BCS 理論とは何か?
1972年ノーベル物理学賞の受賞理由にある「BCS理論」とは何だろうか?
これは超伝導を説明する理論である。「BCS理論」は超伝導理論の研究者「バーディン・クーパー・シュリーファー」の名前から取った理論だ。
超伝導というと次世代の交通機関の動力源であるリニアモーターがある。また、次世代二次電池である超伝導蓄電池がある。これらは極低温下で金属などの電気抵抗が「0」になる現象を利用したものだが、この現象を説明することが科学の課題になっていた。
超伝導の歴史は、1911年にヘイケ・カメルリンク・オネス(1913年ノーベル物理学賞)による発見が始まりであった。オネスは水銀を皮切りとして、錫や鉛においても低温状態における超伝導現象を発見。以来、多くの人が研究に取り組んでいる。
1933年ヴァルター・マイスナーによる超伝導効果の説明(マイスナー効果)、1950年のヴィタリー・ギンツブルク(2003年ノーベル物理学賞)とレフ・ランダウ(1962年ノーベル物理学賞)によるマイスナー効果の補正があったが、決定的な理論化は実現していなかった。
シリコンバレーの研究者
世界的に有名な「シリコンバレー」の重要な産業の発端となった「半導体研究とトランジスタ効果の発見」により1956年にノーベル物理学賞を受賞したバーデーデインは、1951年からイリノイ大学に拠点を移し、超伝導の研究に没頭していた。1955年、プリンストン高等研究所の研究員であったクーパーをイリノイ大学に招いた。
クーパーはコロンビア大学を卒業後、1954年に博士号を取得。バーディンに招かれたクーパーはほどなく「超伝導の環境下では引力が働き、電子は対になる。対になった電子はあたかも単一体のような動きをする」ことを見出す。これを「クーパー対」という。
1953年にマサチューセッツ工科大学を卒業したシュリーファーは、生まれ故郷にあるイリノイ大学の大学院に進み、バーディンの助手となった。彼はクーパー対の性質を包括する式を導き「BCS理論」の完成に大きく貢献した。
電子はマイナスどうしで通常は反発するのだが、超伝導状態では電子は面白いことに凝集することが知られていた。電子には波の性質があり相互に振動を作用させると電子間に引力がはたらくこの引力がクーパー対である。シュリーファーはこのクーパー対の考えを発展させた。
彼ら3人の「BCS理論」の研究によって、超伝導の見本的なメカニズムが解明された。1972年のノーベル物理学賞はその成果であった。だだ、この理論は人類がふだん到達することのない、マイナス270℃の極低温の世界の理論であり、もう少し温度の高いマイナス200℃以上で、人類の実用に耐える高温超伝導では成立しないといわれている。
高温超伝導については、1987年にヨハネス・ベドノルツ(ドイツ)とカール・アレクサンダーミュラー(スイス)の2人がノーベル物理学賞を受賞している。
ジョン・バーディーン
ジョン・バーディーン(John Bardeen, 1908年5月23日 - 1991年1月30日)はアメリカの物理学者。 1956年にウィリアム・ショックレー、ウォルター・ブラッテンとトランジスタの発明によって、さらに1972年にレオン・クーパー、ジョン・ロバート・シュリーファーと超伝導に関するいわゆるBCS理論でノーベル物理学賞を受賞しており、2018年現在、ノーベル物理学賞を2度受賞した唯一の人物である。
1908年ウィスコンシン州のマディソンで生まれた。父親は解剖学の大学教授、母親も教育者の経験があった。バーディーンは早くから数学の才能を示した。
1923年にウィスコンシン大学に入学し(ウォーレン・ウィーバーに師事)、1928年に電気工学科を卒業した後、一時ピッツバーグの石油会社に勤務するが、博士号取得を目指し、プリンストン大学(ユージン・ウィグナーに師事)、ハーバード大学(パーシー・ブリッジマンに師事)で数学・物理学を学んだ。紹介されたジェーンと結婚。
1938年からミネソタ大学の助教授になった。
第二次世界大戦が始まると海軍兵器研究所 (Naval Ordnance Laboratory) に4年勤めた。
1945年10月からベル研究所に入り、1948年ショックレーらとトランジスターの開発に成功した。1956年その功績により1回目のノーベル賞を受賞した。
1951年ショックレーとの仕事から離れイリノイ大学の教授となり、本格的に超伝導理論の研究を開始する。
1953年には、国際理論物理学会・東京&京都に参加し、京都大学で行われた超伝導分科会では、中嶋貞雄(東京大学名誉教授)発表の電子フォノン理論に着目し、米国に帰国後、それをもとに論文、バーディーン-D.パインズ(英語版)理論を発表し、BCS理論論文でも引用している。中嶋を後年イリノイ大学に招待するなど、終生の友情を築いた。
1956年、総まとめとなる超伝導理論に関する文献報告をHandbuch der Physik, 15に発表。
1957年レオン・クーパーをプリンストンから招聘し、大学院生シュリーファーらと組み、超伝導の標準理論、BCS理論を導いた。その功績により1972年2回目のノーベル物理学賞を受賞した。
ゴルフが趣味で、研究の合間には、ゴルフでリフレッシュした。 その後も日本に何度か訪れている。最晩年に日本のテレビ番組であるNHKスペシャル・「電子立国日本の自叙伝」にトランジスター開発当時の証言が収録され、その映像が放映される前に亡くなっている。
息子達も物理学者になった。長男のジェームスは宇宙論、次男のウィリアムは素粒子論が専門。また、長女のエリザベスはMITの物理学者と結婚した。
レオン・クーパー
レオン・ニール・クーパー(Leon Neil Cooper、1930年2月28日 - )は、アメリカの物理学者、ノーベル賞受賞者。
ニューヨーク市生まれ。ユダヤ系。コロンビア大学で、学士、修士、博士号、1954年を取得し、プリンストン高等研究所(Institute for Advanced Study) (1954-55)で研究。バーディーンに招かれ、イリノイ大学研究員(1955-57)として26歳のときにクーパーペア(en)を発見し、超伝導の解明を行う。その後オハイオ州立大学で教鞭をとり、1958年にはブラウン大学に移り准教授になる。1962年に同大学教授となる。
1957年、ジョン・バーディーン、ロバート・シュリーファーとともに超伝導を説明するための微視的理論(BCS理論)を提唱した。超伝導は1911年にヘイケ・カメルリング・オネスによって発見され、多くの研究者の注目を浴びた。その後、数多くの実験的、理論的研究がなされていたが、実験面では多くの成果が得られた反面、理論的な面での解明は遅々として進まずにいた。しかし、46年後のBCS理論によって一応の決着をみることができた。
超伝導状態を実現するためには電子系が何らかの凝集状態にある必要がある。BCS理論では電子-格子相互作用を介して電子同士がフォノンを交換することによって、電子同士に引力が働くと考える。この引力によって生じる電子対をクーパー対(クーパーペア)と言う。
1968年にクーパーとともにコムストック物理学賞を受賞。1972年、BCS理論の功績が認められて、バーディーン、クーパー、シュリーファーの3名に対し、ノーベル物理学賞が授与された。
クーパーはその後ニューラルネットの研究に移った。
ジョン・ロバート・シュリーファー
ジョン・ロバート・シュリーファー(John Robert Schrieffer、1931年5月31日 – 2019年7月27日[1])はアメリカ合衆国の物理学者。超伝導に関する初めての微視的な理論であるBCS理論を提案した業績により、ジョン・バーディーン、レオン・クーパーとともに1972年度のノーベル物理学賞を受賞した。
イリノイ州のオーク・パークに生まれ、1940年にはニューヨーク州のマンハセット、1947年にはフロリダ州のユースティスに転居した。彼の父親は医薬品の販売員をしていた。フロリダでは、彼は電子工学を趣味とし、手作りのロケットやアマチュア無線を作って遊んだ。
1949年にユースティス高校を卒業すると、シュリーファーはマサチューセッツ工科大学に入学し、最初の2年は電子工学を勉強し、後に物理学に転向した。
そして1953年にジョン・クラーク・スレイターの指導の下で重原子の多重線に関する卒業論文を書き上げた。固相物理学への興味から、彼はイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の大学院に進学し、すぐにジョン・バーディーンの助手に採用された。
半導体表面における電子状態の理論的問題を解決すると、彼はその理論を他のいくつかの表面問題に応用した。大学院の3年目、彼はバーディーンとレオン・クーパーが進めていた超伝導の理論化の研究に参加した。
シュリーファーは、1957年1月、ニューヨークの地下鉄に乗っていたときに超伝導状態の原子の基底状態を記述する数学的理論をひらめいたと回想している。共同研究者のクーパーは、超伝導状態にある原子の電子はクーパー対と呼ばれるペアを作って存在し、クーパー対は単一体のように振舞うことを発見していた。
シュリーファーの考案した数学的理論は、それぞれの対ではなく、クーパー対全体を同時に記述するものだった。イリノイに戻った後、シュリーファーがバーディーンに方程式を見せると、バーディーンは即座に、問題が解決したことを理解した。BCS(Bardeen-Cooper-Schrieffer)理論が完成するまでには、さらに30年に及ぶ実験的証拠の積み重ねが必要だった。
超伝導に関する博士論文を書き終えると、彼は1957年から58年まで、米国科学財団のフェローとしてイングランドのバーミンガム大学及びコペンハーゲンのニールス・ボーア研究所で過ごし 、超伝導の研究を続けた。その後シカゴ大学で助手になり、1959年にイリノイ大学に戻ってきた。1960年の夏に彼はアン・グレート・トムセンと婚約し、その年のクリスマスに結婚した。2年後、シュリーファーはフィラデルフィアのペンシルベニア大学に移り、1964年にBCS理論と超伝導に関する本を出版した。
1972年にBCS理論の発展の功績により、ジョン・バーディーン、レオン・クーパーとともに1972年度のノーベル物理学賞を受賞した。1980年にはカリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授に着任し、1984年に総長に昇進した。また、カブリ理論物理学研究所の所長も兼務した。1992年にはフロリダ州立大学名誉教授および国立高磁場研究所の主任研究員になり、物理学の目標の一つである常温超伝導の研究に取り組んだ。
シュリーファーは免許停止中の2004年9月24日にカリフォルニア州オーカットで交通事故を起こし、1人を死亡させ7人に重軽傷を負わせた罪で2005年11月6日に懲役2年の判決を受けた。2006年9月26日、カリフォルニア州サンディエゴのR.J.ドノバン刑務所に収監された。
参考 Wikipedia: レオン・クーパー ジョン・ロバート・シュリーファー ジョン・バーディーン
��潟�<�潟��