三毛猫の遺伝子を特定

 原則として三毛猫はメスしかいない。これは、ネコの毛色を決定している遺伝子が性染色体であるX染色体上にあるためである。

 この遺伝子は60年間以上にわたって発見されなかったが、2024年11月、X染色体上のArhgap36遺伝子の発現を制御するDNA領域が欠失すると、遺伝子発現が増加しオレンジ(茶)の毛になることを、九州大学の佐々木裕之名誉教授のチームと米国スタンフォード大学のグレッグ・バーシュのチームが別々に報告した。

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 この遺伝子発現には、エピジェネティクス(後成遺伝学)が関係していた。エピジェネティクスとは、DNAの塩基配列自体を変化させずに、化学修飾やRNAなどを介して遺伝子の発現を制御する現象。主なメカニズムには、DNAへの化学基の付加であるDNAメチル化や、DNAが巻き付くタンパク質(ヒストン)への修飾(アセチル化など)がある。

 60年間、誰もやらなかった研究

 主にメスしかいない三毛猫やサビ猫は、X染色体上の遺伝子が色素細胞で通常とは異なる発現をするためオレンジ色の毛が生えるということを、九州大学などの研究グループが明らかにした。研究を率いたのは、遺伝子の発現制御に関わるエピジェネティクス研究の第一人者として知られる九大高等研究院の佐々木裕之特別主幹教授。クラウドファンディングの後押しを受けて謎解きに挑んだ。

 オスはXYの染色体を持つため、1本のX染色体によってオレンジか黒の単色になる。白などは別の遺伝子で決まる。しかし、メスはエピジェネティクスによって2本のうちどちらかのX染色体がランダムに選ばれて不活化されるため、皮膚の領域によってまだら模様の三毛猫やサビ猫が生まれるという仕組みだ。

 だが、黒、オレンジを決めるX染色体上の遺伝子が具体的にどの遺伝子なのか、そして、その遺伝子はメスネコで実際に不活性化を受けるのかどうかを調べる論文はなかった。

 佐々木特別主幹教授は「そのうち誰かが研究するだろう」と20年近く放っておいたが、研究は現れずじまい。月日は流れ、定年退職が近づいてきたため、「古典的なエピジェネティクス現象の分子基盤を知りたい。誰も論文を出さないならば、自分たちでオレンジ色の遺伝子の実体を調べよう」と心を決めた。

 エピジェネティクスによる遺伝子の発現調節

 提供されたネコ18匹分の全ゲノム解析を行い、国立遺伝学研究所と麻布大学の共同研究者が決定した最新かつ高精度のネコの全ゲノムデータと比較した。その結果、オレンジの毛を持つネコは、X染色体上にある「ARHGAP36」(エイアールエイチギャップ36)と呼ばれる遺伝子内に5000塩基ほどの欠失を持つことが分かった。オスの三毛猫にもこの欠失が存在し、そのオスはX染色体を2本持つXXYの個体だった。

 続いて、亡くなった三毛猫から提供してもらった皮膚片の全遺伝子の発現を解析すると、オレンジ毛の皮膚ではARHGAP36が黒毛の皮膚より恒常的に強く発現していた。また、ARHGAP36領域の欠失によって、ARHGAP36の発現が異常に促進されることが分かった。そして、メス猫では同領域でX染色体の不活性化に伴うメチル化が起こり、エピジェネティクスによる遺伝子の発現調節が生じていることを確認することができた。

 ARHGAP36遺伝子はメラニン合成の経路を抑える働きをすると推測される。そのため、遺伝子が働きすぎるとメラニン合成遺伝子群の発現が低下し、フェオメラニンという色素が優位になり、オレンジ毛が生じる。他方で遺伝子が抑制されると、メラニン合成遺伝子が活発になり、ユーメラニンという色素の比率が増え、黒色の毛が生じる。

 米のグループ、同じ成果にたどり着く

 これらのデータを集める過程で、米スタンフォード大学の研究グループも同様の実験を行っているという噂を耳にした。佐々木特別主幹教授は討論会をしないかとメールで打診したところ、快諾された。互いにオレンジの毛色はARHGAP36遺伝子内の欠失由来であることを確認した。

 しのぎを削り合う研究の世界で、成果を論文として出版する前に開示することを躊躇しなかったか尋ねると、佐々木特別主幹教授は「以前ネイチャーに論文を発表したときも海外の研究グループと同時に投稿した。同じことを2カ所で継続的に行うのは無駄が多いし、何よりも競争で互いに疲弊する。独立して研究して同じ結論であったのなら信ぴょう性が増すし、インパクトも大きい」と持論を語った。

 最終的に、スタンフォード大の研究グループは色素細胞のデータを加え、佐々木特別主幹教授らのグループはエピジェネティクスに関するデータを含めて論文化した。それぞれの論文は、米科学誌「カレント バイオロジー」電子版の5月16日号に掲載された。なお、両グループが24年11月に査読前のプレプリントとして論文を公開したところ、佐々木特別主幹教授らの論文だけでもわずか数カ月で6000回ダウンロードされるほど注目を集めていた。



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