人類のがん発生率は何故増える?
言うまでもなく、「がん」は人類の死因第一位である。単純に昨年、1年間にがんになった人の人数(がん罹患数)とがんで死亡する人(がん死亡数)で見てみても、がんは増えていた。この原因は高齢者が増加していることにある。特に人は50歳以上になるとがんになる確率が増えることなどが統計で分かっている。
平成29年の全死亡者に占める割合は 27.8%であり、全死亡者のおよそ3.6 人に1人は悪性新生物(がん)で死亡している。ちなみに心疾患(高血圧性を除く)は、昭和60年に脳血管疾患にかわり第2位となり、その後も死亡数・死亡率ともに増加傾向が続き、平成29 年は全死亡者に占める割合は 15.2%。第3位は脳血管疾患で、全死亡者に占める割合は 8.2 %となっている。
中でも「肺」がんで死亡する人が多く、男性のがんの部位第1位、女性でも第2位が「肺」である。「え?自分はタバコなど吸っていない」という人も多い。これは、受動喫煙で肺がんになるリスクが増えるからだ(受動喫煙のない人と比べて1.5倍~2.0倍)。だから、最近はたばこについての喫煙マナーに関心が高く、政府広報からたびたびCMが流されているわけである。
人類はこんなにも、がんに対して脆弱な状況であるが他の動物はどうであろうか?調べてみると、ゾウやクジラなど巨大な動物がほとんどがんにならないことが知られている。そもそもがんは、遺伝子にダメージを受けた細胞が突然変異して異常増殖することによって起こる。だから、細胞の数の多い動物ほどがんになる確率は高い。
人間の細胞は約30兆個といわれるが、ゾウの細胞は約3000兆個もあるという。細胞の数が100倍もあるのだから、途方もない確率でがんを発症するはずで、すべてのゾウががんで死んでもおかしくない。ところが、動物園で飼われているゾウの死因を調べると、がんで死亡したゾウは4.8%。人間ががんで死ぬ確率は25~30%といわれるのに比べると、驚くほど低い。
巨大な体を持ち、人間同様に70年以上も生きるのに、ほとんどがんにならないゾウの不思議――。この医学と動物学の双方を長年悩ませてきた謎が解明されつつある。がんの原因は、遺伝子の突然変異にあるから、がんを防ぐ原因も遺伝子にあるということが最近分かってきた。
ガンを防ぐ「ゾンビ」遺伝子、ゾウで発見
大きな体と長い寿命を持つにもかかわらず、ゾウがガンになる確率は驚くほど低い。研究者たちは、その理由を解明し、人間のガン治療に役立てたいと考えている。
人間は30兆個ほどの細胞からできている。これらの細胞に加え、さらに多くの微生物が協調することで、心臓が脈打ち、消化系が機能し、筋肉が動いて、人間は活動する。細胞は時間とともに分裂し、新しいものが古いものに置き換わる。しかし、この細胞の入れ替えの過程において、遺伝子のコピーに失敗するのは避けられない。多くの場合、この変異がガンのもとになる。
ということは、細胞の数が多い大きな動物ほど、ガンになる確率が高いはずだ。この理屈に基づけば、小型哺乳類の数百倍も細胞の多いゾウは、ガンになる確率がかなり高いことになる。しかし、実際はそうではない。
その謎を解く新たな手がかりを明らかにした論文が、2018年8月14付けの学術誌「Cell Reports」に掲載された。鍵となるのはゾウの進化の過程で復活を果たした「ゾンビ」遺伝子LIF6だという。
「進化生物学的に見て、とても魅力的な学説です。非常に幸先のよいスタートと言えるでしょう」と、米ユタ大学の小児腫瘍科医のジョシュア・シフマン氏は話す。同時に、発見を裏付けるためにはさらに検証が必要だとし、「これはまだ始まったばかりのことです」とも述べている。なお、氏はこの研究には関与していない。
医者のような役割の遺伝子
生物の大きさとガンになる確率が一致しない現象は、「ピートのパラドックス」と呼ばれている。2015年、シフマン氏の研究グループは、このパラドックスにまつわる重要な発見を発表した。彼らが突き止めたのは、ゾウにはガンを抑制するP53という遺伝子が多いということだった。人間の遺伝子には1組しか存在しないP53が、ゾウにはなんと20組も存在していた。
動物の細胞が分裂するとき、P53は遺伝子の良否を診断する医者のような役割を担う。この点は、人間でも、ゾウでも、他の動物でも変わらない。
「P53はDNAが破損しているかどうかを見分け、どうするかを決めるのです」と話すのは、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の生物学者、エイミー・ボディ氏だ。軽度な問題を抱えた細胞なら修復できるが、破損の度合いが大きい場合は、細胞がガン化するリスクがあるので、P53はその細胞を殺すよう命じるという。氏も同じく今回の研究には参加していない。
今回の論文の著者である米シカゴ大学の進化生物学者ビンセント・リンチ氏によれば、ほとんどの動物では細胞を修復する方法がとられるが、ゾウでは細胞を殺すケースが多いという。「ゾウの場合はとても奇妙なんです。細胞内のDNAを傷つけると、細胞がただ死んでしまいます」。そこでリンチ氏は、理由を突き止めたいと考えた。氏は並行してゾウのP53遺伝子を研究するチームも率いていた。
傷ついた細胞を抹殺する殺し屋
リンチ氏のグループは、アフリカゾウ(Loxodonta africana)と小型哺乳類を対象に、他の遺伝子の違いについても調査を行った。特に注目したのは、複製が多い遺伝子だ。その結果、浮かび上がってきたのが、生殖能力を高める働きのある「LIF遺伝子」の1つ、LIF6だった。
「LIF遺伝子と聞いて少しばかり驚きました」とボディ氏は言う。生殖能力とガン予防はまったく別のことのように思える。しかし、リンチ氏はLIF6には別の機能、つまり傷ついた細胞を殺す役割があるのではないかと考えた。
小さなウサギから巨大なクジラまで、ほとんどの哺乳類にはLIF遺伝子が1組しかない。しかし、ゾウやその親戚、マナティー、ハイラックスなどには、たくさんのLIF遺伝子がある。リンチ氏によれば、ゾウには「数え方によって」7から11組のLIFがあるという。
なかでも、傷ついた細胞を殺す役割と関連があるのはLIF6だけのようだ。そして、これまでのところ、LIF6はゾウからしか見つかっていない。
今回の研究によれば、LIF6がゾウの遺伝子に登場したのは、約5900万年前だという。最初、これは役立たずの壊れた遺伝子でしかなかったようだ。しかし、ゾウの先祖が進化するにつれて、この遺伝子も進化し、やがてゾンビのように蘇った。ゾウがガンに悩まされない大きな体を手にすることができたのも、この復活のおかげかもしれない。
P53が遺伝子の診断を行う医者だとすれば、LIF6は傷ついた細胞を抹殺するいわば殺し屋だ。
リンチ氏のグループは、研究室でアフリカゾウの細胞のDNAを破損して、LIF6遺伝子の機能を調査した。その結果、破損を見つけたP53がLIF6遺伝子を作動させ、LIF6が破損した細胞を殺したと考えられる現象が観察された。しかし、LIF6の動作を抑制したところ、高い可能性で破損した細胞が処分されるというゾウ特有の現象は見られなくなったという。
ガンの克服に向けて
リンチ氏は、ガンを防いでいるのはこのゾンビ遺伝子だけというわけではなく、「LIF6は、もっと大きな仕組みの中で小さな役割を果たしているにすぎません」と言う。シフマン氏も同意見で、「ほぼ確実に、他の発見ももたらされるでしょう」と述べる。同氏のグループも、すでに今年そのような発見を発表している。傷ついた細胞を殺すのではなく、壊れたDNAを修復するゾウの遺伝子についての発見だ。
ゾウのガン予防機能を研究する究極の目的は、人間のガン治療への応用だ。LIF6の進化について、シフマン氏は「5900万年の進化が必要でした」と話す。「私に言わせれば、これは5900万年間の研究開発です。5900万年をかけて、自然がガンを予防する最善の方法を見つけようとした成果のひとつです」
研究者たちは、その叡智に触れることで、ガンを克服する方法を見出そうとしている。(National Geographic 2018.8.20)
がんの発生率の不思議「ピートのパラドックス」
がんはいまだに人類の脅威であり続けている。私たちには数十兆もの細胞があり、それらは新陳代謝を繰り返しているが、その際にコピーミスが起こるとがん細胞が生まれる。ということは、私たち人間よりも体が大きく、細胞の数が多い動物であれば、確率的にはがんになりやすいと考えられる。
しかし、実際には必ずしもそうではない。これは「ピートのパラドックス」と呼ばれている。大きな動物が“がん”になりにくいのはなぜか?
ハンク・グリーン氏「クジラは巨大です。大きさでいえば、シロナガスクジラはこれまでに存在した動物のなかで最大です。ですからクジラは、私たち人間よりもかなり多くの数の細胞を持っています。この事実は、興味あるパラドックス(逆説)へと導きます。」
「ご存知のとおり、細胞は自らをコピーするたびにエラーを起こし、それはがんとなることがあります。ですから多く細胞を持つほど、そしてより長く生きるほど、がんが増える可能性は高まるのです。」
「クジラは私たち人間よりただ大きいだけでなく、通常100年を超えて生きます。こうした話を聞くと、ほとんどのクジラががんを持っているとみなさんは思うでしょうが、実際はそうではありません。」
「大きなクジラがなぜがんにならないのかを私たち人間が理解することができれば、がんの大きな謎のうちのいくつかを解明できるかもしれません。」
がんとは、そのほとんどがコントロールの効かない異常な細胞再生のこと。もし各細胞がなにかしら悪化し、がん腫瘍が増大するきっかけとなるのならば、みなさんはクジラやその他の大型動物が、人間より多くがんにかかると予想する。
しかし研究によると、各種の動物のがん発生率は、個体の大きさや寿命の長さとは関係ないことがわかっている。このパズルは、ピートのパラドックスと呼ばれている。これは、1970年代にはじめてこの考えを述べた英国の疫学者リチャード・ピートから名づけられた。そして現在でもまだ、私たちはこのパラドックスをどのように解決するのかわかっていない。
ハイパー腫瘍という仮説
何人かの研究者たちは、ピートのパラドックスはパラドックスではないと考えている。彼らは、クジラたちが実際にしばしばがんになると考えている。ただ、これらの腫瘍がクジラたちを殺すことはない。なぜなら、ハイパー腫瘍と呼ばれる第2の腫瘍によって破壊されるからだ。
ハイパー腫瘍は基本的に、最初にできた腫瘍に寄生して、その血流供給を自分の食糧源にし、最初の腫瘍を窒息させてしまう。ハイパー腫瘍は悪者そうだが、実はいいものなのだ。
クジラのような巨大な動物にとって、腫瘍が危険なサイズになるまでには多くの時間がかかる。そしてその長い成長期間が、ハイパー腫瘍を出現させることになっているのかもしれない。
だから、大型動物のがん罹患率は実際には少ないのかもしれない。ただ、がんが大きくなって問題化する前に腫瘍は死んで消滅してしまうだけなのだ。
しかし、この見解は、テストを経て証明されたわけではない。また、その他の生物学者らは、最初のがんが形成する前に、クジラがそれを抑えるなにかしらの方法を持っていると考えている。大きなサイズであることが、その方法のうちの1つかもしれない。
大型動物は、メタボ率(脂肪率)が低い傾向にある。つまりそのサイズのわりに、エネルギーを少なく消費している。なぜなら、大型動物は体の大きさに比べて皮膚の部分が少ないため、熱量として失うエネルギーの量を制限できる。
そしてこの低いメタボリズムが、がん増大のきっかけとなる、ダメージを受けた高反応分子をより少なく製造する。しかし、これだけではおそらく、クジラの低いがん罹患率を説明するには不足だろう。
抗がん遺伝子と繁殖力の関係
その他の大きな動物は、より直接的にがんと戦うことを私たちはすでに知っている。ゾウを例にとってみる。哺乳類であるゾウは、人間やクジラと同じ基本的遺伝子セットを共有している。
しかしゾウは、より多くの遺伝子を持つためにゲノムを微調整している。この増えた遺伝子は、がん抑制遺伝子と呼ばれ、腫瘍を抑える。
ゾウは、ダメージを受けた細胞を自己破壊させる遺伝子TP53のコピーを20個持っている。クジラは私たち人間と同様、1つのコピーだけしか持っていない。しかしクジラは、がんを寄せ付けないなにか特別なことをしている可能性がある。
何人かの生物学者は、クジラが人間のものより良いバージョンのがん抑制遺伝子、もしくは私たちがまだ知らない、種特定のがんをつぶす遺伝子を持っているかもしれないと考えている。
クジラやゾウなどの大きな動物が、がんに対抗する特別なパワーを進化させたであろうこと理にかなったことだ。
大きな長命の動物が、数少ない子孫に多くのリソースを費やすことに進化し、その能力を長い期間、若い世代を養育することに割かれたとしたら、がんは大きな問題になるかもしれない。
しかしそこにはトレードオフの関係があります。より有効な抗がん遺伝子は、繁殖力を下げるようだ。なぜなら、細胞のダメージ修復とがん細胞の破壊に使われるエネルギーは、どこからか転用してこなくてはならないからだ。
大型ではない動物には、余分に割り当てる細胞からのがんのリスクは少ない。それは割りに合わない。より多くの子どもを作る利益のほうが、子供たちを育てる機会を得る前にがんが増えるリスクよりも重大なのだ。
こうしたケースから、進化の淘汰圧がより強い抗腫瘍遺伝子を選択しないことにつながったのかもしれない。
研究者たちはこうした考えを深く掘り下げている。なぜなら、クジラを助けているものが、もしかしたら人間を助けることに使えるかもしれないからだ。
例えば、彼ら研究者たちはTP53を研究し続けている。そしてTP53を過剰発現させるため、ネズミを遺伝子改変した。いくつかのケースでは、早期老化といった悪い副作用をもたらした。しかし研究者らは、人間のなかの腫瘍自己破壊ボタンを押すための新しい道を見つけることをあきらめてはいない。
私たちはまだ、シロナガスクジラのどの遺伝子がガンを抑制するのかを完全につかめてはいない。ですがそれを見つけ出すことが、人間の体のなかでガンと戦うことを手助けするそのほかの手段につながるかもしれない。
寿命は長く、細胞数は人間の100倍 それでも「がん」にならないゾウの秘密 2015/10/24 11:45
巨大な体を持ち、人間同様に70年以上も生きるのに、ほとんどがんにならないゾウの不思議――。この医学と動物学の双方を長年悩ませてきた謎がやっと解明された。
2015年10月、米ユタ大学のチームが米医師会雑誌「JAMA」にゾウが持つ、がんに対する防御機能の研究成果を発表したのだ。
進化の過程でがんを寄せ付けない体質をつくってきたゾウ 動物園のゾウの死因、がんは5%未満
その論文内容に立ち入る前に、なぜゾウががんにならないことが不思議なのか説明しよう。そもそもがんは、ダメージを受けた細胞が突然変異して異常増殖することによって起こる。だから、細胞の数の多い動物ほどがんになる確率は高い。人間の細胞は約30兆個といわれるが、ゾウの細胞は約3000兆個もあるという。細胞の数が100倍もあるのだから、途方もない確率でがんを発症するはずで、すべてのゾウががんで死んでもおかしくない。
また、細胞のダメージは加齢が進むとともに増えていく。年を取るとがんになる確率が高まるのはそのためだ。ゾウも人間並みに長く生きるのに、動物園で飼われているゾウの死因を調べると、がんで死亡したゾウは4.8%。人間ががんで死ぬ確率は25~30%といわれるのに比べると、驚くほど低い。
「遺伝子の守護者」が大きな体を守っていた!
研究チームは、人気サーカス団の協力も得て、ゾウの全ゲノムを解析した。特に、がんの増殖を抑制するタンパク質で「遺伝子の守護者」と呼ばれる「p53」に着目した。そして、p53のアミノ酸の配列を決める遺伝子のコピーを調べると、人間ではコピーは2つしか持っていないのに、ゾウは38個も持っていた。これは、ゾウが長い進化の過程で、がんの発症を阻止する遺伝子の追加コピーを次々と作成し、がんにならない体質をつくってきたことを意味する。
また、ゾウの血液と健康な人の血液、そしてがんになりやすい家系の人の血液の3つを比較して免疫能力を調べた。その結果、ゾウはがん化する恐れがある細胞を、いち早く見つけて殺す攻撃的なメカニズムにたけていることが判明した。その能力は健康な人の2倍、がん家系の人の5倍あるという。
チームリーダーのジョシュア・シフマン医師は「ゾウががんにならない仕組みが解明された今、それを人間に応用できないか考えている」と語っている。また、論文の不随筆者である英ロンドン大学のメル・グリーブ博士はこんな皮肉のコメントを寄せている。
「本当の謎は、ゾウに比べ、なぜ人間のがんに対する防御力がこれほど弱く、発症率がこれほど高いかだ。その答えは人間の社会進化が異常に速いことにあるだろう。ゾウは喫煙することも、過剰にカロリーを摂取することもない」
参考 National Geographic news: https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/081700362/
「遺伝子治療」はがんをここまで消してしまった | |
クリエーター情報なし | |
ロングセラーズ |
医学のあゆみ 遺伝子解析研究の新時代 2018年 266巻5号 第1土曜特集[雑誌] | |
クリエーター情報なし | |
医歯薬出版 |
人類はこんなにも、がんに対して脆弱な状況であるが他の動物はどうであろうか?調べてみると、ゾウやクジラなど巨大な動物がほとんどがんにならないことが知られている。そもそもがんは、遺伝子にダメージを受けた細胞が突然変異して異常増殖することによって起こる。だから、細胞の数の多い動物ほどがんになる確率は高い。
人間の細胞は約30兆個といわれるが、ゾウの細胞は約3000兆個もあるという。細胞の数が100倍もあるのだから、途方もない確率でがんを発症するはずで、すべてのゾウががんで死んでもおかしくない。ところが、動物園で飼われているゾウの死因を調べると、がんで死亡したゾウは4.8%。人間ががんで死ぬ確率は25~30%といわれるのに比べると、驚くほど低い。
巨大な体を持ち、人間同様に70年以上も生きるのに、ほとんどがんにならないゾウの不思議――。この医学と動物学の双方を長年悩ませてきた謎が解明されつつある。がんの原因は、遺伝子の突然変異にあるから、がんを防ぐ原因も遺伝子にあるということが最近分かってきた。
ガンを防ぐ「ゾンビ」遺伝子、ゾウで発見
大きな体と長い寿命を持つにもかかわらず、ゾウがガンになる確率は驚くほど低い。研究者たちは、その理由を解明し、人間のガン治療に役立てたいと考えている。
人間は30兆個ほどの細胞からできている。これらの細胞に加え、さらに多くの微生物が協調することで、心臓が脈打ち、消化系が機能し、筋肉が動いて、人間は活動する。細胞は時間とともに分裂し、新しいものが古いものに置き換わる。しかし、この細胞の入れ替えの過程において、遺伝子のコピーに失敗するのは避けられない。多くの場合、この変異がガンのもとになる。
ということは、細胞の数が多い大きな動物ほど、ガンになる確率が高いはずだ。この理屈に基づけば、小型哺乳類の数百倍も細胞の多いゾウは、ガンになる確率がかなり高いことになる。しかし、実際はそうではない。
その謎を解く新たな手がかりを明らかにした論文が、2018年8月14付けの学術誌「Cell Reports」に掲載された。鍵となるのはゾウの進化の過程で復活を果たした「ゾンビ」遺伝子LIF6だという。
「進化生物学的に見て、とても魅力的な学説です。非常に幸先のよいスタートと言えるでしょう」と、米ユタ大学の小児腫瘍科医のジョシュア・シフマン氏は話す。同時に、発見を裏付けるためにはさらに検証が必要だとし、「これはまだ始まったばかりのことです」とも述べている。なお、氏はこの研究には関与していない。
医者のような役割の遺伝子
生物の大きさとガンになる確率が一致しない現象は、「ピートのパラドックス」と呼ばれている。2015年、シフマン氏の研究グループは、このパラドックスにまつわる重要な発見を発表した。彼らが突き止めたのは、ゾウにはガンを抑制するP53という遺伝子が多いということだった。人間の遺伝子には1組しか存在しないP53が、ゾウにはなんと20組も存在していた。
動物の細胞が分裂するとき、P53は遺伝子の良否を診断する医者のような役割を担う。この点は、人間でも、ゾウでも、他の動物でも変わらない。
「P53はDNAが破損しているかどうかを見分け、どうするかを決めるのです」と話すのは、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の生物学者、エイミー・ボディ氏だ。軽度な問題を抱えた細胞なら修復できるが、破損の度合いが大きい場合は、細胞がガン化するリスクがあるので、P53はその細胞を殺すよう命じるという。氏も同じく今回の研究には参加していない。
今回の論文の著者である米シカゴ大学の進化生物学者ビンセント・リンチ氏によれば、ほとんどの動物では細胞を修復する方法がとられるが、ゾウでは細胞を殺すケースが多いという。「ゾウの場合はとても奇妙なんです。細胞内のDNAを傷つけると、細胞がただ死んでしまいます」。そこでリンチ氏は、理由を突き止めたいと考えた。氏は並行してゾウのP53遺伝子を研究するチームも率いていた。
傷ついた細胞を抹殺する殺し屋
リンチ氏のグループは、アフリカゾウ(Loxodonta africana)と小型哺乳類を対象に、他の遺伝子の違いについても調査を行った。特に注目したのは、複製が多い遺伝子だ。その結果、浮かび上がってきたのが、生殖能力を高める働きのある「LIF遺伝子」の1つ、LIF6だった。
「LIF遺伝子と聞いて少しばかり驚きました」とボディ氏は言う。生殖能力とガン予防はまったく別のことのように思える。しかし、リンチ氏はLIF6には別の機能、つまり傷ついた細胞を殺す役割があるのではないかと考えた。
小さなウサギから巨大なクジラまで、ほとんどの哺乳類にはLIF遺伝子が1組しかない。しかし、ゾウやその親戚、マナティー、ハイラックスなどには、たくさんのLIF遺伝子がある。リンチ氏によれば、ゾウには「数え方によって」7から11組のLIFがあるという。
なかでも、傷ついた細胞を殺す役割と関連があるのはLIF6だけのようだ。そして、これまでのところ、LIF6はゾウからしか見つかっていない。
今回の研究によれば、LIF6がゾウの遺伝子に登場したのは、約5900万年前だという。最初、これは役立たずの壊れた遺伝子でしかなかったようだ。しかし、ゾウの先祖が進化するにつれて、この遺伝子も進化し、やがてゾンビのように蘇った。ゾウがガンに悩まされない大きな体を手にすることができたのも、この復活のおかげかもしれない。
P53が遺伝子の診断を行う医者だとすれば、LIF6は傷ついた細胞を抹殺するいわば殺し屋だ。
リンチ氏のグループは、研究室でアフリカゾウの細胞のDNAを破損して、LIF6遺伝子の機能を調査した。その結果、破損を見つけたP53がLIF6遺伝子を作動させ、LIF6が破損した細胞を殺したと考えられる現象が観察された。しかし、LIF6の動作を抑制したところ、高い可能性で破損した細胞が処分されるというゾウ特有の現象は見られなくなったという。
ガンの克服に向けて
リンチ氏は、ガンを防いでいるのはこのゾンビ遺伝子だけというわけではなく、「LIF6は、もっと大きな仕組みの中で小さな役割を果たしているにすぎません」と言う。シフマン氏も同意見で、「ほぼ確実に、他の発見ももたらされるでしょう」と述べる。同氏のグループも、すでに今年そのような発見を発表している。傷ついた細胞を殺すのではなく、壊れたDNAを修復するゾウの遺伝子についての発見だ。
ゾウのガン予防機能を研究する究極の目的は、人間のガン治療への応用だ。LIF6の進化について、シフマン氏は「5900万年の進化が必要でした」と話す。「私に言わせれば、これは5900万年間の研究開発です。5900万年をかけて、自然がガンを予防する最善の方法を見つけようとした成果のひとつです」
研究者たちは、その叡智に触れることで、ガンを克服する方法を見出そうとしている。(National Geographic 2018.8.20)
がんの発生率の不思議「ピートのパラドックス」
がんはいまだに人類の脅威であり続けている。私たちには数十兆もの細胞があり、それらは新陳代謝を繰り返しているが、その際にコピーミスが起こるとがん細胞が生まれる。ということは、私たち人間よりも体が大きく、細胞の数が多い動物であれば、確率的にはがんになりやすいと考えられる。
しかし、実際には必ずしもそうではない。これは「ピートのパラドックス」と呼ばれている。大きな動物が“がん”になりにくいのはなぜか?
ハンク・グリーン氏「クジラは巨大です。大きさでいえば、シロナガスクジラはこれまでに存在した動物のなかで最大です。ですからクジラは、私たち人間よりもかなり多くの数の細胞を持っています。この事実は、興味あるパラドックス(逆説)へと導きます。」
「ご存知のとおり、細胞は自らをコピーするたびにエラーを起こし、それはがんとなることがあります。ですから多く細胞を持つほど、そしてより長く生きるほど、がんが増える可能性は高まるのです。」
「クジラは私たち人間よりただ大きいだけでなく、通常100年を超えて生きます。こうした話を聞くと、ほとんどのクジラががんを持っているとみなさんは思うでしょうが、実際はそうではありません。」
「大きなクジラがなぜがんにならないのかを私たち人間が理解することができれば、がんの大きな謎のうちのいくつかを解明できるかもしれません。」
がんとは、そのほとんどがコントロールの効かない異常な細胞再生のこと。もし各細胞がなにかしら悪化し、がん腫瘍が増大するきっかけとなるのならば、みなさんはクジラやその他の大型動物が、人間より多くがんにかかると予想する。
しかし研究によると、各種の動物のがん発生率は、個体の大きさや寿命の長さとは関係ないことがわかっている。このパズルは、ピートのパラドックスと呼ばれている。これは、1970年代にはじめてこの考えを述べた英国の疫学者リチャード・ピートから名づけられた。そして現在でもまだ、私たちはこのパラドックスをどのように解決するのかわかっていない。
ハイパー腫瘍という仮説
何人かの研究者たちは、ピートのパラドックスはパラドックスではないと考えている。彼らは、クジラたちが実際にしばしばがんになると考えている。ただ、これらの腫瘍がクジラたちを殺すことはない。なぜなら、ハイパー腫瘍と呼ばれる第2の腫瘍によって破壊されるからだ。
ハイパー腫瘍は基本的に、最初にできた腫瘍に寄生して、その血流供給を自分の食糧源にし、最初の腫瘍を窒息させてしまう。ハイパー腫瘍は悪者そうだが、実はいいものなのだ。
クジラのような巨大な動物にとって、腫瘍が危険なサイズになるまでには多くの時間がかかる。そしてその長い成長期間が、ハイパー腫瘍を出現させることになっているのかもしれない。
だから、大型動物のがん罹患率は実際には少ないのかもしれない。ただ、がんが大きくなって問題化する前に腫瘍は死んで消滅してしまうだけなのだ。
しかし、この見解は、テストを経て証明されたわけではない。また、その他の生物学者らは、最初のがんが形成する前に、クジラがそれを抑えるなにかしらの方法を持っていると考えている。大きなサイズであることが、その方法のうちの1つかもしれない。
大型動物は、メタボ率(脂肪率)が低い傾向にある。つまりそのサイズのわりに、エネルギーを少なく消費している。なぜなら、大型動物は体の大きさに比べて皮膚の部分が少ないため、熱量として失うエネルギーの量を制限できる。
そしてこの低いメタボリズムが、がん増大のきっかけとなる、ダメージを受けた高反応分子をより少なく製造する。しかし、これだけではおそらく、クジラの低いがん罹患率を説明するには不足だろう。
抗がん遺伝子と繁殖力の関係
その他の大きな動物は、より直接的にがんと戦うことを私たちはすでに知っている。ゾウを例にとってみる。哺乳類であるゾウは、人間やクジラと同じ基本的遺伝子セットを共有している。
しかしゾウは、より多くの遺伝子を持つためにゲノムを微調整している。この増えた遺伝子は、がん抑制遺伝子と呼ばれ、腫瘍を抑える。
ゾウは、ダメージを受けた細胞を自己破壊させる遺伝子TP53のコピーを20個持っている。クジラは私たち人間と同様、1つのコピーだけしか持っていない。しかしクジラは、がんを寄せ付けないなにか特別なことをしている可能性がある。
何人かの生物学者は、クジラが人間のものより良いバージョンのがん抑制遺伝子、もしくは私たちがまだ知らない、種特定のがんをつぶす遺伝子を持っているかもしれないと考えている。
クジラやゾウなどの大きな動物が、がんに対抗する特別なパワーを進化させたであろうこと理にかなったことだ。
大きな長命の動物が、数少ない子孫に多くのリソースを費やすことに進化し、その能力を長い期間、若い世代を養育することに割かれたとしたら、がんは大きな問題になるかもしれない。
しかしそこにはトレードオフの関係があります。より有効な抗がん遺伝子は、繁殖力を下げるようだ。なぜなら、細胞のダメージ修復とがん細胞の破壊に使われるエネルギーは、どこからか転用してこなくてはならないからだ。
大型ではない動物には、余分に割り当てる細胞からのがんのリスクは少ない。それは割りに合わない。より多くの子どもを作る利益のほうが、子供たちを育てる機会を得る前にがんが増えるリスクよりも重大なのだ。
こうしたケースから、進化の淘汰圧がより強い抗腫瘍遺伝子を選択しないことにつながったのかもしれない。
研究者たちはこうした考えを深く掘り下げている。なぜなら、クジラを助けているものが、もしかしたら人間を助けることに使えるかもしれないからだ。
例えば、彼ら研究者たちはTP53を研究し続けている。そしてTP53を過剰発現させるため、ネズミを遺伝子改変した。いくつかのケースでは、早期老化といった悪い副作用をもたらした。しかし研究者らは、人間のなかの腫瘍自己破壊ボタンを押すための新しい道を見つけることをあきらめてはいない。
私たちはまだ、シロナガスクジラのどの遺伝子がガンを抑制するのかを完全につかめてはいない。ですがそれを見つけ出すことが、人間の体のなかでガンと戦うことを手助けするそのほかの手段につながるかもしれない。
寿命は長く、細胞数は人間の100倍 それでも「がん」にならないゾウの秘密 2015/10/24 11:45
巨大な体を持ち、人間同様に70年以上も生きるのに、ほとんどがんにならないゾウの不思議――。この医学と動物学の双方を長年悩ませてきた謎がやっと解明された。
2015年10月、米ユタ大学のチームが米医師会雑誌「JAMA」にゾウが持つ、がんに対する防御機能の研究成果を発表したのだ。
進化の過程でがんを寄せ付けない体質をつくってきたゾウ 動物園のゾウの死因、がんは5%未満
その論文内容に立ち入る前に、なぜゾウががんにならないことが不思議なのか説明しよう。そもそもがんは、ダメージを受けた細胞が突然変異して異常増殖することによって起こる。だから、細胞の数の多い動物ほどがんになる確率は高い。人間の細胞は約30兆個といわれるが、ゾウの細胞は約3000兆個もあるという。細胞の数が100倍もあるのだから、途方もない確率でがんを発症するはずで、すべてのゾウががんで死んでもおかしくない。
また、細胞のダメージは加齢が進むとともに増えていく。年を取るとがんになる確率が高まるのはそのためだ。ゾウも人間並みに長く生きるのに、動物園で飼われているゾウの死因を調べると、がんで死亡したゾウは4.8%。人間ががんで死ぬ確率は25~30%といわれるのに比べると、驚くほど低い。
「遺伝子の守護者」が大きな体を守っていた!
研究チームは、人気サーカス団の協力も得て、ゾウの全ゲノムを解析した。特に、がんの増殖を抑制するタンパク質で「遺伝子の守護者」と呼ばれる「p53」に着目した。そして、p53のアミノ酸の配列を決める遺伝子のコピーを調べると、人間ではコピーは2つしか持っていないのに、ゾウは38個も持っていた。これは、ゾウが長い進化の過程で、がんの発症を阻止する遺伝子の追加コピーを次々と作成し、がんにならない体質をつくってきたことを意味する。
また、ゾウの血液と健康な人の血液、そしてがんになりやすい家系の人の血液の3つを比較して免疫能力を調べた。その結果、ゾウはがん化する恐れがある細胞を、いち早く見つけて殺す攻撃的なメカニズムにたけていることが判明した。その能力は健康な人の2倍、がん家系の人の5倍あるという。
チームリーダーのジョシュア・シフマン医師は「ゾウががんにならない仕組みが解明された今、それを人間に応用できないか考えている」と語っている。また、論文の不随筆者である英ロンドン大学のメル・グリーブ博士はこんな皮肉のコメントを寄せている。
「本当の謎は、ゾウに比べ、なぜ人間のがんに対する防御力がこれほど弱く、発症率がこれほど高いかだ。その答えは人間の社会進化が異常に速いことにあるだろう。ゾウは喫煙することも、過剰にカロリーを摂取することもない」
参考 National Geographic news: https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/081700362/
「遺伝子治療」はがんをここまで消してしまった | |
クリエーター情報なし | |
ロングセラーズ |
医学のあゆみ 遺伝子解析研究の新時代 2018年 266巻5号 第1土曜特集[雑誌] | |
クリエーター情報なし | |
医歯薬出版 |
��潟�<�潟��