ミトコンドリア移植療法
ミトコンドリア移植療法は、機能が低下した細胞に健康なミトコンドリアを供給することで、細胞機能の回復や組織の修復を目指す最先端の治療法である。
この目的は、エネルギー産生能力が低下した細胞に、健康なミトコンドリアを注入することで、細胞のエネルギー産生を回復させ、機能障害の改善を目指す。患者自身の健康なミトコンドリアを採取し、損傷した組織に移植する。 組織障害の抑制、再生、修復の促進。心臓病や脳卒中、自閉症、加齢性病態などの幅広い疾患への応用が可能である。
人への移植が実際に行われたのは2015年。この時の患者は助からなかったが、科学者たちは時間がかかりすぎたからだと考えていた。ミトコンドリア移植では時間がカギとなる。なぜなら、注入された健康なミトコンドリアは、損傷した細胞は救えても、死んでしまった細胞を生き返らせることはできないからだ。

続く11人の患者のうち、8人が生き延びている。2018年には「ニューヨーク・タイムズ」紙が、この成果を大きく報道した。
心臓病で生まれたジョージアちゃん
今日、ダンス教室で踊る9歳のジョージアちゃんを見た人は、少女がかつて心臓の問題で死にかけていたとは思いもよらないだろう。
2016年、彼女は生後すぐに1回目の開胸手術を受けたが、その際、心臓の大部分に損傷を負ってしまった。ジョージアちゃんは2カ月入院した後に退院したが、数週間後、再び入院した。心臓から送り出される血液の量は半分まで低下しており、再手術が必要だった。
医師たちはジョージアちゃんを体外式膜型人工肺ECMO(エクモ)につないで心臓移植の準備を始めたが、管を洗浄するために少しだけECMOを外したときに、彼女の心臓が予想よりわずかに良く機能していることに気づいた。そこで、米ボストン小児病院の心臓血管外科医で診療科長のシタラム・エマニ氏が、ジョージアちゃんの母親に、ミトコンドリア移植という実験的な治療によって少女の命を救いたいと申し出た。
この治療法では、患者自身のミトコンドリア(細胞が機能するためのエネルギーを供給する楕円形の小さな細胞小器官)を集めて、損傷した組織に注入する。うまくいけば、健康なミトコンドリアが損傷した細胞に吸収され、細胞の回復を内部から助けることになる。
ジョージアちゃんを救う方法はほかになく、母親はその申し出にすがった。治療は予想以上にうまくいった。ジョージアちゃんの心臓は日に日に強くなり、退院することができた。彼女はこの6年間に6回の心臓手術を受け、定期的な治療は必要だが、現在の様子だけ見たら、心臓に問題があるとは誰も思わないだろう。
科学者たちは今、細胞にミトコンドリアを注入して、薬では治せなかった傷ついた心臓や脳などを治療しようと取り組んでいる。動物実験や、人での実験的な治療から得られた結果は有望そうだ。傷の治癒からアンチエイジングまで、さまざまな分野にミトコンドリアの力を応用しようとするバイオテクノロジー企業も設立されている。
しかし、この種の研究にはまだ多くの課題が残っており、現段階では政府からの資金援助もほとんどない。科学者たちはそれでも、ミトコンドリア移植が創傷から脳卒中や心臓発作まで、幅広い疾患の治療に革命をもたらすと信じている。
ミトコンドリアの機能と異常
ミトコンドリアがしばしば「細胞の発電所」と呼ばれるのは、先に述べたように、細胞内でエネルギーを供給する器官だからだ。呼吸した酸素を使ってミトコンドリアはアデノシン三リン酸(ATP)という、細胞の燃料となる分子を作る。
ミトコンドリアの異常が生物の体に混乱を引き起こすことは以前から知られていた。米アラバマ大学バーミンガム校のミトコンドリア研究者で、米国とインドでミトコンドリア研究・医学協会を設立したケシャブ・シン氏によると、病気はもちろん宇宙旅行による組織損傷でも、ミトコンドリアの異常が関与していることが多いという。
2000年代初頭からミトコンドリアの機能に着目していたシン氏らは、ミトコンドリアの産生量が少ない遺伝子改変マウスを開発した。これらのマウスでは、皮膚のしわや脱毛などの老化の兆候が早くから見られたが、マウスの遺伝子を再活性化させてミトコンドリアの数を増やすと、体に毛が生えてきてしわもなくなったという研究成果を2018年に学術誌「Cell Death & Disease」に発表した。これは、減ったミトコンドリアを補うと、生きている動物の組織の機能を回復させられることを明確に示している。
最後に残された方法
ミトコンドリア移植に最も期待されているのは、損傷した心臓の治療だ。心臓そのものも含めて、臓器への血流が断たれて損傷が起きてしまったら、それを修復するために医師にできることは限られている。
ボストン小児病院でミトコンドリアと心臓手術の研究をしているジェームズ・マッカリー氏は、13年前、虚血により損傷を負った心臓組織では、どんな薬を投与しても、機能不全に陥ったミトコンドリアを救えないことに気がついた。
損傷したミトコンドリアは膨れ上がったり中身が漏れ出したりして、細胞のエネルギーや栄養を枯渇させたり、アポトーシス(プログラム細胞死)を誘発するシグナルを送ったりする。そうなると心臓はうまく鼓動できなくなる。
そこでマッカリー氏は健康なミトコンドリアを30分で分離する方法を開発し、それをペトリ皿の中の損傷した組織に移してから、生きたマウスやブタに移植する実験を行った。
マッカリー氏が実験室でこうした研究をしていた頃、エマニ氏はすぐ近くの病院で心臓に障害のある新生児の手術をしていた。マッカリー氏の研究について耳にしたエマニ氏は、ぜひ協力したいと思った。
エマニ氏が行っていた冠動脈修復手術は大きな危険を伴うもので、赤ちゃんの心臓への血流を阻害してしまうおそれがある。そのときにエマニ氏にできるのは、赤ちゃんをECMOにつないで酸素を含む血液を体内に送り込み、心臓の組織が自然に治癒するのを待つことだけだった。しかし多くの場合、心臓の組織は治癒しなかった。
そこでエマニ氏はマッカリー氏と協力して、ECMOを使用している乳児を治療する方法を探りはじめた。「よく言えば勇気ある、悪く言えば無謀な賭けでした」とエマニ氏は言う。「けれども、ほかに選択肢はありませんでした。死を待つだけだったのです」
エマニ氏らのチームによる治療は、次のような手順で行われた。ECMOにつながれた患者は、胸部を切開され、心臓が露出した状態のまま、マッカリー氏が腹筋から小さな組織標本を採取する。次に、筋肉細胞中のミトコンドリアを速やかに取り出して培養、約10億個のミトコンドリアを患者の冠動脈から心臓の損傷部位の近くに直接注入した。
![医学のあゆみ ミトコンドリアー種々の疾患との関連と新規治療法のターゲットとしての可能性 291巻6号[雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/417zWns2U1L._SL160_.jpg)
��潟�<�潟��