2012年ノーベル物理学賞
 スウェーデン王立科学アカデミーは9日、2012年のノーベル物理学賞をフランス高等教育機関「コレージュ・ド・フランス」のセルジュ・アロシュ氏(68)と、米国立標準技術研究所のデービッド・ワインランド氏(68)の2人に授与すると発表した。 授賞理由は「量子系の計測と操作を可能にした画期的な手法の開発」。

 2人は量子物理学の分野において、個々の粒子を壊さないままに直接観察できる新しい実験領域を切り開いた。アロシュ氏は鏡の並びを工夫して光子を一個ずつ捕え、制御することに成功した。

 ワインランド氏は、捕えた原子やイオンを光子によって制御する手法を考案した。これらにより、超高速な処理能力をもつ量子コンピュータの開発や、将来の標準時計となるような、今日のセシウム原子時計よりも100倍以上も高精度な時計の開発が現実化してきたという。授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、2氏に賞金計800万スウェーデン・クローナ(約9,800万円)が贈られる。(サイエンスポータル 2012年10月10日)


org 2012 Physics

 量子力学の世界へ
 現代のコンピューターの心臓部プロセッサの半導体では、マイクロエレクトロニクスを飛躍的に向上させLSI(大規模集積回路)を高度に超高密度化した超LSIに進化し、さらに超超LSIと発展させてきた。しかし半導体技術の進化速度を予測する「ムーアの法則」に当てはめると2020年ごろには半導体は原子とほぼ同じ大きさまで小型高密度化されると予測されている。

 半導体は写真技術を応用し回路を写し込み、薬品などで回路以外の部分を削除する方法(エッチング)で作られいるが、原子レベルまで微細な回路を形成する様になると光を照射することによって化学的に彫ることで加工される回路が、光の粒子の大きさまでしか彫れない事になる。つまり光の波長の限界が半導体の限界ともいえる。

 大学ノートに超極太のマジックペンで微細で複雑な回路を書き込む様なもので、ペンの太さはこれ以上細くする事は出来ないが、ペンの太さ(光の波長)は実際には小さくする余地は残っている。問題はペンの太さ(光の波長)では無く、原子レベルの世界では我々の世界の常識が通用しなくなる量子力学の不可思議な現象が大きく作用するからである。

 現在のコンピューター、フォン・ノイマン型はあらゆる情報を二進数の数字に置き換えて計算処理を行っているが、二進数は「0」と「1」の2つの数字だけで処理を行っている。 コンピューター内では、電気が流れなければ「0」、流れれば「1」と認識するが、半導体が原子レベルにまで微細になると電流すなわち電子が量子力学でいう波の性質を現し「トンネル効果」によって電子は絶縁体をすり抜けて隣の回路に移動してしまう現象が起こる。

 こうなると回路の役目は果たさなくなり半導体としての機能が失われてしまうのである。 つまり半導体はこれ以上に小さくする事は出来ないのだ。 ミクロの世界の力学を説明する量子力学によって半導体技術は限界を迎えるが、大きく立ちはだかる量子力学の壁を逆に利用しようとするのが量子コンピューターの基本的概念だといえる。


 「イオントラップ」
 さて、2012年のノーベル物理学賞は、米国立標準技術研究所のワインランド(David Wineland)博士と、フランスの高等師範学校/コレージュ・ド・フランスのアロシュ(Serge Haroche)教授に授与されることになった。2人の研究は、次世代量子コンピューターの成立に欠かせない基礎技術を確立したことが評価されたが、具体的にどのような技術なのだろうか?

 2人は量子力学の基礎実験における、押しも押されもせぬトップランナー。ワインランド博士は空中に並べたイオンの列、アロシュ教授は共振器の中に閉じ込めた原子と光子を使った実験システムを構築。これを使って量子力学の根幹に関わる実験を次々にやってのけ、量子コンピューターや超精密時計など、量子現象を直接に利用するまったく新しい技術への足がかりを築いた。

 光子やイオンなどのミクロな世界は、私たちに馴染みのある世界と違って、「シュレーディンガーの猫」のストーリーで語られるような、不思議な多重状態になっている。光子がある状態と、ない状態。エネルギーが高い状態と、低い状態。振動している状態と、止まっている状態。私たちの日常生活では「どちらか一方」しか起こらない2つの状態を、両方同時に実現することができる。物理学ではこの状態を「重ね合わせ」と呼ぶ。

 両博士が作った実験システムは、まさにそういう重ね合わせ状態を極めて巧妙に作り、操り、観測することができる仕掛け。巨大な加速器や宇宙望遠鏡も使わず、ただ実験室の机上に組み上げた精妙な装置で、両博士はそうした不思議な量子現象を次々と観測してきた。

 ワインランド博士は、電磁場を使って空中にイオンを一列に並べた「イオントラップ」と呼ばれる実験の第一人者。イオンの間には電磁気力が働き、ちょうど一次元の結晶格子のような状態になっている。1個1個のイオンは、エネルギーの低い状態か高い状態になっている。またイオン全体が結晶格子のように振動しており、その振動状態は粒子のように数えることができ、フォノンと呼ぶ。そしてイオンのエネルギーは「高くて低い」、イオン全体のフォノンは「0個で1個」という重ね合わせ状態になることができる。

 このイオン列にレーザーを照射すると、あるイオンのエネルギーの重ね合わせ状態が全体のフォノンの重ね合わせ状態に移り、それがまた別のイオンのエネルギーの重ね合わせ状態を作る。こうして重ね合わせが次々に移っていき、ワインランド博士はイオン6個を、異なるエネルギーの重ね合わせ状態にすることに成功した。生きている状態と死んでいる状態が重ね合わさった「シュレーディンガーの猫」を、イオンで作ったような実験だ。

 このように重ね合わせを移していく過程は、量子コンピューターの基本的な計算操作でもある。ワインランド博士は1994年の国際会議で、まだ理論しかなかった量子コンピューターについて聞き、量子コンピューターを本気で作ろうと最初に考えた実験家の1人だ。翌1995年に、イオンを使った量子コンピューターの2ビットの演算に世界で初めて成功し、量子コンピューターの実験研究の起爆剤となった。

 ワインランド博士は、今も量子コンピューター実験の最前線を走っている。最近では、基板の上にトランジスタを並べるようにイオントラップをいくつも並べ、プロセッサーとメモリーとに使い分けて、その間でイオンを移動させながら計算していく「量子集積回路」の構築を目指している。また、単一イオンを使った超精密時計の開発も進めており、日本で開発された超精密時計、光格子時計のライバルとなっている。


 「超伝導キャビティ(共振器)」
 一方、アロシュ教授の実験装置は、超伝導で作った凹面鏡で光子を閉じ込めた「超伝導キャビティ(共振器)」です。この中に「リドベルグ原子」と呼ばれる、ほとんどイオンに近い原子を注入すると、キャビティの中に光子が1個飛び出してきて、そのままそこに閉じ込められる。

 光子というのは光の要素ですので、文字通り光のように飛び去ったり、どこかに吸収されて消えてしまったりし、本来一カ所にとどめておくのは非常に難しい。だがアロシュ教授の超伝導キャビティを使えば、光子を極めて長い時間、閉じ込めておくことができ、光子を使った様々な実験が可能になった。

 例えばキャビティを2つ続けて並べ、その中にリドベルグ原子を飛ばす。通過時間などの条件をうまく調節すると、1つめのキャビティで1個の光子が「飛び出す」と「飛び出さない」の重ね合わせになる。

 この原子が次のキャビティを通る時に同様の操作をすると、不思議なことが起こる。「最初のキャビティに光子があり、2つめのキャビティにはない」状態と「最初のキャビティに光子がなく、2つめのキャビティにある」状態が、同時に実現する。いわば2重の重ね合わせで、これを「量子もつれ」と呼ぶ。

 アロシュ教授はこのほか、キャビティの中に沢山たまった光子の数をカウントし、しかもその光子を保っておける実験(通常はこの種の測定をすると光子は消えます)など、量子力学現象を目の当たりにさせる実験を次々と実現してきた。

 この超伝導キャビティは、アロシュ教授らのチーム以外に、世界でもほとんど作れる人がいない。その意味でアロシュ教授の研究もまた、文字通り他の追随を許さない。

 アロシュ教授は、日本の量子コンピューター実験のリーダーである山本喜久スタンフォード大学/国立情報学研究所教授とは長年にわたって共同研究をしている。ですが量子コンピューターの実現性については、むしろ慎重な立場を取ってきたのが、また興味深いところ。

 両博士は量子コンピューターに対しての意見は異にしますが、その先駆的な実験研究が、量子コンピューターをはじめとする量子情報の研究に刺激を与え、今日の隆盛をもたらしたのは間違いない。(古田彩 日経サイエンス)


 量子コンピューター
 量子力学の原理を情報処理に応用するコンピュータ。極微細な素粒子の世界で見られる状態の重ね合わせを利用して、超並列的に計算を実行するコンピュータである。

 原子の内部構造のような極めて微細なスケールの世界は、物体に働く古典力学とは原理の異なる量子力学が支配している。素粒子の状態を表す属性は、複数の状態が同時に実現している「重ね合わせ」という状態にある。これを「量子ビット」(qubit:quantum bit)と呼ばれる情報の表現として利用することにより、並列的な計算を実現するというのが量子コンピュータの基本的な原理である。

 量子的な系を用いて計算を行うアイデアは1980年代に提唱されたが、実現困難性や有効な適用分野の欠如などからあまり活発には研究されてこなかった。1994年、AT&Tベル研究所のPeter Shor(ピーター・ショア)氏が量子コンピュータを用いて整数の素因数分解を高速に行うアルゴリズム(Shorのアルゴリズム)を発表した。巨大な整数の素因数分解は従来のコンピュータでは計算が困難で、RSA暗号の安全性の根拠となってきたものだが、量子コンピュータが実現すればこうした問題を高速に処理できる可能性を示した。2001年にはIBM社のアルマデン研究所が、このアルゴリズムを利用して量子コンピュータで素因数分解を行うことに成功している。

 量子コンピュータはまだ基礎的な研究が行われている段階である。量子ビットに何を用いて、それをどのように安定的に保持・処理するかについて、様々な方式が提唱されている。また、量子コンピュータでは現在のコンピュータと同じアルゴリズムでは計算が行えないため、汎用的な機能を持たせるには基礎的なアルゴリズムの研究が必要とされている。実用化の目処はまったく立っておらず、実用化までは少なくとも20~30年程度はかかると言われている。(IT用語辞典)


参考HP IT用語辞典:量子コンピューターとは 日経サイエンス:ノーベル物理学賞 量子力学の基礎実験の最高峰 光子/イオン

量子コンピュータ―超並列計算のからくり (ブルーバックス)
クリエーター情報なし
講談社
量子コンピュータへの誘(いざな)い きまぐれな量子でなぜ計算できるのか
クリエーター情報なし
日経BP社

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