分子軌道法による化学結合・電子構造に関する研究
物質が原子から分子になるとき、原子核や電子はどのように状態を変えるのであろうか。例えば二酸化炭素は、酸素と炭素の化合物であるが、とても二酸化炭素から炭素や酸素をイメージすることはできない。まったく別の物質である。だから原子や分子を超えた微小なレベルでは、電子や原子核の状態が炭素や酸素とは違った状態になっていることは想像できる。
化学は物質の構造や反応を取り扱う学問で、原子や分子といったミクロの世界が主な研究対象である。その中で最も小さな物質、例えば原子核や電子中性子といったものを扱うのが「量子化学」と呼ばれる分野だ。これは物理学の中の量子力学の理論を「化学」に対して応用するものである。最先端の現代化学を理解するためには、物理学の量子論の理解も必要といえる。マリケンの研究分野はこの量子化学であった。
マリケンはマサチューセッツ工科大学で学び、シカゴ大学ハーバード大学で当時の量子力学の研究者たちと研究に従事した。水素分子はH2、すなわち水素原子2個が結合している。原子核の周りを飛ぶ電子の軌道については1927年、ヴァルター・ハイトラーとフリッツ・ロンドンによって「原子価結合法」(VB法)が提案された。

電子は原子に対して周回しているというものである。これに対してマリケンはドイツのフリードリッヒ・フント教授と「フント・マリケンの理論」を示す。分子全体に対して電子が飛んでいるという考え方だ。原子と電子の結合のエネルギーを理論的に計算するには後者の方がより説明がつくことから、この理論が主流になっていき、「分子軌道法」(MO法)と呼ばれるようになる。
マリケンはさらに、他の分子や、分子内のエネルギー移動、、電子移動などについて研究を続ける。分子の状態を計算できるようにした彼の研究は、その後さまざまな研究や産業に貢献する。
この業績により、米国の化学者ロバート・マリケンは、1966年のノーベル化学賞を受賞する。受賞理由は「分子軌道法による化学結合および分子の電子構造に関する研究」である。
ロバート・マリケン
ロバート・サンダーソン・マリケン(Robert Sanderson Mulliken, 1896年6月7日- 1986年10月31日)はアメリカの化学者である。分子軌道法による化学結合および分子の電子構造に関する研究により、1966年ノーベル化学賞を受賞した。
マサチューセッツ州ニューベリーポートに生まれた。父親のサミュエル・マリケンもマサチューセッツ工科大学の有機化学の教授であった。マサチューセッツ大学を卒業した。卒業時は第1次世界大戦にアメリカが参戦した時期であったので、ワシントンの大学でジェームス・コナントのもとで毒ガスの研究を行った。9ヶ月後徴兵されたが軍でも同じ仕事についた。
戦争が終わった後ゴムに亜鉛酸化物やカーボンブラックを添加する実用的な研究を行っていたが、飽き足らず、シカゴ大学の大学院に進学した。
シカゴ大学ではロバート・ミリカンのもとで、水銀の同位体の分離の研究を行った。1925年から1927年までヨーロッパに留学し、当時の量子力学の研究者たちと研究した。1927年には、フリードリッヒ・フントと分子軌道法に関するフント-マルケンの理論を示した。
1926年から1928年までニューヨーク大学の物理学科で教え、物理学者としても認められたが、物理と化学の境界領域を研究した。分子の電子構造はハイトラーとロンドンによって1927年に水素分子について計算された。スレーターとポーリングによって原子価結合法に改良された。
マリケンはレナード=ジョーンズが行った量子力学的取り扱いを用いて、分子軌道法の適用範囲を拡大した。1934年に電気陰性度のマリケンの定義を提案した。
彼は分子構造の理論に興味を持ち、それを量子力学で扱うため、分子軌道関数に置換し研究を行った。分子軌道関数とは、分子内の電子を各原子に属するものとしてではなく、むしろ分子全体に広がったものとしてとらえ、分子関数的な範囲での軌道運動を考えて関数を割り出す方法である。彼はこれを電子構造に関する諸問題に応用、電子スペクトルの系統化、分子の双極子モーメント、共役二重結合系の電子の動きなどを論じ、また分子間の電荷移動の考えを述べて分子化合物に特有な問題をあげ説明した。
これらの研究により、論点の多かった分子構造の研究が大きく進展したといえる。その貢献は高く評価され、各種の賞を得たのち、1966年ノーベル化学賞が贈られる。授賞理由は「化学結合および分子の電子構造に関する基礎的研究」である。彼は実験よりも理論から結論を導き出すタイプで、純理論で化学賞を受けたのはJ・H・ファント・ホッフに次いで2人目である。
1931年から1985年までシカゴ大学の教授を務めた(1961年からは distinguished professor )。1953年には、国際理論物理学会 東京&京都で来日した。
原子価結合法(VB法)とは何か?
量子化学において原子価結合法(valence bond theory: VB法)とは、化学結合を各原子の原子価軌道に属する電子の相互作用によって説明する手法である。
1916年、G・N・ルイスは、化学結合が2つの共有された結合性電子の相互作用によって形成されると提唱し、ルイス構造として分子を描写した。1927年、量子力学的考察に基づいて水素分子H2の結合特性の計算を初めて可能にしたハイトラー–ロンドン理論が立てられた。
具体的には、ヴァルター・ハイトラーが、共有結合を作るためにどのように2つの水素原子波動関数を合わせるかを示すために、シュレーディンガーの波動方程式(1926年)をどのように使うかを決定した。
ハイトラーは同僚のフリッツ・ロンドンを呼び出し、彼らは一晩中理論の詳細を練り上げた。後に、ライナス・ポーリングは共鳴(1928年)と軌道混成(1930年)というVB法における2つの重要な概念を生み出すためにハイトラー-ロンドン理論とルイスの対結合の考えを使った。
また、ジョン・スレーターとライナス・ポーリングによって多原子系に拡張された。そのため、ハイトラー・ロンドン・スレーター・ポーリング法、略してHLSP法と呼ばれることもある。著名な『Valence』(1952年)の著者であるチャールズ・クールソンによれば、この時代が「現代原子価結合理論」の幕開けとなった。それ以前の古い原子価結合理論は本質的に、波動力学以前の用語で書かれた原子価の電子論であった。
共鳴理論は1950年代にソビエトの化学者らによって不完全であるとして批判された。
原子価結合法の発展
原子価結合法を第2周期以降の元素を含む分子に応用すると問題が生じる。例えばメタンの4本のC-H結合が等価であることを説明できない。なぜなら、電子が原子軌道に局在化しているならば、炭素の4つの価電子のうち1つの電子は2s軌道に、残り3つは2p軌道に属することになり等価でないからである。
そこで分子を形成する際には2s軌道と2p軌道が混じり合って再分配され新しい4つの等価な軌道を生じると考える。この新しく生じた軌道が「混成軌道」と呼ばれるものである。
メタンの場合s軌道1つとp軌道3つが混成軌道をつくるのでsp3混成軌道という。エチレンの炭素原子のように二重結合を持つ原子ではsp2混成軌道、アセチレンの炭素原子のように三重結合を持つ原子ではsp混成軌道を考える。
また、1,3-ブタジエンやベンゼンのような共役系を持つ分子についても問題があった。これらの分子ではπ電子の非局在化が安定化に寄与している。これは各原子に電子が局在化していると考える原子価結合法と本質的に矛盾している。これに対しては複数の極限構造間の共鳴という形で説明することになった。
原子価結合法の概念はそれまでの化学結合論の延長上にあるため当時の化学者に受け入れやすかった。しかし量子化学計算に応用するには複雑な理論となってしまった。そのため量子化学計算が盛んになってくると分子軌道法が主流となっていった。
原子価結合法の現在
現代の原子価結合法は分子軌道法を補完する。分子軌道法は分子内の2つの特定の原子間に局在した電子対という原子価結合の考えに固執せず、分子全体にわたって広がりうる分子軌道群に電子が分配されると考える。
分子軌道法が磁気特性やイオン化特性を直接的に分かりやすく予測することができるのに対して、原子価結合法は似た結果を与えるがより複雑なやり方が必要である。現代原子価結合法は芳香族的特性をπ軌道のスピン結合によるものと見なす。
これは本質的にはケクレ構造の間の共鳴という古い考え方のままである。対照的に、分子軌道法は芳香族性をπ電子の非局在化として見る。原子価結合の取り扱いは比較的に小さい分子に制限される。
これは主に原子価結合軌道間、 ならびに原子化結合構造間の直交性の欠如のためである(それに対して分子軌道は直交している)。一方で、原子価結合法は、化学反応の経過中に結合が切断ならびに形成される時に起こる電荷の再編について分子軌道法よりもはるかに正確な描写を与える。
具体的には、原子価結合法は等核二原子分子の別々の原子への解離を正しく予測するのに対して、単純な分子軌道法は原子とイオンの混合物への解離を予測する(#水素分子の例を参照)。
例えば、二水素についての分子軌道関数は共有原子価結合とイオン性原子価結合を等しく混合したものであるため、2つの水素原子を引き離していった時に、分子が2つの水素原子という状態と水素陽イオンおよび陰イオンという状態が等しく混合した状態へと解離すると不正確に予測してしまう。
現代原子価結合法は、原子軌道の重なりを数多くの基底関数へ拡大された原子価結合軌道の重なりで置き換える。これらの基底関数は1つの原子を中心とした時は古典的な原子価結合描写を与えるが、分子中の全原子を中心とすることもできる。得られたエネルギーはハートリー-フォック参照波動関数に基づいて電子相関が導入された計算から得られたエネルギーに負けない精度を有する。
分子軌道法(MO法)とは何か?
量子化学において、分子軌道法(Molecular Orbital method)、通称「MO法」とは、原子に対する原子軌道の考え方を、そのまま分子に対して適用したものである。
分子軌道法では、分子中の電子が原子間結合として存在しているのではなく、原子核や他の電子の影響を受けて分子全体を動きまわるとして、分子の構造を決定する。分子軌道法はしばしば原子価結合法と比較されることがある。
原子軌道に対応して、分子全体に広がる一電子空間軌道関数である分子軌道によって、分子を構成する個々の電子の状態が記述されると考える。この分子軌道を計算して、分子の電子状態を求める方法が分子軌道法である。
分子軌道法は1927年に原子価結合法が成立した後、フリードリッヒ・フント、ロバート・マリケン、ジョン・クラーク・スレイター、ジョン・レナード-ジョーンズらによって開発された。
分子軌道理論はもともと「フント-マリケン理論」と呼ばれていた。「オービタル」という名前は1932年にマリケンによって導入された。1933年には分子軌道法は、有効な理論であると受け入れられるようになった。
ドイツの化学者エーリヒ・ヒュッケルによると、分子軌道法の最初の定量的な利用は1929年のレナード-ジョーンズによって成された。分子軌道波動関数の正確な計算は、1938年にチャールズ・クールソン(英語版)が水素分子について行った。
1950年には、分子軌道は「自己無撞着場ハミルトニアンの固有関数(波動関数)」として厳密に定義され、分子軌道法は厳密でつじつまが合うものになった。この厳密なアプローチは分子におけるハートリー-フォック法として知られている。
分子の計算において、分子軌道は原子軌道基底の観点で拡張され、ルーターン方程式が開発された。これは多くの非経験的分子軌道法の発展につながった。またそれとは別に、半経験的分子軌道法として知られる方法で導かれた経験的なパラメーターを用いる多くの近似法でも分子軌道法は適用される。
参考 Nobelprize.org
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化学結合と分子の構造‐定性的な分子軌道による理解‐ (KS化学専門書) |
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