンパンジーなみである。後期のアウストラロピテクスは常時かどうかはわからないが、2本足歩行ができたことは、ラエトリ遺跡の足跡化石などから確実である。有名なルーシーもアウストラロピテクスの一種に属する。

 ホモ・サピエンスの誕生
 最初のホモ属がいつころ登場したかもよくわからない。どの人類化石をホモ属と認定するかにもかかっている。ホモ・ハビリスが確かにホモ属だとすると、200万年以上前にはホモ属がいたことになる。

 ホモ・エレクトスは180万年前ころに登場する。これが真正のホモ属である。その起源はよくわからないが、ルーシーがその一員であったアウストラロピテクス・アファレンシスから出てきたという説が強い。ホモ・エレクトスになってはじめて人類はアフリカを出て(第1回目の出アフリカ)、アジアでも繁栄した。上に書いたジャワ原人や北京原人たちである。ジャワ原人はほんの数万年前まで生存していたという説もある。一方ヨーロッパのエレクトスは、ホモ・ハイデルベルゲンシスとなる。初期のホモ・エレクトスの脳容量は750mL~800mL程度であるが、後期には1100mL~1200mLにまで大きくなっている。

 旧人は、現在の人類ではないが、ホモ・エレクトスよりは進化している化石人類である。ホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)などが属する。ホモ・ネアンデルターレンシスは、数万年前までは生存していた地域がある。その場所では、現生人類(新人、ホモ・サピエンス)も同時にいた可能性が高い。二つの人類の関係、友好関係か敵対関係か、または完全に無視し合っていたのかかはわからない。

 現在のホモ・サピエンスも10万年ほど前にアフリカで誕生して、世界中に広がっていったようである(第2の出アフリカ)。つまり、現在の人類はアフリカに起源を持つ単一種ということになる。ヨーロッパ人が「発見する」よりも前、ホモ・サピエンスは南アメリカの南端、太平洋の島々を発見して、そこに住み着いていた。

 

参考HP Wikipedia「アフリカ単一起源説」・National Geographic news「人類の出アフリカは定説より早かった?
・山賀進 Web site「
人類の起源

出アフリカ記 人類の起源
クリス ストリンガー,ロビン マッキー
岩波書店
人類の足跡10万年全史
スティーヴン オッペンハイマー
草思社

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