不妊虫放飼
不妊虫放飼(ふにんちゅうほうし)とは、害虫駆除の方法の1つで、人工的に不妊化した害虫を大量に放すことで、害虫の繁殖を妨げる方法である。特定害虫の根絶を目的に行われる。
日本では、沖縄のウリミバエに対してこの方法が行われ、成功を収めている。ウリミバエは腰がくびれ、一見ハチのように見える1cm足らずのミバエで、キュウリやゴーヤーなどウリ類を中心とした果実に親が産卵し、幼虫は果実の内部を食い荒らす。
もともと日本にはいなかったが、台湾から侵入したらしく、20世紀初頭に八重山で見つかり、1970年には沖縄本島周辺の離島である久米島で発見された。このため、沖縄からはウリ類などの本土への出荷ができず、また、このままでは本土への侵入も懸念されることから、復帰記念事業の一つとして久米島でのウリミバエの不妊虫法飼法による根絶が行われることになった。
方法としては、特定の害虫を人工的に増殖し、それを不妊化して野外に放つ。野外にいる害虫が交尾相手に放飼した個体を選んだ場合、子孫が生まれず、害虫個体は減少する。
有効な放飼を十分に続ければ害虫個体数は幾何級数的に減少する。そして、野外個体すべてが不妊化された放飼個体とだけ交尾すれば次世代の害虫の個体数は0になるので、最終的には根絶(地域個体群の絶滅)に持ち込める。現在のところ、特定の害虫を根絶させる方法としては、ほとんど唯一の方法である。
ただし、野生雌の出会う不妊雄の数が少量であれば個体数を減らす効果は得られないため、大量の害虫を生産する必要がある。不妊化には、普通は放射線が使われる。
ハエを10億匹放してハエを根絶
今回、不妊虫放飼で北米からラセンウジバエを根絶することに成功した。
2016年、米国のフロリダキーズ諸島でラセンウジバエが大発生し、絶滅危惧種のキージカが被害を受けた。寄生されたシカは痛みに苦しみ、死に至ることもある。シカたちを救ったのは、米国とパナマ政府による不妊虫放飼プログラムだった。
中米、パナマ運河のすぐ東に、緑の屋根の建物がある。一見、どこにでもある工場のようだが、ここはパナマ政府と米国政府が共同で運営するハエ養殖施設だ。
この施設では、1週間に数百万匹、1年間に10億匹以上のハエを育て、放している。施設内はほのかに腐肉のにおいがする。ハエの幼虫(ウジ)には、牛乳と卵と食物繊維とウシの血液を配合した餌が与えられている。
ここで育てられているのはおなじみのイエバエではなく、生きたウシの体に穴を開けて組織を食い荒らすラセンウジバエである。ラセンウジバエと闘うため、科学者たちは実験室でこのハエを大量に育て、蛹(さなぎ)になったところで放射線を照射して不妊化し、羽化した成虫を中米の原野に放している。
こうした手の込んだ作業で出来上がるのが、目に見えない重要な「壁」だ。壁の存在はほとんど知られていないが、この壁のおかげで、北米と中米の家畜は、パナマ南部のラセンウジバエとその幼虫から数十年にわたって保護されているのだ。
南北米大陸に生息するラセンウジバエは1966年に米国から根絶され、現在は「ラセンウジバエの根絶と予防のためのパナマ米国委員会(Panama-U.S. Commission for the Eradication and Prevention of the Cattle Borer Worm:COPEG)」が北中米への侵入を阻止している。さらにこの手法は、イチゴ、コーヒー豆、綿などを害虫から保護するのにも役立っている。
青い光沢のあるラセンウジバエは、動物の傷口に卵を産みつけ、幼虫はその組織を食べて成長する。この寄生虫は一般的なイエバエの幼虫の約2〜3倍の大きさで、特に家畜の肉を好む。ラセンウジバエの幼虫は、20世紀前半には畜産業に毎年2000万ドルの被害を及ぼした。
「このハエはマダニの噛み跡のような小さな傷口にも産卵できます」と、米国農務省(USDA)ラセンウジバエプログラムの最高責任者バネッサ・デリス氏は言う。ラセンウジバエが体内に侵入すると命に関わることもある。
幸い、科学者たちはこの寄生虫を阻止する方法を発見した。放射線を照射して不妊化したハエを毎週数百万匹ずつ放すことで、米国から中米までのラセンウジバエを根絶したのだ。不妊虫放飼と呼ばれるこの取り組みのために米国とパナマが初めて手を組んでから25年、このプログラムが成功し、人間や動物をこの寄生虫から解放できたことは誰の目にも明らかだ。
不妊化したハエでなぜ根絶できるのか?
USDAのラセンウジバエプログラムの技術責任者パメラ・フィリップス氏は、「このハエの生態は独特なのです」と語る。メスは3週間の生涯に一度しか交尾しないため、交尾するオスが不妊であれば、新たなラセンウジバエの幼虫は生まれない。1つの地域が不妊のオスばかりになれば、最終的にハエは死滅することになる。
この手法は「不妊虫放飼法」と呼ばれ、ザンジバル諸島のウングジャ島からツェツェバエ(アフリカ睡眠病を引き起こす寄生虫を媒介するハエ)を根絶するなど、人間の健康を守るためにも利用されている。
米国政府はラセンウジバエの生物学的弱点を利用し、1966年にこのハエを国内から根絶することに成功した。USDAは、不妊虫放飼法を用いたラセンウジバエの根絶を、過去最大の成功の1つとしている。
米国本土のラセンウジバエが一掃された後も、ハエたちは南へ南へと追い込まれていった。1991年にはメキシコがラセンウジバエから解放され、続いてベリーズとグアテマラが、さらにエルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカでも根絶された。2002年にはパナマが大陸からのハエを締め出した。ラセンウジバエを阻止する壁は、現在はコロンビアとの境界にある。
「このプログラムをパナマで実施できることを誇りに思います」と、COPEGのパナマ側の最高責任者であるパナマ農業省のエンリケ・サムディオ氏は言う。「全世界でここにしかないプログラムです」。
しかし、ラセンウジバエを押さえ込み続けるためには、毎年数十億匹の不妊のオスを放して、繁殖力のある野生のオスを圧倒しなければならない。パナマ南東部のダリエン地峡では、毎週6回、飛行機を使って不妊のハエを放している。
ラセンウジバエの幼虫は肉食性だ。米国のラセンウジバエは1966年に根絶されたが、まだ大発生することがある。国際貿易によりラセンウジバエが海外から持ち込まれる可能性があるため、COPEGの施設では必要に応じて不妊のハエを緊急供給できるように準備している。
フロリダのシカを救う
予備のハエは、2004年と2011年にアルバ島(ベネズエラ沖のオランダ領西インド諸島の島)で発生したラセンウジバエの駆除のために使用されたほか、2016年には米国のフロリダキーズ諸島に生息するキージカという絶滅危惧種の小型のシカを救うためにも使用された。
毎年夏になると、オスのキージカはメスを争って頭をぶつけ合い、首や肩を負傷する。このシカは現在、野生では約1000頭しか残っていないため、健康状態を監視することは重要だ。
2016年の夏、シカたちのけがは治らず、傷口が腐り始めた。多数のラセンウジバエの幼虫が寄生していたのだ。
現場指揮にあたった米国魚類野生生物局のジョン・ウォレス氏は、「非常に恐ろしい状況でした」と言う。
フロリダキーズ諸島に新たなラセンウジバエがどのように侵入したかは不明だが、このハエは子ジカや母ジカに大きな害を及ぼすため、早急に手を打つ必要があった。
9月下旬、救いの神が到着した。USDAの専門家がパナマから1億9000万匹のハエを運んできて、フロリダキーズ諸島のすべての島々に3世代の不妊化したラセンウジバエを放した。同時に、魚類野生生物局、国立キージカ保護区、地元モンロー郡の職員と約200人のボランティアが、寄生虫に感染したシカに治療薬を混ぜた餌を食べさせた。
「ピーク時には1週間に10〜15頭のシカを安楽死させなければなりませんでした」とウォレス氏は言う。「やがて薬が効きはじめ、不妊のハエを放出した効果も出てくると、みるみるうちに終息しました」
3月にはUSDAがラセンウジバエの根絶とキージカの安全を宣言した。「ラセンウジバエのせいで死んだ子ジカや母ジカは1頭もいませんでした」とウォレス氏は言う。「USDAの対応は適切でした」
家畜のほか農作物も守る
不妊虫放飼法は、ラセンウジバエに効くだけではない。私たちがイチゴを食べるたびに、コーヒーを飲むたびに、その恩恵を受けている。
動物よりも果物や野菜に卵を産みつけることを好むハエはたくさんいるからだ。その幼虫は作物をドロドロに腐らせてしまう。
「例えば、チチュウカイミバエは果物と野菜の害虫で、世界で最も大きな被害を及ぼす害虫の1つです」と、USDA動植物衛生検査局のミバエ対策責任者ケン・ブルーム氏は言う。
イエバエほどの大きさのアフリカ原産のこのハエは、輸入される農産物にいわばヒッチハイクしてアメリカ国内に入ってくる。
不妊虫放飼法は、このハエにも有効だ。USDAはカリフォルニアやフロリダなど、チチュウカイミバエがときどき出現する地域で継続的に不妊虫放飼法を実施している。
「すばらしい技術です」とブルーム氏。「私たちは最近、この技術を使って、綿の害虫であるワタキバガの根絶を宣言しました」
これほど重要なプログラムなのに、その内容を知る人はほとんどいない。デリス氏は、パーティーで職業を尋ねられるたびに、自分の仕事を一から説明しなければならない。
「私はそのたびに、自分はパナマで肉食性の虫を大量生産することに人生とキャリアを捧げていると言います。それは、その同じ虫が、家畜や野生動物や人間をむしばむのを防ぐためなのです」(National Geographic 2019.12.6)
不妊虫放飼の条件
不妊虫放飼の方法が使えるには、さまざまな条件がある。
人工的に大量に飼育することが可能であること。野生個体群の個体数を超えるほどの数を生産する必要があるからである。
野外において、その害虫が隔離された場所にいるか、あるいは移動性が低いこと。放飼をしていない地域との個体の行き来があればうまく行かない。この方法は、根絶が出来なければ、ずっと継続しなければならないが、上記のように、規模の大きい作業になり、金もかかるので、根絶することを前提にしなければ成立しない。
成虫が被害を出さないこと。幼虫が害を与えるが、成虫になれば被害を出さないような害虫が対象でなければならない。害虫の個体数が一時的に倍増するような事態が生じるからである。
たとえば幼虫が農業害虫で、成虫が花の蜜を吸うような昆虫であれば問題は生じない。しかし、ハブをこの方法で駆除しようとすれば、被害は激増することになろう。ブラックバスに対してこの方法を使う提案もあったが、不妊化したブラックバスが野外で水生動物を食べるので無理である。
成虫が何度も交尾をするようなものには向かない。雌が数頭を相手に交尾をするとすれば、そのどれかが野生個体であれば子供が出来てしまう。出来れば1回しか交尾をしないか、複数回したとしても、たとえば最後の交尾の時の精子だけが有効になるなどであれば効果が期待できる。
上記のように、かなり条件としては厳しいが、昆虫の場合、親と幼虫の食性の異なるものは少なくない。害虫であれば大量飼育の難しくないものも多い。
この方法では、野外に薬剤を使用しないので環境汚染がないこと(現実には個体数減少をねらって薬剤を使用する場合がある)、薬物抵抗性のように次第に効果がなくなるようなことがないこと、すでに存在する種を放すので外来種を持ち込むような在来の生物群集の攪乱(かくらん)を起こさないこと、同種内の繁殖に関わる構造を壊すだけで他の種類への影響が少ないことなど、優れた特徴がある。
なお、上記の「次第に効果がなくなるようなことがない」は必ずしも正しくない。というのは、放される虫が野外個体と全く同じであれば問題ないのであるが、人工飼育下ではそれが必ずしも保証されないからである。工場施設で大量飼育するためには、自然界と同じ環境が用意されるわけではない。そのため、一定の家畜化のような変化が生じることは十分に考えられる。
不妊虫放飼の歴史
不妊虫放飼法を発案したのは、アメリカ合衆国のエドワード・ニップリングである。彼は北アメリカ南部地方で、幼虫がヒツジなど家畜に寄生して被害を与える、クロバエ科オビキンバエ亜科のラセンウジバエの駆除法としてこれを開発し、1955年にキュラソー島での根絶に成功、アメリカ本土での駆除にかかり、1959年までに、フロリダ地方での根絶に成功した。
なお、この事業は、不妊化に放射線を使うため、“平和のための原子力”の一環としてのデモンストレーション的意味合いがあり、その分野からの後押しが大きかったとも言われる。その後ミバエ類などを対象に、世界の何カ所かで同様の方法での駆除が行われたが、成功したところも、失敗に終わった場合もある。
テキサス州生まれで、大学で昆虫学を専攻したニップリングは、1939年頃、当時画期的だった不妊防除法のアイデアに達した。このアイデアは共同研究者のレイモンド・ブッシュランドによって熱烈に支持されたが、その他の研究者からは一蹴された。第二次世界大戦が始まると、戦場で病気を媒介する蚊やハエの研究に二人とも忙しくなり、アイデアは一度眠ることになる。
終戦後も続けられた核実験に反対する学者の中に、アメリカのハーマン・J・マラーがいた。1927年にショウジョウバエにX線をあてて人為的に突然変異を起こさせた業績でノーベル賞を受賞したが、核爆発によって生ずる放射性物質が、人類に悪影響を及ぼすことを警告したのである。
この警告をきっかけに、マラーを知ったニップリングは、放射線によってハエを不妊化できないかと尋ね、可との返答を受けた。生殖細胞はその他の細胞よりも特に放射線に弱いので、適切な量の放射線を当てればハエの体は元気でも、精子が不妊化するような突然変異を起こすことができる。
1951年、ブッシュランドは5000RのX線またはガンマ線を蛹の時期にあてれば、雄も雌も不妊化できることを明らかにした。その後の結果は上記のとおりで、1959年にフロリダ半島で根絶が成功した。
また、テキサス州を含む南西部の根絶事業は、畜産業者の強い要望と募金活動によって、1964年にはほとんど達成された。しかし、メキシコから絶えずラセンウジバエが入ってくるために完全な根絶は難しく、メキシコで根絶が達成されたのは1990年になってからである。現在はグアテマラで根絶事業が継続中である。
1995年、ニップリング博士はその功績によって「日本国際賞」を受賞するために来日したとき、記者団の「これまでの研究でなにが一番難しかったか」という質問に「根絶事業予算を獲得することだった」と答えている。(Wikipediaより)
参考 National Geographic:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/121500730/
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