ホワイトハウスの記者会見
ホワイトハウスのキャロライン・レビット報道官の発言が、政教分離の観点から物議を醸している。レビット報道官は3月30日、記者会見場に姿を現した直後に「皆さん、こんにちは。先ほどの私たちの『アーメン』が聞こえましたか? 」と記者に質問。
「私たちのチームは、少し大きな声で祈りを捧げていました。ドナルド・トランプ大統領とファーストレディはこの聖週間、キリスト教徒たちとともに、私たちの主で、救い主であるイエス・キリストの復活を祝い、祈っています」と伝えた。
ホワイトハウス報道官が職務中、公の場で自らの信仰心やキリスト教をアピールする発言をしたことに対し、SNSには「不適切だ」「政教分離はどうなっている」などの批判が投稿された。(写真はトランプ大統領とレビット報道官)

あるXユーザーは、「記者会見室でホワイトハウスの“チーム祈祷”が聞こえただけではなく、報道官が『私たちの主で救い主であるイエス・キリスト』とわざわざ言うとはどういうことなのか? これは信仰心ではなく、(政教分離を定める)国教条項への露骨な違反だ」とコメント。しかし、このコメントは正しくない。
イラン戦争は実は宗教戦争
「政教分離は、パフォーマンス的な神権政治を防ぐためにあるが、トランプの世界では、そうした規範は通用しない」と主張した。
トランプ政権で、政教分離の問題が指摘されているのは、レビット報道官だけではない。 ヘグセス国防長官は3月の記者会見で、イラン戦争でのアメリカが勝利するように、ひざまずいてイエスに祈ることを国民に呼びかけた。ヘグセス師は熱心な福音派の信者だ。
イランの指導者も宗教的な指導者。トランプ大統領も宗教信者だ。アメリカではあたりまえのことなのだが、日本ではマスコミがあまり報道してこなかったので分かりにくい。最近ようやくトランプ大統領がキリスト教福音派であることを話題にするようになった。
さらに福音派の国防長官ヘグセス氏はこの時、聖書の詩篇の一節を引用し「主が褒め称えられますように。主はわが岩であり、戦争のためにわが手を、闘いのためにわが指を鍛えられる。主はわが慈しみの神、わが砦、わが要塞、わが救い主。わが盾であり、わたしが身を寄せる方である」と述べた。
さらにヘグセス氏は3月25日に国防総省で礼拝を執り行い、「偉大で力強いイエス・キリストの名において、慈悲に値しない者たちにアメリカ軍が圧倒的な暴力を加えるよう」祈った。
トランプ大統領の発言に微妙な「ズレ」
トランプ氏は4月5日、FOXニュースのインタビューで「6日にもイランと合意できる可能性が高い。今まさに交渉している」と述べた。
一方で、「合意に至らなければ、すべてを爆破し、石油を奪取することも検討している」と警告した。トランプ氏はこれまで、イランに対し「合意を結ぶ」か「ホルムズ海峡を開放する」ことを求め、当初はアメリカ東部時間6日午後8時(日本時間7日午前9時)を期限として、応じなければ「発電所を壊滅させる」などとしていた。
イラン側は強硬姿勢を崩しておらず、交渉がトランプ氏の思い通りに進んでいない中、期限の延長が繰り返されている。
こうした中、ドナルド・トランプ米大統領は4月5日未明、米軍がイラン上空で撃墜されたF15E戦闘機の行方不明となっていた乗員を救出し、救出作戦に関わった全要員も無事に帰還した、と自身のSNS「トゥルース・ソーシャル」で発表した。
今回の救出成功は米軍の作戦遂行能力を示す一方、イランの防空能力がなお一定程度維持されている現実も浮き彫りにした。
それにしても「防空システムは完全に破壊した」と言ったのはトランプ大統領ではなかっか。なぜ撃墜されたのか。トランプ大統領の発言がコロコロ変わるのは相変わらずだが、これまでは人の生死には関係してなかったから許された面もあった。
それがイラク戦争ではそうでなくなってしまった。敵ばかりか味方までも死の危険性が強まっている。ここに今までの発言と行動に「ズレ」を感じる。
トランプ大統領が政治指導者から宗教指導者になっている
実業家出身のトランプ大統領は、経済の活性化を期待されて支持された面がある。少なくとも私はそうだった。ところが、ここしばらく、経済と関係ないところで発信するようになった。
この「ズレ」は何かと考えると、今回の戦争が宗教的な戦争であると考えると理解できる。何で宗教が関係あるのかと日本にいるとピンとこないが、本来アメリカはキリスト教国だ。
日本もかつて宗教国だった。太平洋戦争で日本の大本営発表と実際の「ズレ」が次第に大きくなったのは記憶に残る。あの戦争の「ズレ」は天皇を中心とする日本神道と欧米のキリスト教諸国の対立の戦争だったから生じたものだった。
経済から考えれば国力の差は初めから明らかであり、戦争自体あり得ないものだった。では何が人を動かすかといえば「宗教の違い」に行き着く。
日本がキリスト教国になればよかったのだろうか。「否」日本は戦時中は廃仏毀釈し仏教を遠ざけたが、日本は本来、神道や仏教の国であり、キリスト教に改宗すれば、国力の違いから、清国のように植民地にされる可能性が高かった。そのため幕末、若者たちが命をかけて戦った明治維新を忘れてはいけない。
宗教的に中立な日本は仲介せよ
こうした宗教の違いをなくすため、戦後日本では「政教分離」の原則がGHQにより、日本国憲法に取り入れられ、戦後80年憲法を改正することなく、マスコミも意図的に話題にしない。そのため逆に世界を分かりにくくしている。
しかし、今回のイラク戦争で感じる「ズレ」を宗教戦争だからだと考えると理解できる。アメリカもイランも自分の宗教に都合よく考えるからである。実際に双方とも自分の国の正しさを主張するばかりで平行線だ。
今回の戦争も「宗教」の違いが原因にあるのなら、誰かが止めない限り、完全に破壊し続けるまで終わらない可能性がある。この戦争を止めるのにアメリカとイラン双方の友好関係のある日本が止める役割を担ってもいいのではないだろうか。
日本のマスコミも宗教を批判したり、無視するばかりでなく、宗教的な正しさを学び、宗教的に中立な現状を利用して、戦争を仲介し経済活動を取り戻すことを考えたらどうだろうか。現状は日本のマスコミが、宗教的な正しさが分かってないので問題を解決できない。
アメリカの「政教分離」は「政治と宗教の分離」ではない
アメリカ憲法にうたわれている「政教分離」。これは誤訳ではないが、誤解を生みやすい言葉である。学生に「政教分離」の意味にについて質問すると、多くの学生は「政治と宗教の分離」と答える。だが、アメリカにおける政教分離とは、「separation between state and church」、すなわち「国と教会の分離」なのである。
アメリカは言うまでもなく、キリスト教の国である。にもかかわらず「政教分離」の規定があるのは何かというと、キリスト教の特定の宗派と政治の結びつきを禁止したものである。
アメリカの憲法修正第1条には「連邦議会は国教を定めてはならない、また、自由な宗教活動を禁止する法律を定めてはならない」と書かれている。
憲法批准に反対する連邦主義者のグループは、憲法を批准する交換条件として、憲法修正条項に「国教の禁止」あるいは「宗教の自由」の規定を盛り込むように要求した。
イギリスでは王政と英国国教会が清教徒を迫害した背景がある。植民地でも同様に州政府と教会が結託し、清教徒の流れを汲む異端派を弾圧した。そうした背景の中で、バプティスト(清教徒)を中心とするプロテスタントは「国教」の設立を禁止する条項を盛り込むよう要求した。憲法推進派は、この要求を受けいれた。
1791年に成立した修正条項第1条から第10条までを「権利章典」と呼び、アメリカ民主主義の基本と位置付けている。ちなみに憲法修正第1条には、「信教の自由」のほかに、「言論・出版の自由」「集会の自由」「政府に対する請願権」も盛り込まれている。
また、連邦議会が「信教の自由」を受け入れたのは、「宗教問題を連邦政府から外せば、連邦政治で宗教が問題にならないという判断があった」からであるとされる(マーク・A・ノール著『神と人種』岩波書店)。すなわち宗教問題の政治化を阻止する狙いがあった。
だがノールは、「憲法修正条項の規定にもかかわらず、14州のうち5州がキリスト教会牧師を税で優遇し、それら5州に加え7州が公職につくための宗教テストを続けた。教会と州政府との分離を実行したのはヴァージニア州とロード・アイランド州のみであった」と記している。
「アメリカ的な政教分離は完全な信仰の自由を保証しなかった」と結論付けている。
キリスト教国家アメリカの現実
以上のように、アメリカは憲法の規定に従い、「国教」を定めてこなかったが、実質的には「キリスト教国家」である。2020年に行われた宗教に関する国勢調査では、人口の70%がキリスト教徒であった。どの宗教にも属さない国民は23%に過ぎない。
キリスト教の思想は、社会生活だけでなく、政治にも大きな影響を与えている。キリスト教を無視して政治を行えないのがアメリカの現実である。その典型的な例は大統領就任式に見られる。
歴代大統領は、就任式直前に教会で礼拝を行うのが慣習となっている。さらに宣誓式では、聖書に手を載せて、憲法第2章第1条第8項に規定されている宣誓、すなわち「私は合衆国大統領の職務を執行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持し、保護し、擁護することを誓う」という文章を読み上げる。
聖書に手を置かずに宣誓した大統領はジョン・クインシー・アダムス大統領とセオドーア・ルーズベルト大統領の二人だけである。
オバマ大統領は2冊の聖書に手を置き、宣誓している。1冊はリンカーン大統領が所有していた聖書であり、もう1冊はマーチン・ルーサー・キングが所有していた聖書である。
憲法には規定されていないが、ワシントン大統領は、宣誓の後に「神よ、どうか私を助けてください(so help me, God)」という言葉を付け加えた。その後の歴代大統領はワシントン大統領の例に倣い、同じ言葉を述べている。セオドーア・ルーズベルト大統領だけが、唯一の例外である。
中絶権や同性婚が保守派キリスト教徒(福音派)の反発で危機的状況に
宗教と政治を深く結びつけているのが、キリスト教の最大勢力であるバプティスト(清教徒)の中の、いわゆるエバンジェリカル(福音派)と呼ばれる人々である。エバンジェリカルは極めて保守的で、聖書は神の言葉であり、聖書に従って生きるのが正しい生き方だと信じている。
2022年6月24日に最高裁は、女性の中絶権を認めた1973年の「ロー対ウエイド判決」を覆し、中絶禁止を合法化する判決を下した。その背後にあるのが、「聖書は中絶を禁止している」と主張するエバンジェリカルの存在である。
エバンジェリカルは共和党の最大の支持層を形成し、宗教的な要求の実現を図っている。共和党は、エバンジェリカルの要求を政治的に実現する“宗教政党”になっていると言っても過言ではない。
アメリカでは、女性の中絶権の容認や同性婚の合法化、性的少数派の権利の拡大などが社会的に受け入れられ、伝統的な宗教的価値観を主張するエバンジェリカルは劣勢に立たされてきた。そうした中、エバンジェリカルは共和党と手を組むことで、巻き返しを企ててきた。
彼らが最近、最も強く主張しているのは「宗教的自由(religious liberty)」である。彼らの主張する宗教的自由とは、自らの宗教的信念に反することを“拒否する自由”である。
宗教的自由を巡る係争の一つに、コロラド州で起こされた訴訟がある。同性婚のカップルが、ケーキ店に結婚ケーキを注文した。だが店のオーナーは、宗教的に同性婚に反対であという理由から、その注文を断った。これに対して同州の市民権団体が、オーナーを違法であると訴えた。この裁判は、最高裁まで争われた。
2018年6月に最高裁は、原告の訴えはケーキ店オーナーに対する敵意に基づいたものであると訴えを却下し、オーナーの勝訴が確定した。ただし、最高裁は宗教的自由にまで踏み込んだ判決は下していない。
以降、現在に至るまで、エバンジェルカルは自らの宗教的信念に反する行為を忌避する権利があると、様々な裁判で争っている。エバンジェリカルは、中絶禁止に加え、合憲の判断が下されている同性婚に関しても、最高裁判決を覆そうとしている。さらには、性的少数者の権利の抑制、公立学校における聖書研究会の合法化などを狙っている。

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