神経細胞の機能に関する発見

 1932年のノーベル生理学・医学賞は、イギリスの生理学者チャールズ・シェリントン(1857年~1952年)と、イギリスの電気生理学者エドガー・エイドリアン(1889年~1977年)である。2人は「神経細胞の機能に関する発見」により、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 シェリントンは、近代神経生理学のパイオニアでシナプスの命名者である。関節の筋が収縮すると、その逆側の筋(拮抗筋)が弛緩するという「シェリントンの法則」に名前が残っている。膝蓋腱反射は、シェリントンの法則の一例である。

 彼は中枢神経と末梢神経の関係をくわしく調べた。とくに脊髄の反射についてくわしく調べ「脳は多数の反射を有機的に統合して複雑な運動を作り上げる作用をもっている」と説き、反射学を学問として確立し、近代神経生理学の基礎を築いた点で評価されている。

 エイドリアンは、感覚器官における神経インパルスの研究を行った。ヒキガエルの視神経に電極を取り付け、電流を測定することで、神経に電流が流れていることを発見した。そして、神経に流れる電流と筋肉の反応の関係を調べた。動物は刺激に対して、一定の反応を返す。この時、神経に流れる電流の大きさを測定した。

 加えられた刺激が限界値(閾値)より弱い場合は電流も弱く、全く反応しない。そして、閾値に達すると反応するが、その大きさは最大限度であり、それ以上に刺激を強めても、反応は大きくならない。つまり、反応しないときは一切反応せず(無)、反応するときには完全に反応し(全)、その反応にはこの両極端しか存在しない、という「悉無律(全か無かの法則)」を発見した。

 チャールズ・シェリントン
 チャールズ・シェリントン(Sir Charles Scott Sherrington)はロンドンに生まれた。ケンブリッジ大学でミカエル・フォスターに生理学を学び、1887年からはセント・トマス・メディカル・スクールに務めた。1895年にリヴァプール大学の教授になり、1913年にはオクスフォード大学の生理学の教授になった。1920年から1925年の間王立協会の会長を務めた。1924年オーダー・オブ・メリットを叙勲した。1935年に引退した。

 彼は筋肉の感覚を伝える自己受容性線維、脊髄ショック、屈曲反射、伸張反射、ひっかき反射、相反神経抑制、除脳硬直現象、最終共通経路理論など数多くの運動生理学の基礎研究を行った。

 彼は一つの神経細胞とその次の神経細胞の間には「横断障壁」があるとの考えをいだき、反射が起こる前の潜在期は、その障壁によっておこるとの認識も持っていた。シェリントンはこの障壁にシナプス(ギリシャ語で連絡するという意味)と名づけた。

 シェリントンがLiverpool 大学の生理学教授時代にYale大学に招かれて行った記念講演を基に著わした「The Integrative Action of the Nervous System(神経系の統合的作用, 1906 年発刊)」という古典書がある。

 「脳は多数の反射を有機的に統合して複雑な運動を作り上げる作用をもっている」という意味で、反射学を学問として確立し、近代神経生理学の基礎を築いた点で評価されている。

 しかし、すべての運動を、多数の反射の合成ないし複合として説明できるかどうか?脊髄よりも上位中枢の脳の機能を対象とする問題に関しては有効なものと考えられるだろうか?…などの点で批判もある。シェリントンの偉大な功績の評価は、建設的批判を加味してその両面から考察することが必要である。

 エドガー・エイドリアン
 エドガー・エイドリアン(Edgar Douglas Adrian)はイギリス人の電気生理学者で、神経細胞の機能に関する発見により、チャールズ・シェリントンとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 エイドリアンは、イギリス政府の法律顧問だったアルフレッド・エイドリアンの息子としてロンドンで生まれ、ウェストミンスター・スクール、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで自然科学を学んだ。その後、人生の大半をケンブリッジで過ごした。

 1915年に医学の過程を終了し、第一次世界大戦中はロンドンのセント・バーソロミュー病院に勤め、戦争神経症などの精神病を患った兵士の手当てに当たった。エイドリアンは1919年にケンブリッジに戻り、1925年から、人間の感覚器官における神経インパルスの研究を始めた。

 彼は1923年6月14日に精神医療従事者のヘスター・アグネス・ピンセントと結婚し、娘と男女の双子に恵まれた。長女のアン・ピンセント・エイドリアンは後に生理学者のリチャード・ケインズと結婚した。長男のリチャード・ヒューム・エイドリアンは生理学者で、父親の男爵位を継いだ。次女のジャネットエイドリアンは後にキャンベルと結婚した。

 先行するキース・ルーカスの研究を引き継ぐ形で、彼は神経信号を拡大するために毛細管電位計とブラウン管を用い、身体的な刺激によって神経線維の電気的な信号が弱まることを記録するのに成功した。1928年に偶然、エイドリアンは細胞内にも電荷が存在していることを証明した。彼は次のように語っている。

 “ 私は網膜上の実験をするためにヒキガエルの視神経に電極を取り付けた。実験室は暗く、私はアンプにつながれたスピーカーから繰り返し聞こえる雑音に悩まされていた。雑音は、インパルスの発生が続いていることを示すものだったのである。実験室での自分の行動と雑音を比較してみて初めて、私がヒキガエルの視野に入っており、雑音は「私がどう動いたか」を伝える信号だったと気づいた。 ”

 1928年に出版された論文では次のように述べられた。一定の刺激下におかれた皮膚細胞の興奮は初めは強いものの時間とともに低下する。一方刺激点からの神経インパルスの強度は強いままであるが、何度も経験すると頻度が低下し、大脳が感覚としての認識を減らす。

 この結果を神経への刺激による痛みの研究に適用し、彼は大脳での神経信号の受信と、大脳皮質において感覚を司る動物ごとの領域を明らかにした。この研究は体性感覚におけるホムンクルスと呼ばれる感覚地図の概念に繋がった。

 その後エイドリアンは、ハンス・ベルガーが存在を報告した脳波の研究を進め、人間の脳の電気活性として脳波を定義する現在の概念を確立した。異常バーガー・リズム(ベルガー・リズム)に関する彼の研究が、てんかんや他の大脳病理学に関する一連の研究を大いに推し進めた。彼は最後に嗅覚に関する研究を行った。

 彼は研究の過程において様々な賞や地位を得た。1937年から51年まではケンブリッジ大学の生理学の教授、1950年から55年には王立協会の会長、1951年から65年にはケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの学長、1967年から71年にはケンブリッジ大学の総長を務めた。1942年にメリット勲章を受章し、1955年には男爵に任じられた。

 生物電気の発見
 古代からシビレエイやデンキナマズによる衝撃が知られていた。1745年にライデン瓶が発明されるとこの作用は放電現象によって起こされる電気の感覚に近いことが分った。

 1791年にイタリアの解剖学者ガルヴァーニはカエルの脚標本が2種の金属に触れて収縮するという現象を発表した。彼はこれを筋肉が外側に陽電気を、内側に陰電気を蓄えているために起こり、金属で短絡することで放電が起こると考察した。この生物電気の考察は間違っていたが、社会的には医師の治療に金属弓(銅と鉄で作られた電気ピンセット)が利用されるなどの強い影響を与えた。

 物理学者ボルタは同様の実験をして、生物電気による収縮ではなく、2種の金属の電位差によるものと考察した(1793年)。論争は激しく、ガルヴァーニは金属を用いなくとも、神経筋標本で神経の切断端を筋肉に接触させると収縮を起こすことを発表し、自説を主張した。これは神経の損傷電流によって起こる筋収縮であって,彼の説を証明したものではなかったが、生物電気が発生する事実として残った。ボルタは研究を続け、1799年にボルタ電池を発明した。

 1820年に電流計が作り出されて、筋肉の損傷電流や活動電流が記録されるようになった。しかし、これらの電気変化は微小で短時間であるため、電極やブラウン管など測定機器が発達しない限り、正確な測定は困難であり、進歩は1900年代に入ってからである。心筋の活動電位の記録(心電図)は1913年に、神経の活動電位の記録は1929年に始められた。

 膜内外の静止電位の測定は、1934年の日本の鎌田武雄の微小電極法の開発によって初めて可能となった。 

 静止電位と活動電位
 興奮が軸索を伝導するようすを記録するには、軸索の表面に電極をおく方法(A)と、微小電極を用いて軸索内部の電位変化を記録する方法(B)とがある。(A)では2相性、(B)では単相性の電位変化として記録できる(図 興奮伝導の記録)。タコの眼球の前後に電極を当て、瞳孔に向けて光を当てると、1.76mVのインパルス(Impulse 神経衝撃)が発生した(1924年)。

 エードリアンとズォテルマン(1928年)は、カエルの筋肉の張力受容体から脳に送られるパルス数が筋肉の伸展の長さに比例することを報告した。これがエードリアンの法則である(1932年,ノーベル賞)。1934年にはカブトガニの視神経が発生する電気信号が記録され,光を強くしても信号の大きさは変わらず、発生する頻度が増えることがわかった。

 この現象はその後各種の受容体で確認され、刺激の強弱は軸索中を通過するパルス数/秒に変換されていることがわかった。また、一定の刺激を与え続けると、“慣れ”によって感覚が低下し,閾値が上がることが知られているが、これも刺激の持続によってパルスが減ることで説明される。

 一方、脳から筋肉への“命令”の実体も同様なしくみによることがわかった。つまり、筋繊維につながる軸索を経て、脳からのパルス数/秒が多いほど収縮に参加する筋繊維の数が多くなり、筋肉は“強く”収縮することになる。また、閾値以下の刺激では信号は発生せず、興奮の発生については全か無かの法則(all-or-none law)が立てられた。 

参考HP Wikipedia チャールズ・シェリントンエドガー・エイドリアン 啓林館 神経・生体電気

脳損傷による異常姿勢反射活動 第3版
Berta Bobath
医歯薬出版
シナプスが人格をつくる 脳細胞から自己の総体へ
ジョセフ・ルドゥー
みすず書房

ブログランキング・にほんブログ村へ 人気ブログランキングへ   ←One Click please