ナスカの地上絵

 ナスカの地上絵(ナスカのちじょうえ)は、ペルーのナスカ川とインヘニオ川に囲まれた乾燥した盆地状の高原の地表面に「描かれた」幾何学図形、動植物の絵。

 1939年6月22日、動植物の地上絵は考古学者のポール・コソック博士により発見される。その後ドイツの数学者、マリア・ライヒェが終生この地に住み着き、彼女を中心として、地上絵の解明作業と、保護が行われるようになった。

 あまりにも巨大な絵が多く、空からでないとほとんどの地上絵の全体像の把握が難しい。なぜこのような巨大な地上絵を描いたのかということが大きな謎の一つとなっている。近年、自動車の侵入による破壊が著しく、消滅の危機にある。


 近年でも新たな地上絵が発見されており、2011年1月18日、山形大学は、人文学部坂井正人教授(文化人類学・アンデス考古学)らのグループがペルー南部のナスカ台地で新たな地上絵2つを発見したと発表した。この地上絵は、人の頭部、動物でナスカ川の北岸付近で見つかった。山形大学は2013年に入って同大はさらに2つ並んだ人物と見られる地上絵を発見した。

 そして今回、2015年には24点もの地上絵が新たに発見されたと発表した。また2019年には143点もの地上絵が新たに発見されたと発表した。

山形大とIBM、AIを活用して新たなナスカの地上絵を発見

 山形大学の坂井正人 教授らの研究グループは11月15日、南米ペルーのナスカ台地とその周辺部で新たに人や動物などの具象的な地上絵142点を発見したこと、ならび日本IBMと共同でAIを活用することで新発見の142点とは異なる地上絵1点を発見したと発表した。

 ナスカ台地の地上絵は、1994年にユネスコの世界文化遺産に指定されたものの、その当時確認されていた動物や植物などの具象的な地上絵は30点程度で、その後、山形大学の踏査によって、2015年までに新たに40点以上の具象的な地上絵が発見されていた。しかし、地上絵の分布調査は未だ不十分であり、ナスカ市街地の拡大に伴い、地上絵の破壊が進むなど、社会問題となっており、地上絵の保護に向けた分布状況の正確な把握が課題となっていた。

 今回、研究グループでは、航空レーザー測量などによって得られた、ナスカ台地全域に関する高解像度の画像分析と現地調査によって、主にナスカ台地西部に分布する複数の小道に沿って、具象的な地上絵が集中的に描かれたという仮説を立て、実際に現地調査を実施。その結果、人や動物などの地上絵を新たに142点発見することに成功したという。

 発見された地上絵は、人間のほか、動物(鳥、猿、魚、蛇、キツネ、ネコ科動物、ラクダ科動物など)がほとんどで、地表に広がる黒い石を除去して、下に広がる白い砂の面を露出することによって制作されていることが確認された。また、これらの地上絵は、線状に石を除去して制作されたタイプのものと、面状に石を除去して制作されたタイプのものに分かれていることも確認。前者は規模が大きいものとなり、全長50mを超すものばかりだという。一方の後者は全長50m以下の小さいものが該当したという。

 もっとも大きな地上絵は全長100m以上、もっとも小さな地上絵は全長5mほどで、大型の地上絵はナスカ前期(紀元100~500年)、小型の地上絵はナスカ早期(紀元前100~紀元100年ころ)に制作されたと考えられ、大型の地上絵は、儀礼場として、土器の破壊儀礼が行われたことを現地調査で確認したほか、小型の地上絵は小道沿いや山の斜面に描かれていたことから、移動する際の道しるべとして利用されたのではないかと研究グループでは説明している。

 また、今回はIBM Watson Machine Learning Community Edition(旧IBM PowerAI)を用いて、山形大が保有するデータの一部の分析を実施。具象的な地上絵の候補を複数得ることに成功。実際に有望な地点を研究グループが現地調査したところ、地上絵1枚を発見することに成功した。

 この地上絵は全長5mほどの小型のもので、2本足で立っている人型であり、ナスカ早期に制作された一種の道しるべであった可能性が高いという。

 なお、山形大と日本IBMは今回の成果を踏まえ、IBMワトソン研究所と共同研究を実施するために2年間の学術協定を締結したとするほか、今後、山形大が過去10年間の現地調査で得てきた膨大なデータを「IBM PAIRS」上で整理し、AIによる分析を予備調査として実施、現地調査とあわせて、地上絵の分布図作成を進めていく予定としている。

 さらに、分布図が完成された後は、世界遺産であるナスかの地上絵の保護活動をペルー文化省と協力して、進めていくとするほか、地上絵の分布状況や、それが利用された年代の詳細を把握することで、地上絵を制作・利用した人たちの世界観に迫ることができるようになるのではないかとしている。

 地上絵の年代は西暦525年頃

 地上絵にはサル、リャマ、シャチ、魚、爬虫類、海鳥類が描かれ、ナスカ式土器の文様との類似点が指摘されてきた。 1953年、コロンビア大学のストロング(W.Duncan Strong)は、パンパ=コロラダに描かれた直線のうち、土中に打ち込まれた木の棒で終わっているものがあるのに気づいた。

 こうした棒のうち一本をC14法で年代測定を行ったところ、西暦525年頃、誤差前後80年程度と判明した。また、1970年代のはじめ、G.S.ホーキンズ(Gerald S.Howkins)は、パンパ=コロラダでたくさんの土器の破片を採集し、ハーバード大学のゴードン・R・ウィリー(Gordon R.Willey)とカリフォルニア大学バークレー校のジョン・H・ロウ(John H.Rowe)に鑑定を依頼したところ、そのうち、85%がナスカ様式の土器だと判明した。

 残りの土器はそれ以後の時代、A.D.900~A.D.1400のものだった。同じ頃、ペルー文化庁のラビーネス(Rogger Ravines)も、パンパ=コロラダの周辺の遺跡から土器片を収集して、観察した結果、全てナスカ様式だった。これは、地上絵の近隣の遺跡は地上絵を描くための一時的な労務者集団の野営地とも考えられている。これらの結果から、時期的には、先行するパラカス文化の終わる紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたものだとほぼ確定されている。

 近年、アメリカの資源探査衛星ランドサットが南緯14度45分、西経75度15分(南緯14度45分 西経75度15分)付近で撮影した画像に、全長50kmにも及ぶ巨大で正確な矢印を発見し、「全長50kmにも及ぶ巨大な幾何学図形が発見」と報告されたが、2009年の科学研究費助成事業報告においてALOS画像報告とともに「送電線」、「道路」と解説されている。

 なぜ地上絵か?さまざまな説

暦法関連説: 地上絵の線についてはマリア・ライヒェが、夏至と冬至に太陽が日没する方向に一致するものがあることを明らかにした。さらにマリア・ライヒェは、平行でない一連の直線は数世紀にわたる夏至と冬至に日没する方向を示していると考えている。また、ホーキンズも線の方向についてコンピューター分析を行ったところ、1年の太陽と月の運行の方向に合うものが偶然と考えられる場合の2倍に達するという結果を得ている。

 このことからナスカの地上絵には暦学的性質があることがわかる。乾燥した南海岸地域の人々にとって夏至と冬至は、雨季と乾季の始まりであり、当然農業を行う時期や祭儀などに深く関連することが推察できる。

 しかし、数百本という線から構成される地上絵で天体の運行と一致する物はあまりにも少ない。暦法関連説では、その一致しない地上絵の説明は全くつかないため、現在この説を単体で支持する学者は多くない。

社会事業説: イリノイ大学のザウデマ(R.Tom Zuidema)のインカ社会についての研究に、次のような事例がある。インカの首都クスコからは、あらゆる方に仮想直線が伸びていて、その位置は、一連の神殿によって示されていた。そして1年中毎日、クスコの住民のうちそれぞれ違う一族がそれぞれ違う神殿を礼拝した。

 クスコの「谷の広場」には、1年の儀式カレンダーが精密に記され、農耕順序や社会的義務や軍事活動などに関する情報は、その都度、クスコの人々に象徴的に伝えられた。またインカの人々は、クスコを「ピューマ」とよび、そこの住民たちを「ピューマの体内の構成員」と呼んだ。谷間の地形によって多少歪んでいるものの、都市計画としては、クスコはピューマに似たプランで築かれている。

 ワリ「帝国」の研究で知られるW.イスベルは、ナスカの地上絵の機能について、この事例が参考になると考えている。また、ナスカの社会には、ワリやクスコのような中央集権的な食料管理制度と食料貯蔵施設がなく、局所的、家族的なレベルで豊作時の食料を保管していたので、豊作時に人口が増え、不作時に死亡者がでやすい状況にあった。

 そのため、豊作だった場合の個人貯蔵分について、大規模な労働力を投入する必要のある儀式活動に注意を向けさせ、祭祀「施設」の「建設」=地上絵を「描く」活動に従事する労務集団に食糧を供給するために強制的に取り立てるシステムができていて不作時に備えていた、とイスベルは考えている。

 そして、一方で、暦に関する資料については、暦を特に天文学的観測と詳しく照合する必要のあるときには、キープによる方法は非実際的で、記録することは難しいと考えられる。このことから、利用可能で最も永続する素材としても地表が選ばれた、と考えている。

 イスベルのこの考え方は、彼がインカや先行するワリの研究から、日本の律令時代の雑徭のような労働力を税として「公共事業」に提供する制度であるミタ制度の先駆と想定していると推測される。

 研究者たちは、「文字を持たない社会がどのように組織を動かすか」という重要な情報を貯えようとする試みが、地上絵に反映されていると考えている。

雨乞い儀式利用説: ナスカの地上絵が作られた理由については、「ナスカの地上絵は一筆書きになっており、それが雨乞いのための楽隊の通り道になった」という、ホスエ・ランチョの説もある。

 ペルーの国宝の壺にもこの楽隊が描かれたものがある。また、現在も続いている行事で、人々は雨乞いのために一列になって同じ道を練り歩く。この道筋としてナスカの地上絵が作られた可能性がある。しかし動物の地上絵の線は幅が非常に狭く、人間が歩行するのには適していない。ゆえにこの説も疑問が残る。

 地上絵の線の上や周辺から、隣国エクアドルでしか取れない貴重なスポンディルス貝(鮮やかな赤い色をしたウミギク科の貝)の破片が見つかっている。当時は雨乞いの儀式でこの貝が使用されたことが他の遺跡研究から分かっている。そのため、ペルー人考古学者のジョニー・イスラも雨乞い説をとっている。

宇宙人説: 地上絵は宇宙船が着陸するときに上空から位置を確認するために描かれたものだ、あるいは宇宙人との交信のために描かれたものだといったような、地上絵が地球以外の文明と何らかの関係があるとする説も依然として根強い人気を持っているのはご存知のとおり。

 今のところ、なぜ、そしてどのようにしてあのような巨大な絵を描いたのかはっきりとはわかっていないし、また意匠などもどことなくミステリアスなものが多いので一応はうなずける。加えて、近年ではランドサットからでないとそれとわからないような大きさの地上絵も確認されているそうだし、そのような新たな事実も宇宙人説の信奉者にとっては自説の裏づけに思える。

引用元 Wikipedia:ナスカの地上絵 マイナビニュース: https://news.mynavi.jp/article/20191115-924104/

  

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