シャチが集団で船を沈める

 2025年9月13日の正午ごろ、ポルトガルのリスボン沖で、イルカウォッチングツアーを楽しんでいた一行が岸に戻ろうとしていたところ、大型のヨットが前後に不規則に揺れているのに気付いた。ツアーを率いていたメルセデス・ベンツ・オーシャニック・ラウンジのマネジャー、ベルナルド・ケイロス氏は、シャチたちの仕業ではないかと考えた。

 実際、ヨットを撮影していたケイロス氏は、3頭のシャチがヨットの横を泳いでいるのに気づいた。ヨットは下から体当たりされ、船体に穴が開き、やがて沈没してしまった。ケイロス氏によると、ヨットの乗組員は速やかに救助され、けがなどはなかった。

 こうしたシャチの行動は、計算された仕返しというよりも単なる遊びである可能性が高いと、専門家たちは言う。また、イベリア半島沖でシャチたちが船を海底に沈めてしまった事故は、今回が初めてではない。

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 今のところ野生のシャチが人間を襲った記録はない。海で一番強いと思われた「ジョーズ」サメでさえシャチにとっては餌である。仲間との絆も強い。もし、人を襲うようになればひとたまりもないだろう。

 きっかけは船の舵への仕返し

 シャチは世界中の海に生息しているが、彼らが船に体当たりしたという報告が上げられるようになったのは比較的最近で、現場の大半はスペインとポルトガルの沿岸沖だ。初めて報告されたのは2020年、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を隔てるジブラルタル海峡でのことだった。その後の報告も、主にこの海域から上がっている。

 シャチたちが突然船を攻撃し始めた理由を解明しようとした論文が学術誌「Marine Mammal Science」の2022年10月号に発表されている。それによると、発端は「ホワイトグラディス」と名付けられた成熟したメスのシャチである可能性が高い。

 ヨットを好んで沈めるホワイトグラディスは、SNSで富裕層への不満を象徴するアイコンとなっている。

 論文では、ホワイトグラディスには船とぶつかった経験があり、仕返しとして船を攻撃し始めたのではないかと推測されている。その理由は、シャチが主に攻撃するのは船の舵(かじ)だからだ。舵は水中に突き出るように取り付けられているため、シャチがけがを負う主な原因となっている。

 ホワイトグラディスの行動は、彼女の子どもたちがまねし始めたのをきっかけに、イベリア半島周辺の海で暮らすシャチの間に急速に広まっていったのだろうとも推測されている。

 だが、イベリア半島周辺のシャチは絶滅の危険性が極めて高い群れだとされており、船に近づかせないようにシャチに害を及ぼす行為は法律で禁じられている。

 リスボンでシャチが現れた場合は、暴風雨のときと同じように警報を出すという。シャチが近くに来ていたら、ただ去るのを待つだけだ。悪天候の場合と同じだ。

 シャチによる人への攻撃

 野生のシャチが人間を襲うことは稀で、人を食べる目的で襲うことはない。しかし、好奇心から人間をおもちゃと間違えたり、遊びのつもりで危険な行動を取る可能性はある。 

 2010年2月アメリカ・オーランドシーワールドの女性トレーナーがシャチに襲われ死亡した。女性トレーナーは40歳)。シャチは「ティリクム」。「ティリクム」によると考えられる3回の人身事故については、映画「ブラックフィッシュ」で詳細が描かれている。

 シャチはコウモリみたいに飛び出したかと思うと、あっと言う間にトレーナーの腰のあたりをくわえて激しく振りまわした。サイレンが鳴って、係員が駆け寄ってきた。シーワールドの職員があんなにたくさん出てきたのは見たことがない

  2007年10月、トレーナーのクラウディア・フォルハルト氏は、シャチのテコア(Tekoa)に鼻先で足を押させて水上に上がるトレーニング中に、腕を噛まれて水中に引きずりこまれた。さらにテコアはプールとプールを隔てる鉄のゲートまで引きずり、ゲートに打ち付け、フォルハルト氏は腕を骨折し、右肺を負傷。

 シャチ同士の対立が激しく、トレーナーのいうことをきかず、ショーを中断することもある中で、さらなる痛ましい事故が起きた。

 2009年12月24日、ロロパルケのトレーナーアレクシス・マルティネス氏(29歳)はトレーニング中にシャチのケト(Keto)にプールの底へ押し込まれ、死亡した。ケトを何とか浮上させ、マルティネス氏をプールから引き上げると、複数の圧迫骨折、臓器の損傷、噛み傷などの重傷を負っていた。

 死因は臓器の損傷を伴う胸腹部の圧迫と窒息とされている。 マルティネス氏はケトに激突され、胸部が陥没した可能性が高い。

 ロロパルケはこれらの事件をシャチが原因であることを認めず「事故」と発表、その不透明性と虚偽の報告が「ホエール・サンクチュアリ・プロジェクト」の報告書で指摘されている。

 なお、トレーナーを襲って死亡させたケトは、1995年にシーワールド・オーランドの飼育下で生まれたオスのシャチで、2024年に29歳で原因不明で死亡している。

 ロロパルケのシャチたちの歯はプールを噛んですり減っており、塗装を飲み込んでいた。野生のシャチが人間を「食べるため」に襲うことはないが、人間に危害を加えることはある。特に、飼育下のシャチによる死亡事故は複数発生しており、ストレスや水族館の環境が原因とされる。

 また、2020年以降、ジブラルタル海峡周辺では小型のヨットの舵を攻撃するシャチの集団行動が報告されており、これも人間への危害となり得る。

シャチ: オルカ研究全史
水口 博也
東京大学出版会
2024-09-27


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