ノーベル賞の光と陰
 2012年のノーベル医学・生理学賞は、日本の山中伸弥氏に贈られた。久しぶりに嬉しいニュースになった。「iPS細胞」は再生医療に役立つ、人類の福祉に貢献する素晴らしい科学技術である。

 だが、過去のノーベル賞の研究者を見ると、「これはどうなのか?」と思う研究者も数多く存在する。研究成果自体はどれも素晴らしいのだが、受賞者が毒ガスや核兵器などの大量破壊兵器の開発に協力している姿を想像すると、とても手放しで祝福できない。ノーベル賞の創設者「ノーベル」自身も、大量破壊兵器となったダイナマイトの発明者だ。善と悪の間で揺れ動くのが人の正体なのだろうか?

 1938年のノーベル物理学賞を受賞した、イタリアのエンリコ・フェルミもその一人である。エンリコ・フェルミはノーベル賞受賞の前に、ベータ崩壊の理論(フェルミのベータ崩壊の理論)を完成。また、自然に存在する元素に中性子を照射することによって、40種類以上の人工放射性同位元素を生成。さらに、熱中性子を発見し、その性質を明らかにした。これが後の「核兵器開発」につながる。

 妻のラウラ・カポーネはユダヤ人であった。そのため、ムッソリーニのファシスト政権下では迫害を受ける。1938年のノーベル賞授賞式出席のためイタリアを出国。ストックホルムで賞を受け取ったが、そのままアメリカに亡命した。1939年、コロンビア大学の物理学教授となる。このアメリカ亡命直後、フェルミは、ドイツで、ハーンが、核分裂の実験に成功した事を知る。


 アメリカでは核分裂反応の研究に従事し、1942年、シカゴ大学で世界最初の原子炉「シカゴ・パイル1号」を完成させ、原子核分裂の連鎖反応の制御に史上初めて成功した。この原子炉は原子爆弾の材料となるプルトニウムを生産するために用いられた。アメリカ合衆国の原子爆弾開発プロジェクトであるマンハッタン計画でも中心的な役割を演じ、1944年にロスアラモス国立研究所のアドバイザーとなった。

 1945年8月。広島と長崎に閃光が走った。その後にわき上がるキノコ雲。原子爆弾が投下されたのだ。この投下の報を聞いたときのアインシュタインの悲嘆はよく知られている。フェルミは黙して何も語らなかった…。その後、フェミルは水素爆弾の開発には倫理的な観点から反対をしている。


 栄光なき天才達
 当時は20年はかかると言われていた原子爆弾。それがわずか数年で成し得た大きな理由は、当時最高の科学者たちがその総力を結集したためである。それがマンハッタン計画である。以下は「栄光なき天才たち」の原作者、千葉大学の教授伊藤智義氏のHPからの抜粋である。(エンリコ・フェルミ

 A・アインシュタイン(独・1921年ノーベル物理学賞受賞)、J・フランク(独・1925年ノーベル物理学賞受賞)、H・A・ベーテ(独・1967年ノーベル物理学賞受賞)、E・フェルミ(伊・1938年ノーベル物理学賞受賞)、E・セグレ(伊・1959年ノーベル物理学賞受賞)、E・P・ウィグナー(ハンガリー・1963年ノーベル物理学賞受賞)、N・ボーア(デンマーク・1922年ノーベル物理学賞受賞)、J・チャドウィック(英・1935年ノーベル物理学賞受賞)、A・H・コンプトン(米・1927年ノーベル物理学賞受賞)、H・ユーリー(米・1934年ノーベル化学賞受賞)、E・O・ローレンス(米・1939年ノーベル物理学賞受賞)…。

 マンハッタン計画に参加した著名な科学者達である。なぜこれほどの人たちが原爆製造という狂気の計画に参画していったのだろうか?

 マンハッタン計画に参加した科学者たちの多くがユダヤ人であったことに関係がある。この狂った時代を象徴する”ナチス対ユダヤ人”の構造が、浮かび上がってくる。アインシュタインもそうであったし、フェルミの妻もそうである。彼らは自分の同朋たちを命をかけて守りたかったのだ。それは、日本人であれば、日本を守りたいと思うのと同じだった。

 1938年11月には、ユダヤ人を迫害した「水晶の夜事件」が起きている。これはドイツの各地で発生した反ユダヤ主義暴動で、ユダヤ人の住宅、商店地域などが次々と襲撃、放火された。ナチ政権による「官製暴動」の疑惑も指摘されている。この事件によりドイツにおけるユダヤ人の立場は大幅に悪化し、後に起こるホロコーストへの転換点の一つとなる。

 暴動中、ユダヤ人は殴られたり、辱められたりした。運の悪い者はそのまま殴り殺された。少なくとも96人のユダヤ人が殺害されている。破壊され砕け散った窓ガラスが月明かりに照らされて水晶のように輝いたことから水晶の夜(クリスタルナハト)と呼ばれた。実際には殺害されたユダヤ人のおびただしい血や遺体、壊された建造物の瓦礫等で、現場は悲惨なものだったという…。(Wikipedia)


 ナチスからユダヤ人を救え!
 
核分裂反応とは現在よく知られているように、ウラン235などの重たい原子核に中性子を打ち込むと、ほぼ真っ二つに割れるという現象である。    この実験は、実はフェルミがイタリアにいた時に世界で初めて行ったものであったが、結果がハッキリしていなかった。それをドイツのハーンが、核分裂という極めて劇的な現象としてとらえたのであった。(ハーンはこの発見により1944年度ノーベル化学賞を受賞)

 1938年、米国コロンビア大学の研究室。

 フェルミ「もし本当に核分裂が行なわれるのならば、」と、フェルミが重い口を開く。フェルミ「その際余分になった非常に大きいエネルギーが放出されることが考えられます」「さらに、この際余分になった何個かの中性子が放出される可能性が極めて強い」

 フェルミ「放出された中性子が次々とウランに衝突し、核分裂反応がネズミ算式にましていく、いわゆる連鎖反応が起こる可能性がきわめて強くなります」「新型爆弾の製造は理論的には可能になったと言えるでしょう」

 米国、プリンストン高級研究所では、3人の科学者がアインシュタインを説得している…。「この手紙にサインをお願いします、アインシュタイン博士。博士のサインがあれば…」「ルーズベルト大統領あての、原爆製造を促す手紙です」

 アインシュタイン博士は否定した「原爆製造を促す?何をバカなことを…」

 「フェルミ博士の研究などで、原爆が製造可能なは理論的に明らかです。もしドイツが先に原爆を手にいれたら…」「しかしもしナチスが先に原爆を手に入れたりしたら、我々ユダヤ人は地球上から消滅してしまうかもしれないのですよ」

 科学者から政治家に兵器開発を催促するなど、今から見れば極めて異常な事態である。が、当時のナチスのユダヤ人迫害は、それをはるかに上回るほどの異常性を示していた。1945年までに虐殺したユダヤ人は500万人とも600万人ともいわれている。

 彼らにとってナチスの存在は、最大の憎悪であり、最大の恐怖であった。じっと考え込んでいるアインシュタイン…。ついにペンをとり、手紙にサインする。1939年8月、原爆製造計画、世に言う“マンハッタン計画”の始まりだった…。


 そして矛先は日本に向けられた
 1945年7月16日午前5時、ニューメキシコ州アラモゴルド。ただひとつだけ立っている高さ30mほどの塔があり、その先端には、一発の原子爆弾が取り付けられていた。約17km離れた所には観測所があり、科学者や将軍たちが緊張して待っていた。誰もがみな、防護用の黒眼鏡をしている…。

 目もくらむような閃光が起きる。爆心地では、爆発する巨大な火の玉。あたり一帯いっせいに照らし出される。しばらくして猛烈な爆風が建物や木々車両を薙ぎ倒していく…。火の玉が、突如盛り上がったかと思うと、アッという間に天を貫くキノコ雲になる…。

 震撼となっている科学者たち。フェルミ。だがその表情も次第に和らいでいき、誰かの「やった…成功だ!」の声を合図に喜びが爆発する。ホッと安堵するフェルミ。「おめでとう」握手を求める研究者E。フェルミ「おめでとう」がっちり握手をかわした。

 原子爆弾を開発する、「マンハッタン計画」は成功した。実戦に使用するかどうかは、あくまでも政治家の判断によるものだ。しかし、結果は悲惨なものだった…。(栄光なき天才たちより)

 1945年8月6日広島に原子爆弾「リトルボーイ」が、8月9日には長崎に原子爆弾「ファットマン」が投下された。なぜ大量破壊兵器に「リトルボーイ」と「ファットマン」なのか理解できない。ユダヤ人に対する人種差別の矛先は、ユダヤ人によって日本に向けられたのかもしれない。

 なぜ核兵器は存在するのであろうか?現在でも、核兵器を持つ国々を見ればその理由がわかる。核を持つ国と持たない国と比較すれば、まったく発言力が違う。北朝鮮が核開発するのを抗議はするが、何もできない日本。もし、となりの国が日本でなく米国であったら、抗議だけで済むはずはない。現在、核兵器はみかけの平和を維持するために必要な抑止力として存在する。それが冷徹な事実だ。

 つまり、2013年の段階で、人類は人種差別や主義主張の違いを乗り越えて国を発展させ、世界平和を実現する考え方をとっていない。辛うじて核兵器で平和を維持しているのである。しかし、光はある…それが幸福の科学だ。


 エンリコ・フェルミ
 1938年のノーベル物理学賞受賞者。受賞理由は「中性子衝撃による新放射性元素の発見と熱中性子による原子核反応の発見」である。

 エンリコ・フェルミ(Enrico Fermi、1901年9月29日~1954年11月28日)は、イタリア、ローマ出身の物理学者。統計力学、核物理学および量子力学の分野で顕著な業績を残しており、放射性元素の発見で1938年のノーベル賞を受賞している。実験家と理論家との2つの顔を持ち、双方において世界最高レベルの業績を残した、史上稀に見る物理学者であった。

 1901年、ローマに生まれる。公務員である父アルベルト・フェルミと、教師である母イダ・デガティスとの間の第3子であった。

 1918年、ピサ高等師範学校に入学し、物理学を学ぶ。ここで非凡な才能を発揮し、すぐに教師達を追い越してしまった。教師から相対性理論について教えを請われたこともあった。1922年に学位を取得。

 1926年、「フェルミ統計」に関する理論を発表し、世界的な名声を得た。フェルミ統計は、電子の振る舞いにパウリの排他原理を導入した新しい統計力学だった。同時期にポール・ディラックも同様の結論を導き出していたため、フェルミ統計は「フェルミ=ディラック統計」とも呼ばれる。電子や陽子など、フェルミ統計に従う素粒子を総称してフェルミ粒子と呼ぶ。フェルミ統計は、金属の熱伝導や、白色矮星の安定性に関する理論的な基礎を与えるものである。

 1926年、20代半ばにしてローマ大学の理論物理学教授に就任した。ここで、ニュートリノの存在を導入したベータ崩壊の理論(フェルミのベータ崩壊の理論)を完成させた。また、自然に存在する元素に中性子を照射することによって、40種類以上の人工放射性同位元素を生成した。さらに、熱中性子を発見し、その性質を明らかにした。これらの成果によって、1938年にノーベル物理学賞を受賞した。このノーベル賞受賞の為、ストックホルムを訪れた際に、夫人と共に、アメリカに亡命する。(Wikipedia)


 マンハッタン計画
 妻のラウラ・カポーネはユダヤ人であった。そのため、ムッソリーニのファシスト政権下では迫害を受ける。1938年のノーベル賞授賞式出席のためイタリアを出国。ストックホルムで賞を受け取ったが、そのままアメリカに亡命した。1939年、コロンビア大学の物理学教授となった。このアメリカ亡命直後、フェルミは、ドイツで、ハーンが、核分裂の実験に成功した事を知る。

 アメリカでは核分裂反応の研究に従事し、1942年、シカゴ大学で世界最初の原子炉「シカゴ・パイル1号」を完成させ、原子核分裂の連鎖反応の制御に史上初めて成功した。この原子炉は原子爆弾の材料となるプルトニウムを生産するために用いられた。アメリカ合衆国の原子爆弾開発プロジェクトであるマンハッタン計画でも中心的な役割を演じ、1944年にロスアラモス国立研究所のアドバイザーとなった。

 しかし、その後の水素爆弾の開発には倫理的な観点から反対をしている。第二次世界大戦後はシカゴ大学で宇宙線の研究を行った。1954年、癌により死去。死の床においても、点滴のしずくが落ちる間隔を測定し、流速を算出していたという。彼がイタリアで率いた同年代の研究仲間たち(ラガッツィ・ディ・ヴィア・パニスペルナ)は、後にアメリカやソビエトへ渡り、米ソの素粒子物理学の基礎を築いた。

 エンリコ・フェルミにちなみ、原子番号100の元素はフェルミウム (Fermium)と命名されている。また、10のマイナス15乗メートルは1フェルミとされた。小惑星のひとつもフェルミと名付けられた。

 正確な計算ではなく、おおよその値を計算する「概算」の達人であったといわれ、原子爆弾の爆発の際、ティッシュペーパーを落とし、その動きから爆風を計算し、爆発のエネルギーを見積もったという逸話がある。

 「宇宙には沢山の生命体が存在し、知的生命体も多数あると考えられるのに、なぜ地球に飛来した痕跡が無いのか」という「フェルミのパラドックス」を提示。後のドレイクの方程式に繋がる。(Wikipedia)


 熱中性子とは何か?
 原子力発電ではどのようにして、核分裂反応を行っているのだろうか?

 原子炉では、ウラン235などの核燃料に熱中性子をぶつけて核分裂を起こしている。中性子はすべての原子核の中で一番軽い水素の原子核、つまり陽子とほぼ同じ重量をもっていて電気は帯びていない。水素以外の原子核内には必ず何個か入っているが独立に存在することはない。種々の核反応で中性子を発生させることはできるが、単独の状態では不安定で11.7分の半減期で崩壊し、陽子と電子になってしまう。

 中性子のもつエネルギーはその速度できまる。核反応で放出される中性子は、いずれも大きなエネルギーをもっているから速度も極めて大きく、光の速度(秒速30万km)に近い。このようなものを高速中性子という。

 高速中性子が他の原子核に衝突を、くり返すと段々にエネルギーを失い速度も遅くなる。十分遅くなった中性子を熱中性子という。熱中性子というのは熱い中性子という意味ではなく、遅い中性子のことをいう。もっとも、遅いといっても熱中性子の平均の速度は1秒間に2.2キロメートルで新幹線の38倍、音速の7倍になる。

 中性子は電気をもっていないから、これが他の原子核に近づいた時に電気的反発力が働くことはなく、お互いに引力が働くことになる。下図の上に示すように、中性子が原子核の近くを通りすぎるような方向に進むと、引力によって原子核に引き寄せられ進路が曲る。この曲り方は、速い中性子では少なく、中性子の速度が遅いほど大きく曲る。このため、最初の方向は衝突せずに通りすぎるはずのものが進路を曲げられて衝突することもある。

 別ないい方をすれば原子核と中性子の衝突を考えるとき、原子核はその本当の大きさより大きな見掛け上の大きさをもっていることになる。そしてこの見掛けの大きさは中性子の速度が遅いほど大きい。

 中性子を使って原子核反応を起こさせるためには、まず原子核と衝突させることが必要である。中性子の速度が遅いほど反応が起こりやすいことが知られている。高速の中性子を有効に減速し、熱中性子にするためには、なるべく質量数が小さく、かつ中性子を吸収しない物質を用いるのがよく、水、重水、黒鉛などが使われる。熱中性子は原子炉内でウランを核分裂させるのに用いられる。


参考HP Wikipedia:原子爆弾 千葉大学教授伊藤智義HP:栄光なき天才たち「エンリコ・フェルミ」


エンリコ・フェルミ―原子のエネルギーを解き放つ (オックスフォード科学の肖像)
クリエーター情報なし
大月書店
栄光なき天才たち 全17巻完結(ヤングジャンプコミックス) [マーケットプレイス コミックセット]
クリエーター情報なし
集英社

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