M8.2 チリ巨大地震で津波注意報
今朝、起きて驚いた人も多かっただろう。津波注意報が太平洋沿岸に出ていたからだ。
ニュースを聞くと、南米チリ北部沖で日本時間4月2日朝に起きたM8.2の巨大地震で、気象庁は3日午前3時、北海道から千葉県までの太平洋沿岸と伊豆諸島、小笠原諸島に津波注意報を発表していた。
津波の予想高はいずれの地域も1メートル。第一波の到達は最も早い北海道東部で午前5時、北海道中部、青森、岩手、宮城、茨城、千葉の各県と小笠原諸島が同5時半、北海道西部と福島県、伊豆諸島が同6時。
気象庁は「海での作業をやめて、海岸や河口付近から離れて身を守ってほしい。第一波から数時間後により大きな波が来る可能性もあり、注意が必要だ」と呼びかけた。東日本大震災の被災地で護岸施設や堤防が復旧していない地域では、陸上に浸水する可能性もあった。
また、注意報が出されなかった神奈川県以西の太平洋沿岸でも20センチ未満の海面変動が予想されていた。
津波といえば、つい先日東日本大震災から3年の慰霊祭が各地で行われたばかり。そして、チリ地震といえば、1960年のチリ大地震がまだ記憶に新しい。この地震は史上最大規模M9.3の巨大地震だ。この地震は遠く離れた日本にも大きな被害を与えた。
まさか、日本は揺れなかったのに津波が襲ってくると考える人はまだ少なかった。地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大で6.1mの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、日本の各地に被害をもたらした。死者行方不明者は、142名、負傷者855名、建物被害46,000棟にのぼった。気象庁はこの津波をチリ地震津波と命名した。
巨大地震には何らかの前兆があった
今回のチリ地震の津波注意報は3日午後6時にすべて解除された。3日朝から東北の太平洋沿岸など各地で観測された津波は、岩手県の久慈港では午後0時22分に60センチを記録したのが最高だった。
実は今回の地震実はその前兆があった。先週からチリの沖合で強い地震が連日連夜発生していたのだ。チリの地震観測所によると、この一週間で観測した地震の回数は300回を超えた。
その内、40回以上の地震はマグニチュード5前後のかなり強い地震で、先週末に発生したマグニチュード6クラスの地震では停電が発生していた。こんなに多数の地震が発生するのは異例の事態で、東日本大震災前の三陸沖と非常に似ていると言える。
アメリカ地質調査所の発表している地震履歴を見てみても、チリ沖が地震のアイコンで埋め尽くされるほどの事態になっており、チリの地震学者も「これは大地震の予兆かもしれない」と述べていた。 東日本大震災の時は本震が発生する2日前に三陸沖でマグニチュード7の前震が発生し、その後はマグニチュード5クラスが数十回発生。そして、3月11日に本震が発生した。
今回もそれと類似していた。チリでは1960年に「マグニチュード9.5」という有史以来最大規模の地震を観測。マグニチュード9.5という数字は、東日本大震災の数倍に匹敵するエネルギーを持っている規模。今回はM8.5で、津波の被害もたいしたことはなかったが、今後も用心に越したことはないだろう。
チリ北部でM8.2の地震 日本へ津波到達の恐れ
南米チリ北部で現地時間1日午後8時46分(日本時間2日午前8時46分)ごろ、大きな地震があった。米地質調査所によると、地震の規模を示すマグニチュード(M)は8.2。震源地は、北部の都市イキケ沖の北西約95キロで、深さは約10キロと比較的浅い。
米海洋大気局(NOAA)の太平洋津波警報センターは、チリ、ペルー、エクアドル沿岸に津波警報を発令。イキケで2メートル超、北に約70キロ離れたチリのピサグアでも2メートルの津波が観測されたほか、ペルー南部のマタラニでも50センチ超が観測された。
チリ政府は、地震発生から間もなく沿岸部全域に避難命令を出し、車を使わずに避難するよう呼びかけた。地元紙テルセラは死者5人が確認されたと報じ、負傷者も一部で出ている模様だ。現地では余震が続き、チリ政府は1日深夜、少なくとも6時間は避難を続けるよう呼びかけた。
日本の外務省によると、震源地に近いチリ北部やペルー南部に日本人の在住者が数十人おり、現地の大使館が安否を確認している。世耕弘成官房副長官は2日の記者会見で、日本人が被害に遭ったという情報は寄せられていないと話した。
イキケの警察によると、地震発生時、突然、建物の扉や街灯が大きく揺れた。避難命令が出されると、住民らは走って避難し、一部でパニック状態になる人も見られたという。
同市では、空港への航空機の発着が見合わされた。また、地震の混乱の中で刑務所から受刑者約300人が逃走したとの情報があり、政府は警察や軍を現地に派遣し治安維持にあたるとして平静を呼びかけた。
チリでは2010年にもマグニチュード8.8の地震により津波が発生しており、建物崩壊などを含め約450人が犠牲になっている。今年は3月16日にイキケ沖でM6.7の地震が発生し同市を含む3市の住民約10万人に避難命令が出されていた。その後も北部では数百回の地震が頻発していたという。
気象庁は日本への津波の影響は「調査中」としているが、太平洋の広い範囲で津波が発生する可能性があるとして、今後の情報に注意するよう呼びかけている。仮に日本に津波が到達する場合は、3日午前6時ごろに北海道東部に第1波が達するという。
2010年2月にチリ中部沿岸で起きたマグニチュード(M)8.8の地震では、気象庁は大津波警報を発表。発生からおよそ22時間後に北海道根室市に30センチの津波が到達し、それからさらに3時間以上経って岩手県や高知県を1.2メートルの津波が襲った。
1960年のチリ地震(M9.5)でも、発生から22時間以上経って日本の太平洋岸を1~4メートルの津波が襲い、三陸沿岸を中心に142人の死者・行方不明者が出た。同庁は「第1波の後にさらに大きな波が来ることも多い。津波情報の更新に十分注意してほしい」としている。(asahi.com 2014年4月2日)
1960年チリ巨大地震
1960年のチリ地震(Gran terremoto de Valdivia)は、同年5月、チリ中部のビオビオ州からアイセン州北部にかけての近海、長さ約1,000km・幅200kmの領域を震源域として発生した超巨大地震である。地震後、日本を含めた環太平洋全域に津波が襲来し、大きな被害が発生した。
地震の発生時刻は現地時間の5月22日15時11分14秒、震源はチリ中部の都市バルディビア近海で、規模は表面波マグニチュード(Ms)で8.3 - 8.5、モーメントマグニチュード(Mw)では金森博雄の推定によると9.5である。Mw9.5という値は、近代地震学の計器観測史上で世界最大であり、歴史地震を含めても最大級である。長さ1,000km、滑り量10mを越える断層が活動したと考えられ地震モーメントM0は 2.0×1023N・m (2.0×1030dyn・cm) に達すると推定される。
日本の東北地方海岸に到達した験潮所波形の数値解析によれば、長さ850km、幅180km、滑り17m、傾斜角20°の低角逆断層モデルが東北沿岸の津波を最も再現できるとされる。
最大震度は、日本の気象庁震度階級で震度6相当とされている。まず前震がM7.5で始まりM7クラスの地震が5~6回続いた後、本震がMs8クラスで発生した。また余震もM7クラスであったために首都のサンティアゴ始め、全土が壊滅状態になった。地震による直接的な犠牲者は1,743名。負傷者は667名。
前日には単独でも巨大地震といえる前震も発生したが、M7を超える余震は3つのみにとどまっている。
日本はチリから見て地球の真裏近くに有り津波が収斂しやすい位置関係であったため、他の太平洋沿岸地域と比べ被害が大きかった。地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大で6.1mの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、日本の各地に被害をもたらした。気象庁はこの津波をチリ地震津波と命名した。
津波による被害が大きかったのはリアス式海岸の奥にある港で岩手県大船渡市では53名、宮城県志津川町(現南三陸町)では41名、北海道浜中町霧多布地区では11名が死亡。浜中町では1952年の十勝沖地震でも津波被害を受けており、2度にわたって市街地は壊滅的な被害を受けた。
街の中心でもある霧多布地区はこの津波により土砂が流出し、北海道本島より切り離され島と化した。現在は陸続きだった所に2つ橋が架けられており、本島と行き来が出来る。1つは耐震橋、もう1つは予備橋で橋が津波で流出する恐れがあるためと避難経路を2路確保するためである。東北地方太平洋側のほか、伊勢湾台風の被災から間もない三重県南部も津波被害を受けた。
また、同じく度重なる津波被害を受けた岩手県田老町(現宮古市)では高さ10mの巨大防潮堤が功を奏し、人的被害は2011年の東日本大震災が発生するまでは皆無であった。この田老町の防災の取り組みを取り入れ浜中町に防潮堤が建設される。北海道の防潮堤については後の北海道南西沖地震で津波による人的被害の甚大な奥尻島などでも建設された。(Wikipedia)
引用元 Wikipedia:チリ地震(1960年) asahi.com:チリ北部でM8.2の地震 日本に津波到達の恐れ
三陸海岸大津波 (文春文庫) | |
クリエーター情報なし | |
文藝春秋 |
2005地球大変動―洪水 巨大津波 激震 大噴火 (Newtonムック) | |
クリエーター情報なし | |
ニュートンプレス |
��潟�<�潟��