銀河系の中心に潜むのはブラックホールではない?

 銀河系(天の川銀河)の中心には何があるのだろう?地球から約2万6000〜2万8000光年離れた「いて座」の方向に位置し、これまで、太陽の約400万倍の質量を持つ超大質量ブラックホール「いて座A*(Sgr A*)」が存在すると考えられてきた。

 この天文学の世界において、数十年にわたり「揺るぎない事実」とされてきた定説が、今、根底から覆されようとしている。我々の銀河系(天の川銀河)の中心に位置し、強力な重力で銀河を束ねているとされる超大質量ブラックホール「いて座A*(Sgr A*)」。

 しかし、最新の研究は、そこに存在するのはブラックホールではなく、未知の素粒子である「フェルミ粒子」が凝縮した巨大なダークマターの塊である可能性を示唆している。

画像

 フェミ流粒子とはダークマターの候補とされる粒子の一つで電子やニュートリノ、クォークやレプトンなどをいう。

 この衝撃的な仮説は、銀河全体の回転から、最新の電波望遠鏡が捉えた「影」の正体まで、宇宙の構造に関するパズルを一つの連続した物質として説明しようとする壮大な試みである。

 聖域「いて座A*」への疑念:ブラックホール神話の綻び

 長年、天文学者の間では、銀河系の中心には太陽の約400万倍の質量を持つ超大質量ブラックホール(SMBH)が鎮座しているという合意があった。その根拠は、銀河中心付近を猛烈な速度で公転する「S星(S-stars)」と呼ばれる若く重い星々の観測データにある。これらの星々が描く急峻な軌道は、極めて狭い領域に膨大な質量が集中していることを示しており、物理学的に考えればブラックホール以外にあり得ないと考えられてきた。

 さらに2022年、イベントホライズンテレスコープ(EHT/Event Horizon Telescope)が、いて座A*の「影(シャドウ)」を捉えた画像を公開したことで、その存在は決定定的になったかに見えた。光さえも逃げ出せない「事象の地平線」の周囲を輝くガスが取り囲むその姿は、一般相対性理論の予言を完璧に証明したかのように思われた。

 しかし、アルゼンチンのラプラタ天体物理学研究所のValentina Crespi氏を中心とする国際研究チームは、この解釈に異議を唱える。彼らが学術誌『Monthly Notices of the Royal Astronomical Society (MNRAS)』に発表した論文「The dynamics of S-stars and G-sources orbiting a supermassive compact object made of fermionic dark matter」は、ブラックホールという「特異点」を想定せずとも、すべての観測結果を説明できる別のモデルを提示したのだ。

 フェルミ粒子ダークマター:特異点なき高密度コア

 研究チームが提案するのは、自重でまとまった「フェルミ粒子ダークマター」による超大質量コンパクト天体である。ここで鍵となるのは、素粒子の分類の一つである「フェルミ粒子」の性質だ。

 ブラックホールは、重力が他のあらゆる力を上回り、物質が一つの点(特異点)にまで崩壊した状態を指す。一方、クォークやレプトンなどのフェルミ粒子には「パウリの排他原理」という量子力学的な法則が働く。これは、複数の粒子が同時に同じ量子状態を占めることができないという原理である。

 この原理により、フェルミ粒子が密集すると「縮退圧(Degeneracy pressure)」と呼ばれる強力な反発力が生じる。研究チームのモデルでは、この縮退圧が重力と均衡することで、特異点を形成することなく、ブラックホールに匹敵する極めて高密度な「コア」を維持することができる。

 連続する「コア・ハロー構造」

 このモデルの革新的な点は、銀河中心の超高密度な「コア」と、銀河全体を取り囲む希薄なダークマターの「ハロー」を、同一の物質による連続的な構造として定義したことにある。

 研究チームは、銀河中心を公転するS星や、ガスに包まれた謎の天体「Gソース(G-sources)」の軌道データを詳細に解析した。その結果、フェルミ粒子ダークマターモデルが予測する重力場におけるこれらの天体の軌道は、ブラックホールモデルによる予測と誤差1%未満で一致することが判明した。

 つまり、軌道データだけでは、中心にあるのがブラックホールなのかダークマターの塊なのかを判別できないということだ。

 研究では、56 keV(キロ電子ボルト)と300 keVという異なる質量のフェルミ粒子を用いたシミュレーションが行われた。300 keVのモデルはよりコンパクトなコアを形成し、いずれのモデルも観測されているS2星(最も有名なS星の一つ)の軌道を完璧に再現した。

 Gaia DR3が捉えた「ケプラー回転の減衰」

 さらに、欧州宇宙機関 (ESA) のGaia(ガイア)衛星による最新の公開データ「DR3」が、このモデルの強力な裏付けとなった。Gaiaは銀河系内の数億個の星の運動を精密に測定している。

 最新のデータでは、銀河中心から遠く離れた外縁部において、星々の回転速度が予想よりも低下する「Keplerian decline(ケプラー回転の減衰)」という現象が確認されている。

 従来の「冷たいダークマター(Cold Dark Matter: CDM)」モデルでは、ハローが広範囲に尾を引くように広がるため、この減衰を説明するのが困難だった。しかし、フェルミ粒子モデルは、量子力学的な統計分布に基づき、ハローの外縁がより急峻に途切れる「タイトな構造」を予測する。これがGaiaの観測した回転曲線の減衰と見事に一致したのである。

 EHTの「ブラックホールの影」をどう説明するか

 最大の難関は、2022年に公開されたいて座A*の画像だ。中央の暗い領域(シャドウ)とそれを取り囲む輝くリングは、ブラックホールの存在を証明したものではなかったのか。

 Crespi氏らは、2024年に発表されたPelle氏らによる先行研究を引用し、フェルミ粒子ダークマターのコアであっても、同様の視覚的特徴が生じ得ることを指摘している。

 フェルミ粒子のコアは、ブラックホールほどではないにせよ、周囲の時空を極めて強力に歪める。この強力な重力レンズ効果により、周囲のガスから発せられる光が曲げられ、中央に光が届かない「暗い領域」が形成される。

 研究チームによれば、このダークマターコアに降着円盤(アクレッション・ディスク)を組み合わせたシミュレーション結果は、EHTが捉えたリング状の構造と驚くほど似通ったものになるという。

 つまり、私たちが「ブラックホールの影」だと思い込んでいたものは、実は「極めて高密度なダークマターのレンズが作り出した闇」である可能性があるのだ。

 決着の鍵:光子リングの有無

 では、ブラックホールとフェルミ粒子ダークマターを見分ける術はないのだろうか。研究チームは、将来の観測によって決着をつけるための「決定的な違い」を提示している。

 一般相対性理論によれば、ブラックホールの事象の地平線のすぐ外側には、光が重力によって周回軌道にトラップされる「光子球(Photon sphere)」が存在する。これが観測されると「光子リング」と呼ばれる極めて細い輝きとして現れる。これは特異点を持つブラックホール特有のアーティファクトである。

 対して、フェルミ粒子ダークマターのコアには事象の地平線も特異点も存在しないため、この光子リングは形成されない。現在、一部の研究者がいて座A*の画像から光子リングの兆候を見つけたと主張しているが、その解釈には強い批判もあり、議論が続いている。

 今後数年以内に、チリのVery Large Telescope (VLT) に搭載された「GRAVITY」干渉計などの次世代観測機器によって、S2星よりもさらに内側を回る星の挙動が明らかになる。より強い重力場(重力ポテンシャル)の中での運動を精密に測定できれば、中心天体が「点(ブラックホール)」なのか「広がりのある高密度コア(ダークマター)」なのかを判別できるはずだ。

 宇宙の教科書が書き換わる日

 もしこの仮説が証明されれば、天文学の教科書は歴史的な書き換えを迫られることになる。銀河の中心には「穴(ブラックホール)」が開いているのではなく、宇宙で最も謎に満ちた物質である「ダークマター」が究極の密度で凝縮した「心臓」が鼓動していることになるからだ。

 この研究は、ミクロな量子力学の世界(フェルミ粒子)と、マクロな宇宙の構造(銀河の回転)を一つの理論で繋ぎ合わせた。ダークマターの正体解明という現代物理学最大の難問に対し、この銀河系の「暗い心臓」が決定的な答えを握っているのかもしれない。

 天文学者たちは今、かつてない期待と慎重さを持って、銀河中心の「闇」をより深く凝視している。