「アポロ13号」の船長ラベルさん死去
人生はいつも順調にいくわけではない。うまくいかない事の方が多いと思う。その時に次に備えて何ができるかが大切に思う。宇宙を目指す人類にとって失敗の連続が当たり前のことだった。空気や重力・圧力・適度な温度のない極限状態の中で生身の人間が移動するのは大変なことだ。
NASA (米航空宇宙局)によると、1970年、飛行中に爆発が起きたものの地球への生還を果たした「アポロ13号」の船長を務めたジム・ラベルさんが9月7日、米イリノイ州レークフォレストで死去した。97歳だった。
ラベルさんは1928年、米オハイオ州生まれ。海軍パイロットを経て、62年にNASAの宇宙飛行士に選ばれた。65年の「ジェミニ7号」で有人月飛行を見据えた14日間の飛行や、史上初となった別の有人宇宙船とのランデブー(速度を合わせ接近などをする飛行)に成功した。66年には「ジェミニ12号」に搭乗。68年に「アポロ8号」で初の月上空周回飛行を実現した。

アポロ13号は1969年の11、12号に続いて月面を目指したものの、打ち上げの2日後に機械船の酸素タンクが爆発した。月面着陸を断念し、ラベルさんら3人の飛行士は月着陸船にいったん退避。飲み水や電力の消費を極力抑え、船内の低温に耐えるなど工夫を重ねて過ごした。その後、爆発から3日あまり後、無事に地球に生還した。
重大な危機に瀕しながらも飛行士の命が守られたことで、この事故は「成功した失敗(successful failure)」と語り継がれている。
「成功した失敗」に学ぶ
アポロ13号の印象が強いラベルさんだが、ジェミニ7号の無重力の船内で排泄(はいせつ)物が袋から飛散し、悩まされたというエピソードも強烈だ。しかもこの時、歯ブラシ1本を船内で紛失し、残る1本を同乗のフランク・ボーマンさんと共用したという。宇宙開発の先人の努力と苦労を振り返るにつけ、敬意を抱かずにはいられない。
アポロ13号の着陸地点は、直径80kmのフラ・マウロクレーターを持つフラ・マウロ高地が予定されていた。ここは過去に巨大な隕石が衝突したとき、地下の溶岩が噴出したことによって形成されたと考えられる小丘で、地質学的に見てきわめて興味深いサンプルを採集できると期待されたため、候補として選ばれた。フラ・マウロへの着陸は、次のアポロ14号で実現された。
当初、発射は1970年3月に予定されていたが、(公式には)12号が持ち帰った月の石の分析に時間を掛ける必要があるとして、同年4月に延期されている。
13号は、実はすでに発射直後から不具合を発生させていた。まず第2段ロケットS-II の中央エンジンが、予定より2分早く燃焼を停止してしまった。しかしながらこの時は周囲の4基のエンジンが自動的に燃焼時間を延長し、軌道を修正したため大事には至らなかった。
後の分析によると故障の原因は共振によるもので、エンジンの振動は68G、16Hzという危険な水準にまで達していた。エンジンを支えるフレームは76mmも歪み、第2段を空中分解させかねないほどの振動と歪みであったが、この振動によってセンサーが圧力を過度に低く表示したため、コンピューターが自動的にエンジンを停止した。
これより小さな振動は13号以前の飛行でも起こっていたが(またそれは、ジェミニ計画初期の無人飛行の段階から発生しており、ロケットに固有の現象と考えられていたが)、13号ではターボポンプの中でキャビテーションが発生したことにより、振動が拡大されたのであった。
このため後の飛行では、13号の時点ではまだ開発途上であった振動抑制装置が取りつけられることになった。同時に、圧力振動を減少させるため液体酸素の供給ラインの中にヘリウムガスを満たしたサージタンクを設置し、故障が発生した際に中央エンジンを自動的に停止する装置を設け、またすべてのエンジンの燃料バルブを簡素化するなどの改善が図られた。
酸素タンクの爆発
地球から321,860km離れたとき(アメリカ東部標準時で1970年4月13日)、機械船の2基ある酸素タンクのうちの一つが突然爆発した。飛行士が第2タンクの攪拌機のスイッチを入れたとき、タンク内部の、テフロン製皮膜が損傷していた電線が短絡し放電した。
圧力はあっという間に限界値の7MPaを超え、瞬間的に燃焼した。もっともこれはずっと後になってから事故調査委員会の分析によって明らかになったことで、飛行士たちはこの時点では微小天体が衝突したのだと思っていた。
この爆発により、1番タンクも損傷した。計器盤の残量表示はゆっくりと下がりつつあり、数時間後には機械船の酸素は完全に空になってしまうと考えられた。管制センターは飛行士がメーターの表示を読み上げるのを中断させ、内容物を維持することを最優先にさせた。
もし機械船の酸素がなくなってしまったら、司令船に搭載されている分を使わざるを得なくなる。しかしそれは機械船を切り離したあと、大気圏再突入の際に必要になるもので、約10時間分しか用意されていない。
そのためジョンソン宇宙センター(コールサイン「ヒューストン」)の管制センターは、司令船の機能を完全に停止し月着陸船に避難するよう飛行士たちに指示した。この手順は地上での訓練では何度も行なわれていたが、まさかそれを実行する時が来るとは誰も思っていなかった。この時、アポロ8号のように着陸船が存在していなければ、飛行士たちは確実に命を落としていたところであった。
この事故により月面着陸は不可能になり、3人の宇宙飛行士を速やかに地球に帰還させなければならなくなった。採り得る選択肢として、宇宙船全体を反転させ、機械船のエンジンを噴射して減速しさらに帰還方向に加速して引き返す「直接中止」、月の裏側を回って自動的に地球に帰還することができる自由帰還軌道(英語版)を利用する「月周回中止」などがあった。
直接帰還か月周回帰還か
直接中止には機械船のエンジンが完全な状態で使用できることが前提であるが、13号の場合は爆発により機械船のエンジンが損傷を受けている可能性が大きく、この方法による帰還は避けるべきと判断された。
一方の月周回中止については、13号は当初はこの軌道に乗って月を目指していたが、フラ・マウロへ向かうため打ち上げの翌日に機械船のエンジンを噴射して自由帰還軌道から離脱しており、そのまま放置すると月の裏側を回って地球の方向には戻るが、しかし地球を大きく外れてしまう長大な楕円軌道に乗っていた。
そのため、事故発生からおよそ5時間半が経過した時点で、宇宙船を自由帰還軌道に戻すために月着陸船の降下用エンジンを噴射して軌道修正が実行された。その後、再度の軌道修正と帰還までの所要時間を短縮するための両方の目的で、月面に最接近2時間後に着陸船の降下用エンジンを噴射して宇宙船を加速するPC+2噴射が実行された。
着陸船への移動
着陸船は、本来は2人の人間が宇宙に2日間滞在するように設計されており、3人の人間が4日間も生存できるようには作られてはいなかった。酸素については、着陸船は飛行士が月面で活動する際、出る前に船内を真空にし月面に降り、活動から戻ったあと再び船内を与圧する行程があるため、十分な量が搭載されていてそれほど心配する必要はなかった。
問題は、二酸化炭素(CO2)の除去に必要な水酸化リチウム(LiOH)であった。飛行士たちが呼吸をするたびに、船内に二酸化炭素が放出されるが、一定濃度以上の二酸化炭素は人体に毒性があるため、除去する必要がある。それを除去するためのフィルターに使用されている水酸化リチウムが、着陸船内に搭載されている量では、帰還まではとてももたない。
予備のボトルは着陸船外の格納庫に置いてあり、通常は月面活動をする際に飛行士が取りに行くのだが、今回は船外活動をするだけの電力の余裕がない。司令船内には十分な予備があるものの、司令船の濾過装置は、着陸船とは規格が全く異なっていた。
司令船のフィルターエレメントは四角形であり、そのままでは着陸船の円形のフィルター筐体に装着することはできない。そのため地上の管制官たちは、船内にある余ったボール紙やビニール袋をガムテープで貼り合わせてフィルター筐体を製作する方法を考案し、その作り方を口頭で飛行士たちに伝えた。こうして完成させた間に合わせのフィルター装置を、飛行士たちは形状や設置状況が似ることから「メールボックス」と呼んだ。
電力の問題
もう一つの問題は電力であった。司令船と機械船の電力源が燃料電池だったのに対し、着陸船は酸化銀電池を使用していた。燃料電池は、副産物として水が生成される。この水は飲料水として利用されるだけではなく、機器の冷却にも用いられる。
酸化銀電池では水が得られないため、大気圏再突入の直前まで電池の出力は最低限度にまで抑えられ、飛行士たちも水を飲むことは極力控えなければならなくなった。 また電力を最低限度にまで落としたために、船内の温度は極端に低くなってしまった。
ホットドッグが凍ってしまうほどの寒さになったが、飛行士は宇宙服を着ることはしなかった。内部はゴム製で発汗が促進されてしまうことを懸念したためである。また、このため空気中の水分が凝結し、計器盤の上に無数の結露が発生した。
この水滴は、後で司令船を再起動する際に回路を短絡させる原因となるのではないかと懸念されたが、司令船にはアポロ1号の火災事故の後、その原因となった短絡や漏電への対策が徹底的に施されていたため問題となることはなかった。
Successful failure
帰還の直前、後の分析のために写真を撮るべく、まず最初に機械船を切り離した。飛行士たちが驚いたのは、酸素タンクと水素タンクを覆っている第3区画のカバーが、機械船の全長にわたってそっくりなくなっていたことであった。
着陸船アクエリアスを切り離した後、司令船オディッセイは無事太平洋に着水した。他の2人は健康状態には問題はなかったが、ヘイズ飛行士は水分の補給が不足していたために尿路感染症にかかってしまっていた。
月面着陸という目的は達成できなかったものの、爆発が発生したのが月に向かう途中のことで、着陸船の物資が手つかずの状態だったのは不幸中の幸いであった。
発射からおよそ46時間40分後、第2酸素タンクの残量表示は内部の絶縁体の損傷により、100%を切る値を示す故障が発生した。皮肉なことに、飛行士たちの命はこの故障によって救われた。故障の原因を探るため、飛行士はこの時点で低温タンク攪拌の操作をしたのだが、この操作が爆発の引き金となる。
この操作は本来の予定では月面着陸の後、すなわち着陸船分離後に行なわれることとなっていた。仮にこの故障が無ければ爆発は着陸船分離後に起こっていたと考えられ、この場合飛行士たちが助かる見込みはまずなかった。
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