ことわざ・名文・名演説を真似る
考えをまとめるとき、過去の人の考えを参考にすることはある。自分が最初に考えたことではなく、誰かが発表した考えをもとにすることは珍しくない。例えば「ことわざ」などがそうである。「急がば回れ」「善は急げ」というのは全く逆の意味であるが、考えをまとめるのに参考になるフレーズだ。
また同様に、過去の偉人の名演説、名文を参考にする事は考えられる。そこで有名なフレーズを知っておく事は考えをまとめるのに役にたつ。たとえば「歴史は繰り返す」は古代ローマの歴史家クイントゥス・ルーファスの言葉であるし、最近では「Yes,we can.」は、オバマ元大統領の言葉、「Make Amerika great agein.」はトランプ大統領の言葉として印象に残っている。
もちろん、これらの言葉はそれ以前にも使われていただろう。時、場所、人が使うことで印象に残る言葉となるのも事実である。これを利用することは、考えをまとめるためにも役立つ。

フランクリンに学ぶ
自分の書いたり語ったりする言葉が、まとまっていても、魅力がないと悩むことがある。こうじゃない、これも違うと、何度も行ったり来たりする。そんな時、ありがちな盲点として、「では自分は、どういう文や話が正解だと思うのか」と問われると、案外、はっきりした理想像がないことがある。
分かりやすくて、心をつかむ文章の訓練法として、大川総裁がたびたび言及するのが、「フランクリン式文章上達法」だ。ベンジャミン・フランクリンが、名文で知られた「スペクテイター」紙を手本に文章修行したことにちなむ。まずコラムなどの記事を読んで、その趣旨を書き出す。今度はそれを見ながら、文章を再現する。そこまで手がこまずとも、「手本を真似する」くらいの捉え方でいいだろう。
何の変哲もないようだが、万事に通じる。小説家やコピーライターも、手本を"写経"することが代表的な修行法だ。落語家も、師匠の噺を呼吸の取り方まで真似することで稽古する。話が苦手だという人についても、大川総裁は、「自分のことばかり考えるのではなく、話の上手な人を見て勉強することです。間合いの取り方から、身振り手振り、重要点の押さえ方、人の心をどうやってつかもうとしているかなど(中略)という目で見て研究するのです」とアドバイスする。
気に入った文や話を"マイ手本"としてとっておき、何かアウトプットする前に触れるだけでも、手ごたえは変わると語る人は多い。
テクニックではなく「世界の見方」
前出の清水幾太郎も、文章修行の本道は「気に入った文体を真似することしかない」と語る。これは単に「言い回し」を真似ることではない。ある文体に惹かれるということは、混沌とする世界の中に、どのように秩序を見い出すかという「物の見方」に、自分が共鳴していることでもある。それを真似するのは、「経験を組織・処理する方法」を取り入れることだという。
大川総裁は、新聞記事を読み上げるような話ではなく、人の心を動かす話をするには、小説や映画といった「芸術性のあるものに接する努力が大事」とも語る。言葉とは、霊的な「思い」が表現や響きに翻訳されたものだ。それを味わうことは、「どんな心がどんな言葉に宿るか」、「どんな言葉が心を揺さぶるのか」という"感触の記憶"を、自分の中に蓄積することでもある。「そういう感動を心のなかに残していて、何かのときに、そういうものを使っていくことが大事」なのだ。技法を超え、心や人生そのものを豊かにする方法とも言える。
名演説のフレーズを紹介
この機会に有名な演説の一部を紹介したい。
エイブラハム・リンカーン「ゲティスバーグ演説」:南北戦争中の1863年に行われた演説で、「人民の人民による人民のための政治」というフレーズはアメリカの歴史において最も有名で、民主主義の理想を簡潔に表現しています。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)「私には夢がある (I Have a Dream)」: 1963年のワシントン大行進で行われた演説で、人種差別の撤廃と平等な社会の実現を力強く訴え、アメリカ公民権運動の象徴となりました。
ウィンストン・チャーチル「血と汗と涙」演説: 第二次世界大戦中、イギリスの首相に就任した際の演説で、国民に困難に立ち向かう決意と勇気を与え、戦況を逆転させる原動力の一つとなりました。
ジョン・F・ケネディ(JFK)大統領の就任演説: 「国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたが国のために何ができるかを問うてほしい」という言葉は、多くの若者を鼓舞しました。
ネルソン・マンデラ「準備はできている」演説: アパルトヘイト政策下での裁判中に行われた演説で、人種平等と民主主義へのコミットメントを表明し、世界に強い影響を与えました。
スティーブ・ジョブズ「スタンフォード大学卒業式スピーチ」: 2005年に行われたこのスピーチは、特に「ハングリーであれ、愚かであれ (Stay Hungry, Stay Foolish)」という言葉が有名で、多くの起業家や若者にインスピレーションを与え続けています。
名演説を原文で紹介
ジョン・F・ケネディ大統領
And so my fellow Americans, ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.
My fellow citizens of the world, ask not what America will do fou you, but what together we can do for the freedom of man.
アメリカ国民のみなさん、アメリカがあなたに何をしてくれるかを問うのではなく、あなた方自身が、アメリカのために何ができるかを問うてほしい。
世界中のみなさん、アメリカが貴方の国に何をしてくれるかを問うのではなく、我々が協力して「人類の自由」のため一緒に何ができるかを問うてほしい。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)
― I Have A Dream! ― August 28, 1963 1963年 8月28日
I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.
I have a dream that one day even the state of Mississippi, a state sweltering with the heat of injustice, sweltering with the heat of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice.
I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character. I have a dream today!
I have a dream that one day, down in Alabama, with its vicious racists, with its governor having his lips dripping with the words of "interposition" and "nullification" -- one day right there in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers.
I have a dream today!
「私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
今日、私には夢がある。私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになると。」
バラク・オバマ
Can we send a message to all those weary travelers beyond our shores who long to be free from fear and want that the United States of America is and always will be, the last best, hope of earth?
We say, we hope, we believe, yes we can
「恐怖からの脱出を切望する疲れた旅人たちは、アメリカ合衆国が地球上で最後の、そして最良の希望の地であり続けることを望んでいる。われわれはそんな人々の声に応えることができるか。イエス・ウィー・キャン。そう言えるだけでなく、そう期待し、確信している」(2008年3月4日テキサス州サンアントニオの演説)
エイブラハム・リンカーン
Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.
Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure.
We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.
But, in a larger sense, we can not dedicate—we can not consecrate—we can not hallow—this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract.
The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced.
It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us—that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion—that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain—that this nation, under God, shall have a new birth of freedom—and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.
87年前、我々の父祖たちは、自由の精神に育まれ、人はみな平等に創られているという信条に捧げられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。
今我々は、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。
われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。我々がそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。
しかし、さらに大きな意味で、我々は、この土地を捧げることはできない。清め捧げることもできない。聖別することもできない。足すことも引くこともできない、我々の貧弱な力を遥かに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。
世界は、我々がここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶に留めることもないだろう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きている我々なのである。
我々の目の前に残された偉大な事業にここで身を捧げるべきは、むしろ我々自身なのである。 ――それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を 尽くして身命を捧げた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、我々が一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、我々がここで固く決意することである。
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