人類はまだ「絶滅」を知らなかった

 ステラーカイギュウは寒冷適応型の海牛類(ステラーカイギュウ亜科)の最後の生き残りであり、また有史以降も存在した唯一の現生種であった。

 似たような巨体をもつトドは、哺乳綱食肉目アシカ科トド属に分類される食肉類。カイギュウ類とは違うなかまである。

 寒冷域に適応したために分厚い皮下脂肪を持っており、防寒用だけでなく海氷や岩で体に擦り傷が付くのを防いでいたと思われる。この海牛類の系統は現生のジュゴンの様に暖海で主にアマモなどの海草を食べて暮らす海牛類から派生したが、より寒冷な海に育つコンブなどの海藻類を食べ、体を大きくして大量の脂肪を蓄えることで、寒冷な気候に適応していた。

 ベーリング海にすんでいたステラー海牛は、1741年11月8日、博物学者のゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラーによって発見され、その後の乱獲のせいで18世紀末に絶滅した。記録に残っている中では、人の手によって絶滅させられた最初の生物となった。

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 当時人類はカイギュウの消失に、当時の博物学者たちは頭をひねった。シュテラーも同時代の人々も、「絶滅」という概念を知らなかった。ステラーカイギュウに遭遇した人々は、自然とは神によって定められた普遍の秩序であると考えていた。

 それは人類の利用と喜びのために作られたものであり、人間の力で変えられるものではなかった。存在という大いなる連鎖からひとつの種がまるごと消え去るという概念は、彼らの想像を超えていた。だからこそ、多くの人が、カイギュウはただ遠く離れた島に移動し、そこで狩人たちの目を逃れてのんびり暮らしているのだと信じていた。

 「絶滅」という概念が誕生したのは1813年、フランスの解剖学者ジョルジュ・キュビエが、ある驚くべき発想を明らかにした。「種は地上から永遠に消滅することがある」というものだ。

 しかし、絶滅があり得るからといって、カイギュウにもそれが起こったのだろうとすぐに人々が理解したわけではなかった。まだ簡単に想像したり、受け入れたりできるものではなかった。

 肉はとても美味で簡単に狩れる魅力的な獲物

 1741年11月8日、博物学者のゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラーは、名もなき島の海岸を歩いていた。この荒涼たる島に彼がたどりついたのは、ヴィトゥス・ベーリングの遠征に参加したためだった。

 ベーリングは、シベリアから米大陸に至る海路を見つけようとしていた。船員たちはその使命を果たし、アラスカの海岸に到達したものの、帰路で悲劇に見舞われた。船が難破し、のちに船長の名を取ってベーリング島と名付けられることになる不毛の無人島に流れ着いたのだ。

 薪の備蓄が少なくなっていたため、シュテラーは流木を探しつつ、島の野生動物を観察した。時折立ち止まっては携えていた小さなノートにメモをとった。ふいに、あるものが目に止まった。沖合に黒い影がいくつも浮かんでいたのだ。最初は、丸太が波間に漂っているのだと思った。

 ところがそのとき、動物の鼻息が聞こえてきたため、自分の見ているものが、正体不明の巨大な生きものの群れであることに気がついた。シュテラーが遭遇したこの新たな種は、のちに彼の名を冠して「ステラーカイギュウ」(Hydrodamalis gigas、ステラーダイカイギュウとも)と呼ばれることになる巨大な海獣だった。

 巨獣たちの最後の群れだった

 太古の時代、世界の海には、カイギュウ目に属する多くの種が泳いでいた。温暖な海が彼らのすみかだった。丸みを帯びた体つきとは裏腹に、カイギュウたちの脂肪層は薄く、生き延びるためには温かい海にいる必要があった。

 しかし、やがてこの性質に逆らって北へ広がり始めるものたちが現れた。冷たい海に適応して体が大きく、脂肪層が分厚くなっていった結果、同類たちの中でも特に巨大な生物へと進化していった。ステラーカイギュウの完全に成長した個体の全長は、最大で約9メートル、体重は約10トンに達したと推定されている。

 最後の氷期は、北極のカイギュウたちにとっての黄金時代だった。氷床が広がり、海面が下がり、太平洋海岸沿いにはケルプの森が広がる浅い湾がいくつも連なるように形成され、カイギュウの群れに豊かな餌場を提供した。

 氷期が終わると、環境はカイギュウにとって厳しいものへと変化した。海面の上昇により、長く連なるケルプの森は分断され、カイギュウの群れは互いに孤立していった。

 また、考古学的な証拠からは、人間がカイギュウを食料として利用していたことがわかる。カイギュウは簡単に捕まえられる、非常に魅力的な獲物だった。一頭で村全体の食料を賄えるほどの肉が手に入ったからだ。動きが遅く、おとなしいこの生きものは、あまりにも簡単に仕留められたため、アリューシャン列島の先住民族のアレウト族は軽蔑を込めてこれを「女たちの獲物」と呼んでいた。

 カイギュウの数は着実に減っていき、最終的にはアリューシャン列島の最果てにただひとつの群れが残るのみとなった。ステラーカイギュウの最後の群れが、狩人たちに邪魔されることなく藻をはんでいたその島に、やがてヴィトゥス・ベーリングの難破船が現れた。

 肉は風味がよく、栄養があり、驚くほど長くもった

 ベーリングの船の乗組員たちにとって、カイギュウの最大の魅力はその大きさだった。彼らの食料備蓄はすでに尽きかけていたからだ。しかし、アレウト族のような技術をもたない彼らにとって、カイギュウを狩ることは決して簡単ではなかった。

 カイギュウの体は分厚い皮に覆われ、その下には約20センチにも及ぶ脂肪層があった。たとえ射撃の名手がその小石ほどの小さな目を撃ち抜いたとしても、さらなる問題が立ちはだかった。巨大な死骸をどうやって岸へ引き揚げればいいのだろうか?

 やがて彼らは、カイギュウに銛を打ち込み、ロープを使って巨体を陸へ引き揚げる方法を編み出した。ようやく最初の一頭を手に入れたとき、彼らは自分たちの幸運に目を見張った。カイギュウの肉は風味がよく、栄養があり、驚くほど長くもったのだ。カイギュウのおかげで、彼らは荒涼とした島での厳しい冬を乗り切れた。

 シュテラーはこうして、未知の種を詳しく研究するまたとない機会を手に入れた。理想的とは言い難い状況の中、彼はその仕事に惜しみない情熱を注いだ。

 報告書には、数々の不運によって作業が妨げられる嘆きが記されている。「雨や寒さ、潮の満干、そしてわたしの道具を引き裂いて持ち去ってしまうアオギツネたち。地図やインクまでやられてしまった」

 非常に社会的な生物で、つがいの絆はとても強い

 シュテラーの記述によると、カイギュウは非常に社会的な生物だったという。彼らは集団で子どもの世話をし、群れで移動するときには、子どもたちを安全な中央に配置し、外側をおとなで囲んで泳いだ。

 つがいの絆はとても強かったと、シュテラーは述べている。一方が傷つけられると、もう一方は銛につながった縄を切ろうとし、相手が死んだ後も長い間、浅瀬にとどまってその姿を探し続けたという。

 島にはカイギュウの天敵がおらず、人間を恐れることも知らなかった。満潮時、カイギュウたちは岸のすぐそばまで漂ってくるため、シュテラーがその間を歩いて背中を撫でることさえできたという。船乗りの漕ぐボートを自分の体の横にぴたりと寄せられても、カイギュウたちはまるで動じることがなかった。

 海藻をはんで日々を過ごしていたが、食の好みにはうるさく、主にケルプばかり食べていた。シュテラーはカイギュウの行動を観察するにとどまらず、詳細な解剖学的計測も行い、幼体の骨格や皮膚の標本まで作製した。しかし残念なことに、それらを島から持ち帰ることはついに叶わなかった。

 銃と食料の喪失という二重の危機に直面

 ベーリング隊の船乗り77人のうち、島に閉じ込められた9カ月間を生き延びたのは46人のみだった。彼らはやがて、難破した自分たちの船の残骸を利用して、新たな船を作り上げた。シュテラーは驚くべき発見の記録を携え、意気揚々と島を離れた。新たに見つかったカイギュウが、飢えに苦しむカムチャツカ半島の人々を飢餓から救ってくれるだろうと、彼は信じていた。

 カイギュウとその風味豊かなやわらかい肉の噂は、瞬く間に広まった。シベリアからアラスカへと船を走らせるようになった毛皮商人の間では、途中でベーリング島に立ち寄り、樽にカイギュウの肉を詰め込むことが習慣となった。

 銛の使い方を学ぶ時間も必要性もなかった彼らは、銃や槍を使って恐ろしいほどの数のカイギュウを殺し、波によってそのうちの何体かが海岸まで運ばれるのを待った。

 また一方で、毛皮商人はこの島にすむラッコを絶滅させた。ラッコがいなくなったことで、ウニが際限なく増殖し、かつては島の周囲を囲んでいたケルプの森を食い荒らした。

 カイギュウは毛皮商人たちの銃と食料の喪失という二重の危機に直面していた。絶滅の原因には両方の説があるものの、いずれにしろ人間による乱獲の結果だ。

 そのせいで繁殖のペースが遅いカイギュウは急速に数を減らし、1768年の一頭の記録を最後に、シュテラーがベーリング島に偶然流れ着いてからわずか27年で永遠に姿を消してしまった。こうしてシュテラーが記した短い報告書は、この堂々たる海洋哺乳類についての唯一の科学的記録となった。

 そして終止符は打たれた

 カイギュウの運命を巡っては、熱を帯びた議論が続いた。そして1780年代、この問題に決着を付けるために、若き科学者のマーティン・サウアーが、ベーリング海に派遣された。

 10年近くにおよぶ調査の末、サウアーは確固たる結論とともに帰還した。カイギュウはもういない。人間に狩りつくされたのだ。サウアーによるその報告は、人間が原因となって引き起こされた絶滅について、最も早い時期に残された記録のひとつと位置づけられている。

 カイギュウの運命はこのように、人類が史上初めて、自身が自然界に与える大きな影響について認識するうえで重要な役割を果たした。

 未確認の絶滅後の記録

 絶滅したとされた後にもステラーカイギュウではないかと思われる海獣の捕獲や目撃が何度か報告されている。

 アッツ島では1800年代まで狩猟が行われていたとされる報告が存在する。

 最も新しい報告例では、1963年7月にカムチャッカ半島のアナディリ湾でソ連の科学者によって6頭の見慣れぬ体長6-8メートル程の海獣の群れが観察されているが、それがステラーカイギュウなのか他の海獣類を見間違えたのかは不明である。この動物達は浅瀬で海藻を食べており、長い鼻と分岐した唇を持っていたとされる。

 また、千島列島北部、カムチャッカ半島、チュクチ半島からも地元の漁師たちによる目撃情報が寄せられている。どこかで生き延びていて再発見されることを期待したい。



 

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