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 中村修二氏の職務発明訴訟に高額判決!
 2004年1月、会社の職務発明に対する取扱いに関して、問題を提起した形の青色発光ダイオードの特許訴訟について、東京地裁から判決が出た。中村修二・米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授が、青色発光ダイオードの発明時代の古巣・日亜化学工業を相手に訴訟を起こしたものである。

 2004年、1月30日の東京地裁の判決は大手ハイテク企業に衝撃を与えた。その発明の対価は中村氏の請求通りの200億円との判決だ。日本では今までに類のない高額であった。

 中村氏が日亜化学を東京地裁に提訴したのは2001年8月である。これは特許権の帰属の問題や、権利を譲渡した場合の相当な対価の額について、問題を提起したものである。当初は相当な対価を20億円で請求していたが、その後100億円に拡張し、さらに200億円に拡張している。

Nakamura'sCase

 光の三原色(赤、緑、青)を発光するダイオードのうち、青色は最後の発光色としてその開発が凌ぎを削っていた。20世紀中の開発は困難とされていたが、日亜化学時代の中村氏は他社をリードして、この実用化に目処をつけたのである。

 この時の多くの発明は、職務発明として会社に譲渡されたとなっているが、当時の取扱いもあいまいであったこと、報奨金も2万円という額であり、ノーベル賞級の発明としては少なすぎることが争点になった。

 ところが、東京地裁より出された中間判決では、日亜化学の勝利であった。

 中間判決は会社側勝利
 2002年9月に中間判決。その判決は社員の職務発明の権利は会社側に帰属するというものであった。そして審議の焦点は特許法で定めるところの、職務発明の権利譲渡における発明者への相当の対価の額について移った。

 特許法では職務発明に対して第35条で次のように述べている。“従業者は、契約、勤務規則その他の定により、職務発明について使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ、又は使用者のため専用実施権を設定したときは、相当の対価の支払を受ける権利を有する”

 今回の判決では特許権の価値について定義している。特許権の価値は“特許の権利が存続する間に独占することで得られる利益”ということである。

 そして今回の発明はノーベル賞級の世界的発明といわれており、中村氏の貢献度を約50%とした。結果、独占の利益の約半分の604億円が中村氏への発明の対価としている。これにより中村氏は残り404億円の追加請求できることになる。(All about:木村 勝己 2004年2月1日)

 青色LED訴訟、日亜が8億4391万円支払いで和解
 2005年1月、青色LEDの発明対価をめぐる訴訟で、日亜と中村教授の和解が成立した。日亜の支払額は1審の200億円から大幅減額し、8億4391万円で決着。中村教授は「金額には全く納得していないが、研究開発の世界に戻る」とコメントしている。

 青色LEDの発明者である中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授が、発明当時在籍していた日亜化学工業に対し、発明の対価の一部として200億円の支払いを求めていた裁判の控訴審で1月11日、中村教授と同社との和解が東京高裁で成立した。同社が中村教授に8億4391万円を支払い、中村教授はその他の請求を放棄する。

 内訳は、発明対価が6億857万円、遅延損害金が2億3534万円。東京地裁は1審で(昨年1月)で、発明の対価を約604億3000万円と算定。中村教授の請求通り、同社に200億円を支払うよう命じていた(関連記事参照)が、和解金額はこれを大きく下回った。

 中村教授は「和解額には全く納得していないが、弁護士の助言に従って勧告を受け入れることにした。職務発明の譲渡対価問題のバトンを後続のランナー(一人一人の技術者)に引き継ぎ、本来の研究開発の世界に戻る」とコメントした。 

 日亜の小川英治社長は「当社の主張をほぼ裁判所に理解して頂けた。特に青色LED発明が一人でなく、多くの人々の努力・工夫の賜物である事を理解して頂けた点は、大きな成果と考える」とするコメントを発表した。 和解額は、味の素の人工甘味料「アスパルテーム」特許訴訟の1億5000万円を超え、発明対価をめぐる訴訟としては最高額。 (ITmedia 2005年01月11日)

 判決は出た。そして、和解にいたって一件落着となった。この事件は、研究者は研究するだけではなく、十分な権利を主張することも可能になったという点で、大きな意義がある。一方、8億4391万円という、額だけ見ると一研究者が、そこまで要求するのは行き過ぎではないか、というマイナスのイメージを研究者に抱いてしまうことだろう。

 そこでここでは、裁判判決に対する双方の言い分を振り返ってみたい。双方の主張は当然食い違っている。日経ものづくり2004年4月号から抜粋した。

 中村修二氏「特許ライセンス料50%なら満足」
 今回の判決で、相当の対価(以下,対価)のうち請求していた200億円が満額で受け入れられました。対価の総額は604億円以上。確かに高額ですが、それはたまたま市場規模が大きいというだけ。重要なのは、特許の使用者である会社に対する発明者、つまり従業員の配分率です。

 判決では「少なくとも50%は下回らない」という配分率が示されました。日亜化学工業も設備投資や研究開発費、私の留学費用などを負担しているので、これだけの配分率なら満足です。

 ただ、大変心配していることがあります。「巨額の対価の支払いは企業経営を破壊する」といった論調が産業界などに見られることです。

 確かに、前例のない「巨額の対価」です。しかし、「企業の活動はチームワークであり、発明者だけでなく、経営者や営業部門、マーケティング部門、間接部門の担当者など、数多くの人間の努力で成り立つもの。今回の判決のように、発明者ばかりが暴利をむさぼるのはけしからん」という意見は、完全な誤解です。

 なぜなら、発明の対価の対象は、あくまでも「超過利益」だから。つまり、従業員の「チームワーク」で稼ぎ出した通常の営業利益から奪い取るのではなく、対価は、その特許に対するライセンス料をベースに算定されるものだからです。

 日亜化学工業「真実を今こそ明らかにする」
 これまで誰に何を言われても黙ってきました。日亜化学工業は,ものづくりの会社。クライアントにより良い製品を届けることが仕事であり、それを一途に貫いていくことこそ、当社にとって重要なことだと信じていたからです。

 当社は全くうそなどついていませんから、黙っていても、専門家の方なら真実を分かってもらえると信じていました。裁判官の方なら正しい判決をしてくれると思っていたのです。ところが、意に反して「200億円」という巨額の対価の支払いを東京地裁から命じられて驚きました。

 そこでやっと悟ったのです。黙っていては本当のことは世間には伝わらないということに。そこで、当社のものづくりに対するまじめな姿勢をきっと理解してくれるであろう「日経ものづくり」に対して、まずは話をしようと思ったのです。

 中村氏は、当社で青色LEDの開発を提案した本人ということから、世間に対して当社の青色LED関連の発表をする窓口を務めていました。さらに、先述のようにファーストオーサーとして論文を発表してきました。学会に訪れた研究者たちは,その内容が実は日亜化学工業の多くの技術者たちが成し遂げたものではなく、中村氏が1人で実現したものだと思ってきたのです。そうした外部への発言が、彼を「スター」に祭り上げ、いつの間にか世の中は、中村氏が発言したことを鵜呑うのみにするようになってしまったのです。

 ものづくりは日々改善が必要で、3日もさぼればすぐに他社に追いつかれ、追い越されてしまいます。だから,中村氏が何を言おうが、相手にせずにものづくりに力を入れる方を当社は選んできました。その結果、世間からは「日亜はなんてひどい会社なんだ」などと思われてしまいました。このままではこれまで青色LEDや白色LEDの開発に尽力してきた当社の多くの技術者や研究者たちが、あまりにもかわいそうです。

 もちろん、中村氏の貢献も認めています。中村氏は404特許の発明で得た報奨は2万円しかないなどと言っているようですが、そんなことはありません。青色LEDを研究テーマに選んだのは彼であり、2年ほどで世界のトップ水準の結晶膜を日亜化学工業にもたらした貢献に対し、当社は中村氏にボーナスや昇給という形で報いてきました。1989年から11年間の合計で、同世代の一般社員よりも6195万円ほど上乗せして支給しました。45歳で中村氏が退職する際の給与所得は2000万円弱。決して少ない額ではないと思います。 

 実験室レベルの404特許
 まず主張したいのは、青色LEDの開発の経緯です。日亜化学工業では,1989年から青色LEDの開発をスタートさせました。そのとき先行していた、当時名古屋大学教授だった赤崎勇氏などの論文を検証する実験から始めました。サファイアの下地の上にGaN(窒化ガリウム)の良質な単結晶膜を世界で初めて作ったのが赤崎氏。これが高輝度青色LEDを作る際の基本的な結晶膜になるのです。ここに応用化技術を加えて、青色LEDの量産にこぎ着けることが、当社にとっての目標でした。

 つまり当社は、先行する「公知の技術」を学習して、これを基点に開発をスタートさせることにしました。既に存在する技術とはいえ、日亜化学工業にはそのリソースがなかったからです。そこに着手したのが中村氏でした。赤崎氏の成膜の方法は開示されていませんでしたが、結果として中村氏が2年ぐらいで赤崎氏が完成させた結晶膜のレベルに追い付いたのです。

 そのために中村氏が開発したのが、「ツーフローMOCVD(有機金属を使う化学的気相成長法)」を使ったGaNの成膜装置でした。要は、当社の社員だった中村氏が1990年に出願した特許第2628404号(404特許)の装置です。これにより、赤崎氏と同水準のGaNの良質な結晶膜を作製することができました。

 これをもって中村氏は「同装置がなければ(404特許を使わなければ)、コストかつ高輝度な青色LEDが作れない」と主張するのですが、それは大きな間違いです。

 当社から言わせれば、中村氏は実用化に向かう研究のための下地を作っただけ。既に世の中に存在していた、赤崎氏が生み出したものと同じ水準の試料を、違う方法で作ることができただけなのです。しかも、ツーフローMOCVD装置は効率が低過ぎて量産には使えませんでした。実験室レベルの装置だったのです。

 量産の鍵「アニール」
 量産までこぎ着けるには、この試料を基にさまざまな応用技術を投入することが必要でした。中でも、量産化に一番貢献した技術が「アニール」です。アニールとは「焼きなます」という意味で、こうしないと工業的に青色LEDは作れないのです。

 LEDではpn接合の半導体を作るために、n型の半導体(膜)とp型の膜とを組み合わせる必要があります。ところが、GaNはそのままではn型の膜にしかなりません。そのため、p型の膜をどうやって作るかが世界中の研究者の目標になっていました。一般の半導体はMg(マグネシウム)を不純物としてドーピングするとp型になります。しかし,GaNはMgをドーピングしてもp型にはならず、絶縁体になってしまいます。Mgに付いている水素がp型になることを妨げるからです。

 それをアニール、つまり600℃前後で加熱するとp型に変わること(アニールp型化現象)を世界で初めて発見しました。この温度で熱すると水素が除去され,Mgの活性を取り除いてp型になるのです。

 これを発見したのは、中村氏ではありません。中村氏とともに働いていた若手の研究員が、幸運にも偶然発見したものでした。この研究員がアニールp型化現象を中村氏に報告しましたが、当初中村氏は「そんなはずがない。間違っているだろう」と否定していたくらいです。

 既に青色LEDや、それを基にした白色LEDの市場には世界でざっと50社が参入していますが、アニールの工程なくして商品化している会社は1社もありません。世の中に全く存在しなかった技術を発明したという意味で、アニールp型化現象の発見の方が、既に存在していた平滑なGaNの膜を得ることよりも重要度や貢献度は高いのです。

 アニールだけではありません。ほかにも性能向上のための技術や量産のための技術など、当社が青色LEDや白色LEDを商品化するまでには、大勢の技術者や研究者たちの努力がありました。(日経ものづくり 2004年4月号抜粋)

参考HP Wikipedia 中村修二 Tech-On! 中村裁判

青色発光ダイオード―日亜化学と若い技術者たちが創った
クリエーター情報なし
テーミス
怒りのブレイクスルー 「青色発光ダイオード」を開発して見えてきたこと (集英社文庫)
中村 修二
集英社

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