3年間ノーベル賞受賞者なし
2013年8月15日は68回目の終戦記念日。1945年8月15日、日本は戦争に負けた。ノーベル賞も1940年~42年まで受賞者はいない。戦争でそれどころではないということか。
次のノーベル賞の表彰が行われたのは1943年。第二次世界大戦も大勢が決する頃である。4月には山本五十六大将が戦死。5月には米領アリューシャン列島のアッツ島で日本海軍の守備隊が玉砕。12月には学徒出陣の第一陣が出征。
そんな中、3年ぶりにノーベル賞の授賞式が行われた。ノーベル物理学賞の受賞者は米国の物理学者オットー・シュテルン。受賞理由は「原子線法の開発と陽子の磁気モーメント」の発見である。この受賞には2つの重要な意味がある。
ド・ブロイは、光が波動であることと同様に、電子や原子(陽子)のような 物質粒子は、従来は粒子と考えて いたけれども、場合によっては波動の性質(波動性)を持つかも知れないと 考えた。
この理論は1927年にデイヴィソンやトムソンによる「電子線の回折実験」によって支持され、ド・ブロイは、1929 年に、デヴィッスンとトムソンは、1937 年にノーベル賞を受賞する。
オットー・シュテルンは、シュテルン-ゲルラハの実験で、「原子の波動性」も証明した。それだけでなく、原子や電子には2通りの性質があり、2つの「磁気モーメント」があることも発見する。これが現在、先端科学でさかんに研究されている「スピン」と呼ばれるものの最初の発見であった。
オットー・シュテルン
オットー・シュテルン(Otto Stern、1888年2月17日~1969年8月17日)はドイツ生まれのアメリカの物理学者。1943年のノーベル物理学賞受賞者である。1933年にナチス政権にハンブルク大学教授の地位を追われた後、アメリカに渡った。
1912年にブレスラウ大学(現ポーランド)を卒業し、プラハ大学で、アインシュタインに会い、アインシュタインとともにチューリッヒ工科大学に移った。1914年から1921年までフランクフルト大学で教授資格を取り、1921年からロストック大学(英語版)教授、1923年からハンブルク大学の物理化学の教授を歴任した。
初期の研究は理論物理学の分野であったが1919年ごろから実験物理学の分野に移り原子線、分子線の実験方法の開発を行った。1922年のシュテルン-ゲルラッハの実験などが有名である。
1929 年にはヘリウム原子や水素分子も回折を起すことを示し、原子や 分子にも物質波が存在することを示した。このことにより、電子のような物質を構成する基本粒 子(素粒子)だけではなく、広くすべての粒子がド・ブロイの関係式に従う波動としての性質を もつことが分かった。
1933年アメリカに渡りカーネギー工科大学教授となり、1945年に引退するまで同研究所で研究した。1933年に陽子の磁気モーメントの測定を行い、1943年にノーベル物理学賞を受賞した。
受賞理由は、「原子線法の開発と陽子の磁気モーメントの発見」である。のちに、彼はカリフォルニア大学バークレー校名誉教授となった。(Wikipedia:オットー・シュテルン)
シュテルン-ゲルラハの実験(Stern‐Gerlach’s experiment)
磁場の中を運動する荷電粒子について、その角運動量ベクトルは磁場方向の成分が特定のとびとびの値のどれかになるような方向しかとらないこと(方向量子化)を証明した最初の実験。この実験により、銀が量子化された磁気モーメントをもつことがわかり、後に「スピン」という概念を導く契機となった。
1921年,ドイツのO.シュテルンとゲルラハWalter Gerlach(1889‐1979)は加熱した炉から噴出する銀原子をスリットで絞って細いビームとし、下から上に向かい急激に強さを増す磁場を通したところ、ビームは上下の2方向に截然と分裂した。
ビームの向きが変わることから、銀粒子ビームは磁気モーメントを持っていることがわかる。銀は強磁性体ではないが、磁場の影響で電子の磁気モーメントがそろい、全体としてモーメントを持つ。不均一な磁場をかけるのは、磁気モーメントが磁場から磁力を受けるようにするためである。
ビーム中の個々の銀粒子については、磁気モーメントの向きおよび大きさは自由なので磁場から受ける力もさまざまである。したがってビームの先のスクリーン上では、ビーム軸を中心に広がる分布として銀粒子が観測できる、と予測される。
実験の結果、ビームは2本に分かれて観測された。これはビーム中の銀粒子の磁気モーメントは大きさが等しく、向きは磁場に引き寄せられる、あるいは反発するという2状態のどちらかしかないことを意味する。古典力学ではこの結果を説明できない。
量子力学では、電子はスピン1/2という属性を持つ。スピン1/2の粒子は、実験者が任意の方向に特徴的な軸(量子化軸)を設けると、その方向に対し「上向き」(+1/2)または「下向き」(-1/2)の二つの状態のみを取るとされる。この実験では磁場の方向が量子化軸となる。銀粒子の場合も同様に「上向き」と「下向き」のスピンを持ち、このスピンは磁気モーメントと比例関係があるため、結果ビームは磁力を受け2本に分かれたと解釈する。(Wikipedia:シュテルン-ゲルラハの実験)
電子の波動性と電子回折
物質を細かく分割して いくと、ついには 分子や原子になり、さらに原子は 電子や原子核から 構成されているというとが 明らかになった。つまり物質 は極微の粒子 が集まって構成されている ことが明らかになった。
19世紀までの 古典物理学においては、これらの粒子は 古典論 (ニュートン力学と マクスウェルの電磁気学) に従って運動するものと 理解されてきたが、ボーアの量子論 において、この古典論的な 考え方があやしく なってきた。
一方、古典論においては、光 は電磁波すなわち 波動 であると 考えられてい。ところが20世紀に入り、アインシュタインによる、光量子 (光子) の 発見によって、光はあるときは波動であり、あるときは粒子であるという2重の性質(2重性)を持つことが明らかに なった。
このことを考えると、電子や陽子のような 物質粒子は、従来は粒子と考えて いたけれども、場合によっては波動の性質(波動性)を持つかも知れない・・・と 考えたのが ド・ブロイであった。
1937年のノーベル物理学賞は、米国のクリントン・デイヴィソンと、英国の ジョージ・パジェット・トムソンに贈られた。受賞理由は、「結晶による電子線回折現象の発見」である。
電子線回折現象とはなんだろうか? 電子は粒子性と波動性をもっている。電子を加速し線束にすれば、X 線と同様に結晶の原子面で回折する。この電子線回折を利用すると、X 線と同様に結晶構造を解析することが出来る。1927年、この電子線による回折現象を2人は別々に発見した。
原子炉から放出される中性子線を結晶にあてると、X 線や電子線と同様に回折現象をおこす。 また、1929 年にシュテルン(Stern)はヘリウム原子や水素分子も回折を起すことを示し、原子や 分子にも物質波が存在することを示した。このことにより、電子のような物質を構成する基本粒 子(素粒子)だけではなく、広くすべての粒子がド・ブロイの関係式に従う波動としての性質を もつことが分かった。(アイラブサイエンス:電子線回折の発見)
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