火星で「太古の生物の痕跡」

 今年、7月31日に地球に大接近する火星が日に日に輝きを増している。将来火星に人類が行く計画も着実に進んでいる。

 そんな時期に、NASA(アメリカ航空宇宙局)は驚くべき発表をした。火星探査機キュリオシティ(Curiosity Rover)が採取した土壌試料の中から、有機物と大気中のメタンを検出したと発表したのだ。これは、火星に生物が存在したという仮説を裏付ける「世紀の大発見」の可能性がある。

 地球外生命の探索では、有機化合物や分子など、生命の基礎構成要素が焦点となる。ただ、こうした有機物などは生命とは無関係に存在することもできる。有機物は過去の生命についての詳細な情報を記録していたり、生命の食料源となっていたりする可能性があり、火星の研究者にとっては「化学的な手がかり」の役割を果たすという。


 一方、メタンは最も単純な有機分子と考えられており、土星と木星の衛星など生命を宿す可能性のある太陽系内の他の場所にも存在する。 今回の発見については、米科学誌サイエンスに6月7日発表された研究論文2本で詳述されている。

 研究者はこれらも併せ、一連の発見が「宇宙生物学の突破口」を開くものになるとの考えだ。 論文の著者でNASAゴダード宇宙飛行センターの太陽系探査部門責任者を務めるポール・マハフィー氏は、「我々は有機化合物をめぐる調査を大幅に拡大させた。有機化合物は生命の存在を探るうえで根本的な要素だ」と話す。

 2つの論文は以前の検出結果に立脚しつつ、これをさらに押し進めたもの。以前の調査でも、火星における大気中メタンや過去の有機化合物を小規模な形で検出していたが、議論を招く内容であったり、理解に必要な文脈を欠いていたりしたという。しかし今回のキュリオシティのデータは、火星上の条件や環境に関して鮮明で決定的な見取り図をもたらしている。今より生命の存在に適した条件がそろっていた数十億年前の火星の様子について、理解が進みそうだ。


 火星で一時的に急増したメタンと有機分子の発見

 実はメタンだけなら、すでに火星の大気に存在することが分かっている。2014年12月、NASAの探査車「キュリオシティ」が火星の大気を20か月かけて調べた結果、メタンの量が、ある期間だけその前後に比べ10倍も増加していることを発表。また、ドリルで穴を開け採取した粉状の岩石サンプルからは、有機分子も検出された。

 「キュリオシティ」は自身に搭載されているサンプル分析器「SAM」を使って、20か月間大気中のメタンを調べた。そして、2013年後半から2014年はじめに、平均7ppb(parts per billion; 10億分の1)という計測結果を計4回得た。実はその前後の数値は、平均でその10分の1しかなかったのである。

 「メタンが一時的に増加したのは、供給源があるからに違いありません。原因として、生物的なプロセス、水と岩石との作用によるものなど、多くの可能性が考えられます」(キュリオシティ・チームの一員で、米・ミシガン大学のSushil Atreyaさん)。

 また、「カンバーランド(Cumberland)」と名づけられた岩石にドリルで穴を開けて採取した粉状のサンプルからは、複数の有機分子も検出された。これは火星の地表における初の決定的な有機分子の発見だ。これらの有機分子は火星で形成されたか、または隕石によってもたらされた可能性がある。

 炭素と水素を含む有機分子は、生命の元となる物質だ。キュリオシティによる大気と岩石サンプルの調査からは、過去において微生物が存在したとまでは言えないまでも、現在の火星が化学的に活性化していること、また過去の火星が生命にとって好ましい環境であったと言えそうだ。

 「火星上の岩石から初めて有機炭素が確認されたことで期待が膨らみます。有機物の存在は重要です。なぜなら、その生成や岩石中に含まれることになった化学的プロセスを知ることができるからです。ゲールクレーターの堆積岩に代表される環境が有機物の蓄積に多少有利であったかどうかは定かではありませんが、地球と火星の違いについても情報が得られるでしょう。目下の大きな課題は、シャープ山において、もっと幅広い多様な種類の有機化合物類を含む岩石を発見することです」(2014年12月NASA Roger Summons)。


 火星探査車「キュリオシティ」

 2012年以来、火星の表面を探査車が走っているのを、皆さんは覚えておられるだろうか?NASAの火星探査車「キュリオシティ」は、私たちの火星観を一変させた。

 そして今回、かつての火星には炭素を含む化合物、すなわち有機分子があったことが明らかになった。有機物は、生命の主な材料になる物質だ。キュリオシティの調査から、火星の表面に大きな有機分子が見つかり、6月8日付け学術誌『サイエンス』に論文が発表された。

 1970年代に始まった火星の有機物探査が、初めて決定的な証拠をつかんだことになる。これまでの実験でも有機物の存在を示唆する結果は出ていたものの、火星の土壌に存在する塩素が、その解釈を複雑にしていた。

 論文の筆頭著者であるNASAのゴダード宇宙飛行センターの生物地球化学者ジェニファー・アイゲンブロード氏は、「火星探査車は、人類がこれまでに宇宙に送り出してきた数々の装置のなかでも群を抜いて複雑なものです。そんな途方もない装置を使えるようになったおかげで、昔は不可能だと思われていた研究もできるようになりました」と言う。「すばらしいスタッフと一緒に、本当に多くのことを発見できました」

 キュリオシティの最新のデータは、約35億年前に火星のゲール・クレーターを満たしていた湖水に、複雑な有機分子が含まれていたことを明らかにした。湖の堆積物からできた硫黄を含む岩石中には、その痕跡がまだ保存されている。この硫黄は、岩石が地表に露出して放射線や過塩素酸塩という漂白剤に似た物質にさらされたときに、有機物を保護する役に立っていた可能性がある。

 今回の結果は、単独では、かつて火星に生命がいたことの証拠にはならない。生物過程によらなくても、同じ分子はできるからだ。しかしこの研究は、少なくとも、火星に生物がいた場合に、その痕跡が長い歳月の間にどのように残存してきたかを示し、未来の火星探査車が生命を探すべき場所を教えるものだ。

 米タフツ大学の化学者で、2008年に火星探査を行ったNASAの探査車フェニックスの主任研究者だったサミュエル・クーネイヴス氏は、「これは重要な発見です」と言う。「火星には、地中に有機分子が良い状態で保存されていそうな場所があるからです」


 火星は呼吸している

 キュリオシティは、過去の有機物だけでなく、現在の火星を漂う有機物の匂いも嗅ぎつけた。冒頭の論文と同じ、6月8日付け『サイエンス』誌に発表された最新の研究は、火星が季節ごとにメタンを「呼吸」していることを示している。メタンは、最も単純な有機分子である。

 現在の火星にメタンがあるのは不思議なことだ。メタンは数百年しか存在できないので、現在の火星で検出されたということは、火星がメタンを補給しつづけていることを意味する。今回の論文の著者で、NASAのジェット推進研究所の科学者であるクリス・ウェブスター氏は、「メタンは火星の大気中にあるはずのないガスなのです」と言う。

 研究者たちは2009年に、火星から数千トンのメタンがランダムに噴出していると報告していたほか、2014年末にはキュリオシティからのデータを調べた研究者が、火星の大気中にメタンが含まれていることを示していた。

  今回のウェブスター氏の研究によると、火星に夏がくるたびに大気中のメタン濃度が約0.6ppb(1ppbは10億分の1)まで上昇し、冬になると、その3分の1の0.2ppbまで低下することが判明した。アイゲンブロード氏は、「地球の大気中にある分子の多くには季節変動がありません。化学成分に季節変動のある惑星なんて、まさに別世界のような話です」と言う。

 ウェブスター氏らは、火星のメタンは地下の深いところで発生していて、表面温度の変動によって立ちのぼってくるのではないかと考えている。冬の間は、ガスはクラスレート(結晶内の分子が作る微小な空間にほかの分子を取り込んでできた化合物)として地下の凍った結晶中に閉じ込められていて、夏になるとこれが解け、解放されるというのだ。

 では、メタンはどのようにしてできたのか? 答えは不明だ。

 ゴダード宇宙飛行センターの科学者で、火星から立ちのぼるメタンを発見したマイケル・ムンマ氏は、「私たちが今日見ているメタンが、現在の蛇紋岩化作用(鉄を含む岩石と液体の水との間で起こる化学反応)の産物なのか、それとも、ある程度深いところで微生物の活動によってできたものなのかはわかりません」と言う。「もしかすると、大昔から蓄えられてきたものが徐々に放出されているのかもしれません」


 火星は冷たくなく、死んでもいない

 専門家は、今回の2つの研究成果を宇宙生物学の画期的な発見として歓迎する。

 米カリフォルニア工科大学の惑星科学者で、火星を専門とするベサニー・エールマン氏は、「火星が今でも生きていることを示す、信じられないくらい嬉しい発見です」と言う。「火星は冷たくなく、死んでもいないのです。おそらく、生命が生きられるギリギリのところにあるのです」。なお、同氏は今回の研究には参加していない。

 しかしウェブスター氏らは、今回の研究は、単独では火星に生命が存在することの証拠にはならないと強調する。「観測結果は生命活動の可能性を否定しませんが、生命が存在することの決定的な証拠でもありません」

 より確実な答えを得るためには、生命の証拠を分子レベルで検出できる高感度の装置を火星に送り込む必要がある。地球上では、生命体はより多くのメタンを生成し、無生物からはエタンが生成されることが知られている。火星でも同様の傾向が見られるなら、生命が存在している可能性は強まるだろう。

 今後のミッションも情報収集に役立つはずだ。欧州宇宙機関(ESA)の火星探査計画「エクソマーズ(ExoMars)」では、2016年3月に周回機「トレース・ガス・オービター」を打ち上げたが、2020年には探査車も打ち上げる予定である。探査車は、ドリルで火星の土を1.8メートル以上掘り、搭載する分析機器でサンプルを調べることができる。また、NASAが進めている火星探査計画「マーズ2020(Mars 2020)」では、将来のミッションで地球に持ち帰れるように、火星で土壌サンプルを集めて梱包することを予定している。

 2016年10月に火星周回軌道に投入されたトレース・ガス・オービターが現在収集しているデータは、将来、科学者たちが火星のメタンの分布地図を作成し、その発生源を特定するのに役立つかもしれない。

 トレース・ガス・オービターのプロジェクト科学者であるホーカン・スヴェデム氏は、「私たちは数週間前から最高感度のモードで測定を始めたところです。現在、メタンに関するデータの抽出に取り組んでいます」と言う。「数週間後には結果を発表できると思います」


参考 National Geographic news:http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/060900191/