健康生活に欠かせないホルモン

 2020年に世界を襲った新型コロナウイルスの問題は、人類の60%以上が免疫を獲得する「集団免疫」にならなければ収束しないという。感染を防ぎながら自然に感染する方法だと、必要な時間は3年~5年の長丁場になる。もちろん犠牲者も相当数になる。ワクチンが早期にできれば、みながワクチンを打って「集団免疫」を早めることができる。

 これまでになかったウイルスが発生しただけで、手も足も出なくなってしまった人類。人体というのはこんなにも弱いものかと、思い知らされた。誰もが健康な状態で天寿をまっとうしたいと願いながら、健康生活については、まだまだ克服せねばならない課題がある。

 1977年のノーベル生理学医学賞はホルモンに関する研究に贈られている。ホルモンは体内に微量しかなくても、健康生活の維持に大きな影響を与える重要な物質で、ノーベル賞の研究テーマの中でも何回も受賞している。

 最初のホルモンが発見されたのは1902年のこと。イギリスの生理学者ウィリアム・ベイリス (William Bayliss) とアーネスト・スターリング (Ernest H. Starling) は小腸粘膜で産生され、血流によって膵臓に運ばれて膵液分泌を促す物質を発見し、セクレチンと名付けた。ホルモンの語はこの2人にによってつけられ、この種の伝達物質を分類するのに用いられた。

 これと前後して、1905年同じイギリスの生理学者エドキンズ(J.S. Edkins)は胃粘膜において胃酸分泌を刺激する物質、ガストリンを見つけた。セレクチン、ガストリンの発見により、生体機能はすべて神経によって支配されているという従来の考え方は大きく変更され、ホルモンという新しい概念が誕生した。

 しかしその後、ホルモンに関する具体的な研究はなかなか進まなかった。なにしろ、ごく微量で標的 細胞を“刺激する(ホルモンのギリシャ語源)”物質というだけあって、血液に含まれる量が非常に少ない。

 種類にもよるが、血液1㏄中に1ピコ、つまり1 兆分の1グラム程度しか存在しないといった物質を探求する研究なのである。たとえば、代表的な“ホルモン臓器(内分泌臓器) ” である下垂体 (脳下垂体) からのホルモン分泌が、脳中枢にある視床下部から出されるホルモンによって制御されている、という事実は1950年代から知られてい た。

 しかし、実際に視床下部ホルモンの一種であ るTRH(甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン)が、ペ プチドホルモンとして分離され、構造が判明したのは 1969年のこと。

 続いて1971年には、やはり視床下部から分泌され る“生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン”として、 LH-RH(黄体形成ホルモン放出ホルモン) が発見された。この探求に功績があったアメリカ人研究者のギル マンとシャリーはノーベル医学・生理学賞を受けることになった。

 1977年ノーベル生理学医学賞の概要

 ホルモンにはペプチドホルモンとステロイドホルモンとアミンがあるが、1977年ノーベル生理学医学賞の受賞研究は「ペプチドホルモン」に関する研究だ。

 タンパク質はアミノ酸が結合したものだが、そのうちアミノ酸の数が少ないものはペプチドと言う。両者に厳密な区別はないが、アミノ酸の数が100を超えると、タンパク質と呼ぶことが多い。

 ペプチドにはホルモンの機能があり、神経伝達物質として働く。成長ホルモン(細胞分裂の活性化、代謝促進)や抗利尿ホルモン(利尿制御し、血管を収縮させて血圧を上げる)などのほか、インシュリン等がペプチドホルモンである。

 ギルマンはフランス生まれの生理学者。ブルゴーニュ大学で医学を学んだ後、モントリオール大学を経て、1953年にヒューストンのベイラー医科大学へ研究の拠点を移した。

 ポーランド生まれのシャリーは、1939年ドイツ軍がポーランド侵入の際に故国を脱出。第二次世界大戦が終わるとイギリスで教育を受け、その後カナダのマルギ大学で内分泌の博士号を取得した。その後アメリカのチューレン大学に移り、国籍をカナダからアメリカへ変更し、ギルマンが籍をおいていたベイラー医科大学に移る。

 ギルマンとシャリーは共同研究者であったが別の道を歩み、激しい研究競争に入る。

 視床(間脳の一部で嗅覚以外の感をつかさどる)下部ホルモンのチロトロピン放出因子の構造決定はほぼ同時に達成、黄体形成ホルモン放出因子(性腺刺激ホルモンの1つ)ではシャディが、ソマトスタチン(成長ホルモンの分泌の制御などの機能)ではギルマンがそれぞれ構造決定に成功した。

 2人の異常なまでのライバル心が、発見のスピードに大きく役立ったと言える。

 ヤローはニューヨーク出身。彼女はブロンクスの退役軍人病院の同僚であったソロモン・バーソンとともに、ラジオイムノアッセイ(RIA)法を開発する。

 これは放射性同位体追跡の技術で、放射免疫測定と呼ばれるものだ。 この特徴としては①微量でもよく反応する「抗原抗体反応」を利用するということ ②抗原を「放射線同位体」で標識する という方法を使う。この方法で血液に含まれる微量の抗原やホルモンなどを測定することが可能になった。

 ELISA (酸素免疫測定)も同じ原理を応用しているが、放射性物質を使わないELISAが現在の主流となっている。

 血液中の微量ホルモンを測定するこの技術の確立は、内分泌学だけでなく、広く医学の発展に寄与したが、これはこの手法でヤローとバーソンが特許を申請してなかったことが大きいと言えるだろう。残念ながら、彼女の共同開研究者であるバーソンは受賞決定前の1972年に亡くなっている。

 ロジェ・ギルマン

 1977年のノーベル生理学・医学賞受賞者。受賞理由は「脳のペプチドホルモン生産に関する発見」である。

 ロジェ・シャルル・ルイ・ギルマン(Roger Charles Louis Guillemin, 1924年1月11日 - )はフランス・ディジョン生まれの生理学者。1977年にノーベル生理学・医学賞を受賞。結婚して6人の子供がいるが、妻と5人の子供が音楽家または画家という芸術家一家であり、ギルマン本人も引退後はコンピュータを活用した芸術活動を行っている。 

 道具づくりの父を持つ。1943年にディジョンの医科大学に入学し、ここの教授の教えを通して内分泌学に興味を持ったとされる。医師の資格を得たものの、ギルマンは研究職を志望していた。

 当時ストレス学説で有名なハンス・セリエがたまたまパリを訪れており、その講演に感銘をうけたギルマンは、カナダのモントリオール大学に新しく設立されたセリエの研究所に行った。

 1949年にMDの学位を受けた後も、セリエの研究所で働きつづけていた。当時ここにはGeofrey Harrisが滞在しており、彼の提唱した「視床下部による下垂体前葉調節」という当時まだ広くは認められていなかった仮説を知ることになる。

 1953年に生理学の博士号を受けると、テキサス州ヒューストンにあるベイラー医科大学の助教授となった。ベイラー医科大学で、初めて培養下垂体前葉に対する視床下部抽出物の効果を明確にした経験が、将来視床下部からの放出ホルモンの重要なきっかけとなる段階となった。

 1960年、故国フランスの有名な研究施設、コレージ・ド・フランスの教授の席を得るため一旦帰国したが実現せず、1963年にテキサスに戻り1965年にはアメリカに帰化した。

 1970年にサンディエゴにあるソーク研究所で自分の研究室を持つ。数十万頭の羊を用いて、視床下部ホルモン特に甲状腺刺激ホルモン放出ホルモンや性腺刺激ホルモン放出ホルモンの抽出の立役者の一人となった。この研究で1977年に共にノーベル賞を得たアンドリュー・ウィクター・シャリーとは壮絶な研究競争を繰り広げたことで有名である。

 ギルマンは、1953年ベイラー医科大学で本格的に研究を始めた。最初に取り組んだのは、イギリスの解剖学者G.W.ハリスの仮説、すなわち、視床下部から分泌されるホルモン、それ自体が脳下垂体のホルモン分泌を調節する、という説の立証だった。

 そして視床下部からは神経分泌のホルモンによって脳から脳下垂体への連絡来機能を持ち、ホルモン分泌の調節に扱っていることを立証した。

 ついで研究に係わったシャリーと、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の放出を調節する物質の単離を試みたが、途中でこの分離が不可能と見て中止。目標を他のホルモンの分離に転じた。この後2人は別々に視床下部ホルモンの分離.合成の研究を行った。

 1969年、サイロトロピン放出因子(TRH)の分離、同定に成功。これは甲状腺刺激ホルモン放出因子といわれ、脳下垂体ホルモンの1種である、甲状腺刺激ホルモン(TSH)の分泌作用を促進させるものである。

 何ヶ月もの期間をかけて抽出したTRH1mgは、その2兆倍の重量の重量の動物組織から得られたものだった。このTRHの構造が単純で、比較的単純に合成できる化合物であることも解き明かされた。

 1973年ソマトスタンチンをヒツジの脳から単離することに成功。このホルモンは成長ホルモンのソマトトロピン、またインシュリン等の分泌を抑制するもので、糖尿病や、消化器潰瘍の治療への利用が研究されている。1977年これらの業績に対し、ノーベル生理学医学賞が贈られた。

受賞歴
1974年 ガードナー国際賞
1975年 アルバート・ラスカー基礎医学研究賞
1976年 ディクソン賞医学部門
1976年 パサノ賞
1976年 アメリカ国家科学賞
1977年 ノーベル生理学・医学賞

 アンドルー・シャリー

 1977年ノーベル生理学・医学賞受賞者。受賞理由は「GnRHによるFSHとLHのコントロールの解明」である。(GnRH、FSH、LHはそれぞれ、性腺刺激ホルモン放出ホルモン、卵胞刺激ホルモン、黄体形成ホルモンのこと)

 アンドルー・ウィクター・シャリー(Andrew Wiktor Schally, 1926年11月30日 -)、ポーランド名アンジェイ・ヴィクトル・シャリー(Andrzej Wiktor Schally)はポーランド、ヴィルノ(現リトアニア首都ヴィリニュス)生まれの内分泌学者。1977年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 ポーランド生まれであったが教育はスコットランドとイングランドで受けた。1952年にはカナダへ移住。マギル大学で内分泌学博士号を取得。同年アメリカ合衆国のチューレーン大学で主に研究を開始し、1962年にカナダ市民から合衆国市民へと帰化した。

 脳による化学的な体のコントロールで彼は全く新しい領域を拓いた。また、産児制限と成長ホルモンの研究にも関わった。そしてロジェ・ギルマンと共に神経ホルモンGnRHのFSHとLHのコントロールを解明した。この研究で1977年に共にノーベル賞を得たロジェ・ギルマンとは壮絶な研究競争を繰り広げたことで有名である。こうして彼はクラクフのヤギェウォ大学の名誉博士号を授与された。

 シャーリーはマクギル大学の生徒だったころ、G.W.ハリスが唱えた仮説、脳下垂体からホルモンの分泌が、視床下部から分泌される別のホルモンによって調節されている、と言う考えに触れ、この分野に関心を抱くようになった。1957年にギルマンやS.M.マッカンのグループに加わり、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の保湿を調節する物質の分離を試みた。

 このためには何百万頭もの羊や豚の脳髄を集め、ここから成分を抽出する必要があり行った。しかし、この分離の担当は当時の方法の不備により挫折。

 1962年にニューオリンズに移ってからは、甲状腺刺激ホルモン(TSH)の放出調節を行う、甲状腺刺激ホルモン放出因子(TRH)の分離に力を入れた。

 1966年、共同研究者のC.Y.ボアーズとT.W.レッディングとTRHの単離に成功。それが3つのアミノ酸からなることを突き止めた。

 1969年、豚から取り出したTRHの正確なアミノ酸の配列を確認、その化学構造が、Pyro-Glu-His-Pro-NH2と言うペプチドであることを解明。この後、研究対象を黄体形成ホルモン放出因子(LH-RH)に置き、この単離を試みた。

 LH-RHは、視床下部の神経分泌細胞で分泌され、女性の排卵を制御する黄体形成ホルモンや、濾胞成熟ホルモンが脳下垂体から放出されるの調節するホルモンである。

 1971年日本人研究者3人とその他の共同研究者の助力を経て、LH-RHを単離そのアミノ酸構造を解明した。 これは同年サンフランシスコで開催された内分泌学会で、他のチームに先駆けて発表された。一連の業績に対して1977年ノーベル生理学医学賞が送られた。

受賞歴
1974年 ガードナー国際賞
1975年 アルバート・ラスカー基礎医学研究賞
1977年 ノーベル賞

 ロサリン・ヤロー

 1977年ノーベル生理学・医学賞受賞者。受賞理由は「ラジオイムノアッセイ法の研究」である。

 ロサリン・サスマン・ヤロー(Rosalyn Sussman Yalow, 1921年7月19日 - 2011年3月30日)は、アメリカ合衆国の医学研究者で、放射免疫測定技術の開発により、ロジェ・ギルマン、アンドリュー・ウィクター・シャリーと共に1977年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 ロサリンはニューヨーク市で、サイモン・サスマンとクララ・ジッパーの間に生まれた。ユダヤ系である。彼女は、ワルデン高校に進学し、物理学に興味を持った。彼女はタイプライターを習得し、コロンビア大学の生化学部長であるルドルフ・ショーエンハイマーの秘書となった。しかし女性に対して財政的な支援をしてくれる大学院がなかったため、彼女は速記の勉強をして、コロンビア大学の別の生化学者であるマイケル・ハイデルベルガー(1967年アメリカ国家科学賞受賞)の秘書となった。

 彼女は、1941年1月にニューヨーク市立大学ハンター校を卒業した。2月中旬、第二次世界大戦が近づき、男性が徴兵されてポストに空きができたため、彼女はイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で物理学の指導助手に採用された。この夏、彼女は政府の後援でニューヨーク大学で行われていた、無料の物理学講座に2度参加していた。イリノイ大学では、彼女は1917年以来初めての、そして部局の400人のメンバーの中で唯一の女性であった。

 1943年6月、フェローの学生でラビの息子のアーロン・ヤローと結婚。2人の子供をもうけた。1945年に博士号を取得した。

 卒業後、彼女はブロンクスの病院に勤務し、放射線医学部門の立ち上げに参加した。そこで彼女はソロモン・バーソンと共同で、血液中の極少量の物質を検出できる、放射性同位体追跡の技術を開発した。

 始めは糖尿病患者のインスリンレベルを測定するのに使われたが、後にホルモン、ビタミン、酵素など、これまでは少量すぎて測定できなかった様々な物質の測定に使われるようになった。商業的に大きな可能性があったにも関わらず、ヤローとバーソンは特許を取らなかった。

 1968年、彼女はマウントサイナイ医科大学の教授に採用され、のちに同大学のディスティングイッシュトプロフェッサーとなった。ロサリンは、1940年に始めてブロンクスで勤めた時に購入したリバーデイルの自宅に住んでいた。

 彼女は2011年3月30日ブロンクスで89歳で死去した。

 ヤローは1950年よりS.A.バーソンとともにインシュリンの糖尿病に対する作用の研究を開始した。インシュリンはタンパク質性ホルモンで糖尿病患者の血糖を調節する働きがあるが、1部の患者においては、抵抗反応が見られることが知られていた。

 この症状を研究して、ある種の糖尿病患者においては、インシュリンに含有されているタンパク質が、免疫系によって生産された抗体により、中和されていることを解明した。

 そしてこの抗体はインシュリンが刺激となって生み出されているように思われた。続けて行った研究でこの抗体は、通常のインシュリンまた放射性ヨウ素を含むインシュリンのどちらに対しても区別なく生じることが明らかになった。

 これらのことから、ラジオイムノアッセイ法の開発にこぎつけた。これは、放射性ヨウ素を含むインシュリンと通常のインシュリンを混ぜたものが一定量の交代と結合する割合を放射能測定装置で調べ、次いで通常のインシュリンをインシュリン含有量の不明な資料に変えて、割合を出し、その数値を比較するものである。

 あらかじめ、通常のインシュリン量を変化させた場合の結合割合の数値の一覧を作成しておけば、インシュリンの含有量の不明な資料のインシュリン含有量を割り出すことができる。

 この方法により血液中のホルモンなどの極微量の分析が可能となった。この開発は生物体内の各種物質の研究に大きく貢献している。1977年これらの業績に対しノーベル生理学医学賞が贈られたが、研究を共にしてきたバーソンは1972年に亡くなっていた。

受賞歴

1972年 ディクソン賞医学部門
1975年 アメリカ医学会のAMA科学賞
1976年 アルバート・ラスカー基礎医学研究賞 初の女性受賞者
1977年 ノーベル生理学・医学賞
1988年 アメリカ国家科学賞

 ラジオイムノアッセイ (RIA)について

 ラジオイムノアッセイ (Radioimmunoassay:RIA 放射免疫測定)とは、放射性同位元素を利用して、微量の抗原(例えば血中のホルモンなど)の量を測定する方法として最初に開発された、免疫学的検定法である。現在盛んに用いられている酵素免疫測定(EIAまたはELISA)も、共通の原理に基づいている。

 RIAは1950年代にロサリン・ヤローとS.A.バーソンによって開発された。ごく微量のホルモンが定量できるようになったのは、特に内分泌学にとって画期的であり、ヤローはインスリンに対するRIA法の開発により1977年度ノーベル生理学医学賞を受けた。

 RIAは高い特異性と検出感度を持つ優れたものである。しかし放射性物質を使うために細心の注意が必要であり、また費用と特殊設備も要するため、のちに発展したELISA法に多くが取って代わられた。

 多く用いられている競合(拮抗)法では、放射性同位元素でラベルした抗原(量がわかっている)とそれに対する抗体とを混ぜ、さらにラベルしていない目的の抗原を含むサンプルを加える。抗原が蛋白質の場合には、チロシン残基を放射性ヨウ素でラベルすることが多い。抗体に結合していないラベル抗原の量を測定し、これからサンプル中の抗原量を算出する。

 はじめ放射ラベルされた抗原は抗体に結合している。ここに非ラベル抗原を加えると、2 種類の抗原が抗体の結合部位で拮抗する。非ラベル抗原が多いほど、それが抗体に多く結合し、遊離のラベル抗原量が多くなる。結合および遊離のラベル抗原を分離し定量することで、加えた非ラベル抗原の量が求められる。

 分離法として初期に用いられたのは、二次抗体、つまり最初の抗体に対する抗体を用いて沈澱させ遠心分離する方法であった。また活性炭やメンブランフィルターで抗体を吸着する方法も開発された。

 もう1つの方法としてサンドイッチ法がある。これは抗原が2価抗原、つまり複数の抗体に結合する場合に用いられる。まず抗体を固相(容器壁、ビーズなど)に固定化しておき、次に測定する抗原サンプルを加えて結合させる。ここに放射ラベルした別の抗体を加えると、ラベルが抗原の量に応じて固相に検出される。

 ホルモンとその働き

 体の状態を一定に保つ(ホメオスターシスの維持)ために神経系、内分泌系、免疫系がお互いに密接な関係を保ちながら働いていている。内分泌系の情報伝達物質(メッセンジャー)がホルモン(hormone)である。ホルモンは全身のいたるところでつくられている。

 以前は内分泌臓器でホルモンがつくられ、血液中を流れて遠く離れた標的となる細胞(標的臓器)に到達して、そこで働くと考えられていた。最近では、つくられた場所のすぐ隣にある細胞(傍分泌)、またはつくられた細胞そのもの(自己分泌)に働くこともわかり、局所でも作用する。

 今では、体の中でいろいろな情報を伝え合うものの物質をまとめて、ホルモンと呼んでいる。ホルモンは非常に少ない量(50mプールいっぱいの水にスプーン1杯程度)で効果がある。

 ホルモンは体の健康維持のためいろいろな機能を調節しているが、主には個体の生命と活動性の維持、成長と成熟および生殖機能を担うこと。

 現在、体の中には100種類以上のホルモンがみつかっているが、これからもまだ増えると思われる。

 ホルモンの種類には蛋白質のもととなるアミノ酸が数個から100個以上つながった形のペプチドホルモン(成長ホルモン、インスリンなど)、コレステロールを材料につくられるステロイドホルモン(副腎皮質ホルモン、エストロゲン、テストステロンなど)とアミノ酸のチロシンの誘導体であるアミン(甲状腺ホルモン、アドレナリン、ノルアドレナリン)がある。

参考 Wikipedia: ロサリン・ヤロー ロジェ・ギルマン アンドルー・ウィクター・シャリー

  

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