米国で進むUFO情報の公開

 米ピュー・リサーチ・センターが2021年に行った世論調査によれば、65%に及ぶアメリカ人が地球外生命体の存在を信じている。背景には、トランプ政権時代、国防総省がUFO映像を公開したことを皮切りに、「安全保障上の脅威になる」として本格的なUFO調査機関を置いたことがある。

 それ以降、事態はさらに急展開している。国防総省は新たなUFO映像を続々と議会公聴会などで公表。米航空宇宙局(NASA)も「UFO研究をセンセーショナルなものではなく科学的なものに変える」として調査部門を設置した。

 さらには元米海軍情報要員が議会で「米軍が地球外生命体のUFOを回収・分析している」と証言したことも物議を醸す。地球外生命体を信じるアメリカ人はさらに増え、現時点で8割に及ぶという調査もある。

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 世間の耳目を集めるほど、米当局に寄せられるUFO情報も加速度的に増えている。UFOを観測するためのセンサー機器や情報共有体制も急速に拡充されている。内部告発者の証言などが増えることも予想される。「地球に宇宙人が飛来している」ことが誰の目にも明らかになるのは、時間の問題だ。 「宇宙時代」はもうすぐそこまで来ている。

 その時、予想されるのは世界を巻き込む混乱である。「彼らは敵か、味方か」「我々はどのように対処すべきか」。こういった価値判断がつかず、"黒船来航"の比ではない事態になるだろう。

 地球防衛宇宙人と地球侵略宇宙人の攻防

 こうした状況も見越し、大川総裁は霊査によって、無数の宇宙人情報を明かしてきた。その結果分かってきたのは、地球にはなんと、500種類以上の宇宙人が来ているということだ。

 霊査によれば、そのうち8~9割は地球人に友好的な勢力であるという。それどころかこの星の文明を陰ながら見守り、その安全を脅かすような宇宙人の介入があった場合には"スクランブル"をかけて防衛するといったことが行われているという。

 なぜ地球を護ろうとするのか、なぜ私たちの前に姿を現さないのか──という問いについては、大川総裁の各著書を参照いただきたい。

 本記事で強調したいのは、一方で地球には、必ずしも友好的とは言えない宇宙勢力もまた、飛来してきているという現実である。地球でも歴史上、政治体制や思想・宗教の違いを背景とする勢力争いは行われてきたが、実は宇宙レベルでも大きな攻防戦が存在し、その一環として一部の悪質な宇宙人が、「地球侵略」を狙っていることを、大川総裁は警告しているのだ。その司令官の一人が、先述した「アーリマン」と呼ばれる存在だという。

 武力行使の前に"地獄"を広げる

 注目すべきは、その手法である。彼らは、SF映画のようにいきなり武力攻撃をかけてくるのではない。地球文明に陰から介入し、侵略・支配に好都合な環境をつくりあげていくことを現時点の主戦略としているのである。それはまるで、地球上の戦争に先立って行われる世論工作を彷彿とさせるが、悪質宇宙人が行っているのは、ある意味において「霊的」な方法である。

 彼らは人類を、「闘争・破壊」「唯物論」「弱肉強食」といった、宗教的に言えば「地獄的」な価値観や想念で染め上げることによって、侵略の準備を行っている。それにはどうも、「あの世の地獄が拡大することが、彼らの飛来や支配のしやすさと大きく関係している」という、宗教的・霊的な原理が絡んだ秘密があるらしい。

 同時に、そうした地獄的な価値観は、地球を防衛する宇宙勢力の信仰とも相反する。人類の心を席巻してしまえば、もはや彼らが防衛する足掛かりを失ってしまうのだ。

 だからこそ悪質宇宙人はケネディ暗殺時のように、地球上の指導者に影響を及ぼし、血なまぐさい戦争をいたずらに煽ろうとする。そうして、闘争と破壊の世界を展開し、その混乱を侵略の足掛かりにしようとする。

 さらに彼らは"宇宙戦争"としては意外なことに、「宗教」をターゲットとする。中でも、愛や無我といった霊的人生観を説く宗教は、彼らが支配原理とする「弱肉強食」「全体主義」の思想を弱める。そのため、教えが説かれ、広がる時点で妨害をし、唯物論的な価値観や現世利益的な考えに人々を誘導しようとしてきたのだ。実例を見ていく。

 イエス・キリスト「最後の誘惑」

 約2000年前、イエス・キリストが、「邪説を説く偽預言者」としてユダヤの律法学者や祭司を中心に迫害され、ゴルゴダの丘で十字架にかけられたことは、誰もが知るところである。まさにその時、悪質宇宙人の介入があったという衝撃の史実が示唆されている。

『小説 十字架の女(3)〈宇宙編〉』には、アーリマンが「イエス・キリストに、十字架上で最後の誘惑をかけた。神はおまえを見放したのだ。神を呪え。神のひとり子ではなかったと言って、命ごいをし、マグダラのマリアと結婚して、幸せな家庭を築くがよい、と言った」と記されているのだ。

『最後の誘惑』といえば、1988年に公開され、物議を醸したマーティン・スコセッシ監督の映画を思い出す人もいるだろう。

 映画のあらすじはこうだ。十字架にかけられたイエスが、「父よ! なぜ私をお見捨てになるのですか?」と大声で叫ぶ。するとイエスのもとに、自らを天使と称する少女(後に悪魔と判明)がやって来て、イエスを十字架から降ろす。

 自由になったイエスは、マグダラのマリアと結婚。多くの子供をもうけ、一生を長らえる。イエスが死の床にある時、かつての弟子に「あんたは死を恐れて逃げ出し、普通の暮らしに身を隠した。臆病者め!」と責められる。

 十字架にかからなかったことを激しく悔恨したイエスは、神に許しを請う。だがそれは一時の幻覚だった。気づけば場面が十字架の上に戻る。そしてイエスは槍で脇腹を刺されて絶命する──。

 悪魔の誘惑に屈したイエスを描いた本映画の公開が決まると、キリスト教を信じる人々からは嵐のごとき非難が巻き起こり、一部では暴動さえ起きた。後述のようにイエスが誘惑に揺らいだはずはなく、同映画は問題作と言わざるを得ない。

 だが「最後の誘惑」そのものは実際に行われており、その犯人が地球の悪魔を超えて、悪質宇宙人であったとすれば驚きである。スコセッシ氏の本心は『映画「沈黙―サイレンス―」に見る「信仰と踏み絵」』に詳しい。

 弱々しいイエス像は「悪魔の陰謀」

 確かに、アーリマンがイエスを誘惑した際と似たような言葉が聖書にも書き込まれており、このことはある意味での傍証かもしれない。

 福音書には、十字架にかかったイエスが「神よ、神よ、何ぞ我を見捨てたまいしか」と語ったと記されている。だが真相は、イエスは死期が来たことを悟り、「エリヤ、エリヤ、ラファエル、ラファエル。私を迎えに来なさい」と語っていた。このすり替えについて、大川総裁は『小説 内面への道』で、「弟子の間違い、あまりに弱々しい人間イエス像を描くという悪魔の陰謀」と述べる。

 イエス自身は揺るがなかったが、このような弟子を大川総裁は「愚か者」、「情けない弟子」と呼んだ。この言葉をもとに後世、世界の人々に誤ったイエス像を見せたスコセッシ監督にもかなり問題がある。

 命を犠牲にしても護りたかったもの

 十字架上で神を恨んだという見方について、大川総裁は「イエスが、悪魔を降して伝道を決意した人であるならば、そして、『神が降りてきて自分のなかに入り、語りたもうのだ』ということを自覚していたのであるならば、そんなことはありえない」と指摘する。

 神の啓示により、後に十字架にかかることを知っていながら、イエスはロバに乗ってエルサレムに入城した。救世主に関する『旧約聖書』の予言を成就するために、あえて身を捨てたと見ることもできる。イエスはすでに霊的に覚醒していたため、この世と一切の妥協をすることはなかった。強い使命感と信仰のもと、あらゆるものを捨ててでも真理を取った。その結果、十字架にかかったが、それは「肉体を犠牲にしても、護り抜く真実のものがある」ということを教えたかったからだ。

 イエスはユダヤ教の伝統的な教えや行動様式を形だけ守って生きるよりも、神を愛し、隣人を愛し、苦しむ人間を救うことこそが、神の本意に適うと考えていた。イエスの信じた神は「愛の神エル・カンターレ」だったため、イエスは必要な時はいつでも愛の実践をした。

 そしてイエスは、「『人間は肉体にとらわれて生きているが、肉体生命だけではなく、生き通しの生命も持っている』ということを教えたかった」。たとえ肉体を滅ぼすことができたとしても、このような「『永遠の生命を滅ぼすことはできず、(自分が取り次いだ)神の言葉を滅ぼすこともできないのだ』ということの実証のために、イエスは十字架にかかった」のである。

 そんなイエスが最後に地上人生に執着するなどあり得ないことだ。しかし、もし命乞いをして"幸せな家庭"を築いていたとしたら──と考えると、アーリマンの狙いも見えてくる。

 イエスは自分の言ったことを信じていなかったことになり、嘘を教えてこの世に妥協したことになって、キリスト教は成立しなかっただろう。愛の神の力で、イエスの死後3日後、500人を超える人々の前に姿を現し、復活することもなかった。

 弟子たちが「本物の救世主だ」と確信を得て命懸けで伝道することもなかった。十字架が「人を救うシンボル」になることもなく、イエスの教えが世界宗教への道を歩むことはなかっただろう。

 悪質宇宙人の介入を考える時、信仰や霊的価値観を揺さぶり、この世の栄華などに執着させる方向にもっていこうとする動きには注意が必要なのだ。

 ムハンマドも宇宙の悪魔からインスピレーションを受けた

 キリスト教のみならず、イスラム教の発祥時にも、悪質宇宙人の影がある。『小説 十字架の女(3)〈宇宙編〉』には、アーリマンが「イスラム教のムハンマドに、一夫多妻と、偶像破壊を勧めた。これでキリスト教と仏教の両者を揺さぶった」と記されている。

 これらの記述について、大川総裁は「あとで問題を呼ぶであろうとは思いますけれども、一夫多妻と偶像破壊は、世界史的にも恐ろしい教義です」と述べている。

 ムハンマドは、最初の妻ハディージャが亡くなった後、当時一般的だったとされる一夫多妻を取り入れて、妾を除いても10人の女性と結婚したとされる。

 というのも、本拠地をメジナに移し、自身の生誕地であるメッカの軍隊と戦ったため、多くの若い男性が戦死。そのため経済的な余力がある男性に多くの寡婦を養わせる必要があった。

 ムハンマドが神から受けた啓示の集積とされる『コーラン』には、「もしあなた方が孤児の女性たちに対して、公正にできない恐れがあるなら、あなた方にとって適当と思われる女性たちから二人、三人または四人と結婚しなさい」とあり、「男性は4人まで妻を娶ることができる」と定められた。

 また、当時のアラビア半島には多神教の偶像(神像)が各地にあり、信仰の対象となっていた。メッカのカーバ神殿には、部族ごとの偶像が360体ほど鎮座し、人々は毎日祈りを捧げ、偶像を参拝するために遠くからも巡礼に訪れていた。

 ムハンマドは630年、聖地メッカに出陣して無血入城した後、カーバ神殿の偶像をすべて破壊し、一神教(イスラム教)の神殿に変えた。そしてメッカ近隣の偶像もすべて駆逐した。

『コーラン』には、「信仰する人たちよ、誠に酔わせるもの(酒)と賭け事、偶像や占い矢は不浄な悪魔の行為です。だからそれを避けなさい」など、幾度も偶像崇拝の禁止について記されている。

 世界宗教の対立を煽ったのは間違いない

 イスラム教のこれら2つの教えは広く知られているが、"後に大きな宗教間対立を招く火種となった"という意味では、世界史的にも重要だ。

 欧米のキリスト教徒は長きにわたり、ムハンマドを何人もの妻を持つ好色な偽預言者と考え、「ハーレム(一夫多妻)を認めるイスラム教は、野蛮で堕落している。悪魔の教えだ」としてイスラム教を攻撃した。

 またイスラム教徒は偶像破壊の教えを実行する中で10世紀末から本格的にインドに侵入し、インドの仏教を壊滅させた。特に1203年には残っていた出家者を皆殺しにし、寺院を徹底的に破壊して仏教を事実上一掃した。

 2001年3月には、イスラム原理主義組織のタリバンが、4世紀ごろにつくられたアフガニスタン北部の巨大遺跡「バーミヤンの大仏」を破壊している。

 大川総裁は偶像崇拝の禁止について、「神は霊天上界にある光の塊、慈悲の塊であって、姿を描写することも困難なほど偉大な存在」と言いたいだけだとし、偶像の破壊までし始めたら、それは「人間の智慧の浅さだと思う」と指摘。

 そしてイスラム教徒に対し、「『考え方を柔軟にせよ』ということを私は申し上げたい」と述べている。このように世界宗教の対立を煽り、大きな戦争を起こす急所になったことは間違いないのである。

 イスラム教発祥時の気になる点

 大川総裁は、イスラム教発祥時に地球神がムハンマドを預言者として遣わしたことを明らかにしているが、発祥時のムハンマドには気になる点があると述べている。

 商人だったムハンマドは40歳のころ、神から啓示を受けるようになった。当時のことについて、大川総裁は「ムハンマドは最初に霊言を始めるとき、首を絞められて冷や汗をかいて、殺されるのかという恐怖心のなかにあったので、かなり怪しい。ムハンマドは『砂漠の悪魔(ジン)ではないか』と疑っていた」と指摘する。

 また『真実を貫く』の中で「イスラム教のほうも、やはり霊界描写は少し甘いので、ムハンマドの霊体験が浅かったのかなと思います。イスラム教を信じて、精進して正しく生きたら、あの世の天国に還るわけですが、『天国には小川が流れていて、お酒の川が流れている』というのです。周りには、美女ばかりの処女が侍っている。それが天国ですか。若干、怪しいでしょう。どこかのキャバクラと間違っているのではないかと思う」と述べている。

 現代においても、過激派組織が自爆テロの要員を集める際、「殉教すれば天国で処女が待っている」と勧誘するケースは多いとされるが、確かにその教えの中にさまざまなものを"混ぜよう"とした存在がいたという見方は成り立つ。大川総裁も「イスラム教の初期の教えには、玉石混交のところはある」と述べている。

 また霊査ではムハンマドについて「ムハンマド自体が積極的な霊能力を持っていなかったので。それと、『識字能力がなかった。字が読めなかった』ということです。それは正確な判定ができているとは思えないということです」とも指摘されている。

 確かにこの「悪魔(邪悪なる宇宙存在)の主張」が正しかったとしたら、これは世界史的に本当に恐ろしい"出来事"であり、人類の耳目を引くだろう。