桜島で大噴火
 桜島は、鹿児島県の鹿児島湾(錦江湾)にある東西約12km、南北約10km、周囲約55km、面積約77km²の火山島。かつては文字通り島であったが1914年(大正3年)の噴火により大隅半島と陸続きとなった。

 桜島はいくつかの火山や側火山からなる活火山で、1日最高7回も噴火する。約2万6千年前に鹿児島湾内の海底火山として活動を開始した活火山によって形成された、地質学的には比較的新しい火山である。

 その山としての新しさ、有史以来頻繁に繰り返してきた噴火の記録、現在もなお活発な活動を続けている事実の全てが、学術的にも観光資源としてもたいへん重宝されており、日本国内のみならず、世界的に有名な活火山となっている。海の中にそびえるその山容は特に異彩を放っており、鹿児島のシンボルの一つとされる。

 その桜島の昭和火口で8月18日午後4時31分、爆発的な噴火が発生し、大きな噴石が山の3合目まで飛んだほか、噴煙が火口から5000メートルの高さにまで上がった。


 噴火に伴って、小規模な火砕流が火口の南東およそ1キロまで流れ下ったのが確認された。火山灰は北西の方向に流れて午後5時前には、鹿児島市の中心部付近で降り始めた。

 桜島の昭和火口で高さ5000メートルの噴煙が確認されたのは、気象台が昭和30年に観測を始めてから初めてだという。

 桜島は、ここ数年、活発な活動が続き、今回の噴火で、ことしの桜島の爆発回数は500回に達した。気象台によると、これまでのところ、大規模な噴火が起きる兆候は見られないということだ。

 ただ、地下深くにある「マグマだまり」にはマグマの供給が続いているとみられ、気象台は今後も火山活動に注意するよう呼びかけている。(NHKnews 2013年8月18日)


 桜島の噴煙、高さ5千メートルに 昭和火口で過去最高
 鹿児島市の桜島・昭和火口(標高約800メートル)で18日午後4時31分に爆発的噴火があり、噴煙が高さ約5千メートルに達した。鹿児島地方気象台によると、昭和火口としては2006年6月の観測開始以降で最高の高さ。噴火は今年500回目となった。桜島では2000年10月、南岳山頂火口の噴火で観測された高さ約5千メートルの噴煙が過去最高だったが、これに並んだ。

 18日の噴火では、大きな噴石が約1800メートル離れた3合目に落下したほか、小規模の火砕流が火口から南東約1キロ地点まで流れた。鹿児島県警などによると、火口から約2.5キロ先に住宅があるが、被害は確認されていない。

 噴煙は風で北西方向に流れ、鹿児島市などに大量の灰が降った。線路に積もった灰を取り除くためJR日豊線が一部区間で運転を一時見合わせ、約500人に影響した。(産経news 2013.8.18)


 大量の灰にうんざり 噴煙5千メートルの桜島噴火
 噴煙の高さが約5千メートルに達した鹿児島市の桜島・昭和火口(標高約800メートル)の爆発的噴火から一夜明けた8月19日午前、市民は道路や店舗前に積もった大量の灰の掃除に追われた。

 鹿児島市は午前7時から繁華街・天文館を中心に、ロードスイーパーや散水車など約60台をフル稼働させ、除去作業に当たった。車の往来で灰が舞い上がり、アーケードが併設された商店街にもうっすらと積もり、ほうきで掃いたり、水を流したりする人の姿が見られた。

 薬局の女性従業員(50)は水で灰を流しながら「普段やらなくてよい仕事が増え、うんざり」とこぼした。立体駐車場の男性従業員(52)は「清掃は朝から2回目。掃除しても舞い上がってすぐに積もり、切りがない」と疲れ気味。

 鹿児島地方気象台は桜島に職員を派遣し、降灰の影響や規模を調査している。(産経news 2013.8.19)

 桜島については、7月10日に、観測史上3番目の噴煙が3400メートルまで上がったばかり。活動が活発になっていた。鹿児島気象台によると、これまでの記録で、噴煙が最も高かったのは2009年4月9日の4千メートルだった。(産経news 2013.7.10)


 桜島とは何か?
 約2万9千年前、姶良カルデラで発生した入戸火砕流と姶良Tn火山灰の噴出を伴う巨大噴火(姶良大噴火)によって現在の鹿児島湾の形が出来上がった。桜島はこの巨大カルデラ噴火の後に火山活動を始めた。

 約2万6千年前、鹿児島湾内の海底火山として活動が始まり、安山岩やデイサイト質の溶岩を流出しながら大きな火山島を形成していった。約1万3千年前には北岳が海上に姿を現し、この頃に北岳から噴出した火山灰の地層は九州南部に広がっておりサツマ火山灰と呼ばれている。噴火活動は約4500年前から南岳に移行した。

 有史以降、30回以上の噴火が記録に残されており、特に文明、安永、大正の3回が大きな噴火であった。『薩藩地理拾遺集』においては708年(和銅元年)、『薩藩名勝考』においては716年(霊亀2年)、『神代皇帝記』においては717年(養老元年)、『麑藩名勝考』や『三国名勝図会』においては718年(養老2年)に桜島が湧出したとの説が紹介されている。

 現実的にはこの年代に桜島が形成されたとは考えられず、これらの説は桜島付近で起きた噴火活動を指すものとされる。『続日本紀』の764年(天平宝字8年)の箇所に「麑嶋」(鹿児島)における噴火の記述があり、鹿児島湾海上において大音響や火焔とともに3つの島が生成したとされている。


 大正大噴火
 1914年(大正3年)1月12日に噴火が始まり、その後約1か月間にわたって頻繁に爆発が繰り返され多量の溶岩が流出した。一連の噴火によって死者58名を出した。

 流出した溶岩の体積は約1.5km3、溶岩に覆われた面積は約9.2km2、溶岩流は桜島の西側および南東側の海上に伸び、それまで海峡(距離最大400m最深部100m)で隔てられていた桜島と大隅半島とが陸続きになった。

 また、火山灰は九州から東北地方に及ぶ各地で観測され、軽石等を含む降下物の体積は約0.6km3、溶岩を含めた噴出物総量は約2km3(約32億トン、東京ドーム約1,600個分)に達した。噴火によって桜島の地盤が最大約1.5m沈降したことが噴火後の水準点測量によって確認された。

 この現象は桜島北側の海上を中心とした同心円状に広がっており、この中心部の直下、深さ約10kmの地中にマグマが蓄積されていたことを示している。


 昭和噴火
 大正大噴火が終息した後しばらく穏やかな状態となっていたが、1935年(昭和10年)、南岳東側山腹に新たな火口が形成され断続的に噴火を繰り返すようになった。1939年(昭和14年)11月の噴火において熱雲(火砕流)が観察されている。

 1946年(昭和21年)1月から爆発が頻発するようになり同年3月9日に火口から溶岩の流下が始まった。大正大噴火とは異なり噴火前後の有感地震はほとんどなかった。3月11日夜から連続的に噴火するようになり、対岸の加治木町(後の姶良市)や国分町(後の霧島市国分)から火柱が観察されている。大量の火山灰を噴出し、牛根村(後の垂水市牛根)では3センチメートルの厚さに降り積もった。火山灰の影響で同年5月に持木・野尻地区でたびたび洪水が発生している。

 溶岩流は鍋山付近で南北に分流し北側は黒神地区の集落を埋めつつ4月5日に海岸に達した。南側は有村地区を通過し5月21日に海岸に達した。死者1名、噴出物総量は約1億立方メートルであった。この噴火は同年11月頃に終息したが、その後も散発的に噴火が起きている。(Wikipedia)


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