伝書鳩の帰巣本能
今では、伝書鳩を見るのはかなり珍しい。30年ぐらい前まで時々見られていた、伝書鳩を飼う家も今ではすっかりなくなってしまった。
伝書鳩は、カワラバトの帰巣本能を利用し遠隔地にメッセージを送る通信手段として使用する。方向感覚に優れ、長距離の飛行に耐えるように品種改良された飼い鳩のことだ。
第2次世界大戦直後までは軍事上の通信に多用されたため軍用鳩とも呼ばれていたが、その後の有線および無線による通信技術の発達などにより次第に実用上の役割を失っていった。
伝書鳩は、飛翔能力と帰巣本能が優れ、1000キロメートル以上離れた地点から巣に戻ることができるといわれる。使い方としては、遠隔地へ伝書鳩を輸送し、脚に通信文を入れた小さな筒(アルミ製が多い)を付けて放鳩(ほうきゅう)する。

飼育されている鳩舎に戻ってきたところで通信文を受け取る。通信文だけでなく、伝書鳩が持てるような小さな荷物を運ぶこともあり、その場合は背中に持たせることも多かった。特に僻地医療で血清や薬品等の運び手として重要な役を担った。
伝書鳩の歴史は5000年以上になる。しかし、なぜ鳩に見たこともない土地で放しても巣に戻る「帰巣本能」があるのかはわからなかった。ある日、磁気嵐のある中で放した時に帰れなくなったことから、磁気を感知する能力が関係することはわかった。しかし、どうして磁気が感知できるかは解明されていない。
ハトの磁気コンパスを発見か
新しい研究によると、ハトは肝臓の免疫細胞を通じて地球の磁場を感知しているという。
肝臓のマクロファージ(クッパー細胞)と肝細胞は、体内で鉄を最も多く蓄積・貯蔵する細胞である。鉄はタンパク質と結合した「フェリチン」や「ヘモジデリン」の形で安全に蓄えられ、赤血球が作られる際などに全身へ供給される。
細胞内での鉄の蓄積は、主にフェリチンというタンパク質によって行われる。フェリチンは鉄を安全な形で包み込み、細胞が鉄の過剰によってダメージ(酸化ストレスなど)を受けるのを防ぐ役割がある。
マクロファージは、体内に侵入した細菌やウイルス、死んだ細胞などを食べて消化する白血球(単球)の一種である。全身の組織に存在し、病原体を排除する「体の掃除屋」として働くほか、免疫システムの司令塔として他の免疫細胞に異物の情報を伝える重要な役割を担っている。
生体磁気コンパスの謎
ハトや他の鳥類は「それ」ができる。ウミガメ、イセエビ、ガ、メクラネズミ、コククジラ、オオコウモリもだ。地球の磁場のわずかな変動がわかる動物は多いのに、どうやって感知するのかは生物学の最大の謎の1つであり続けてきたが、ドイツの科学者チームが伝書鳩の体内コンパスのありかをついに見つけたと発表した。
それは目でも耳でもくちばしでもなく、驚くべき場所だった。肝臓にある免疫細胞が関わっているという。論文は学術誌「サイエンス」に5月28日付けで掲載された。
「磁気の感覚は1世紀にわたる謎であり、それがどこにあり、どのようなしくみになっているかは誰も解明できませんでした」と、論文の共著者で、マックス・プランク動物行動研究所の所長のマルティン・ビケルスキー氏は言う。「私たちは筋の通る答えを見つけられたと考えています」
「ひらめきの瞬間」
地球の内部には、液体の鉄とニッケルからなる荒れ狂う海が渦巻いていて、この溶けた金属の動きが地球を巨大な磁石に変えている。地球の磁場は宇宙空間まで広がり、その中を飛んだり泳いだりするすべての動物を危険な宇宙放射線から保護している。
動物学者たちは19世紀には、鳥類は地球の磁場を利用してナビゲーションを行っているのではないかと考えていた。1960年代の実験では、飼育下のヨーロッパコマドリが人工の磁場に応じて動きを変えることが示された。
それ以来、磁気への感受性のある動物のリストにはサメやサケや他の多くの動物が加わった。これらの動物たちは、体内のどこかにある生物学的なコンパスを使って、地球の深部から届く、目には見えない磁気を手がかりに自分の現在地を知り、空や海を越えて壮大な渡りをする。
だが、「磁気受容」と呼ばれるこの不思議な感覚のしくみは未解明のままだった。
目や耳が光や音を捉えるために体の表面近くになければならないのとは違い、地球の磁場を感知する器官は、理論上はどこにあってもかまわない。「なぜなら、地球の磁場は動物の体を完全に貫通しているからです」と、米カリフォルニア大学アーバイン校の生物物理学者で、今回の研究には参加していないトーステン・リッツ氏は説明する。
科学者たちは長年にわたり、鳥が地球の磁場を感知するのに利用しているのは目の中にある物質なのか、くちばしに含まれる粒子なのか、内耳の液体なのかをめぐって激しい議論を交わしてきた。
ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)でもあるビケルスキー氏の探求は、10年以上前に、学会のコーヒーブレイク中に免疫学者のクリスチャン・クルツ氏と出会ったことから始まった。
ビケルスキー氏は鳥類の渡りについて研究していた。クルツ氏は古い赤血球を取り込んで鉄を蓄積すると磁気に反応するようになるマクロファージという免疫細胞について研究していた。
「ひらめきの瞬間でした」とクルツ氏は振り返る。「これらの細胞がナビゲーションに関与しているかどうかを検証できるかもしれないと思ったのです」
免疫細胞がないハトは巣に帰れなくなった
研究者たちはカワラバト(Columba livia)の目、くちばし、脳、脾臓、肝臓を調べて、鉄をためこんだマクロファージを肝臓で高い濃度で発見した。これらの免疫細胞は神経線維のすぐそばに位置していた。
「神経細胞とマクロファージが実際に情報をやりとりしている可能性が非常に高いです」と、論文の筆頭著者で、ドイツ、ボン大学の免疫学者であるクリビア・リソウスキー氏は言う。
肝臓のマクロファージが鳥のナビゲーションに関わっているかどうかを確認するため、研究チームは34羽のハトを用いて一連の実験を行った。ハトたちは、アルプス山脈のふもとのドイツの田園地帯を、タカやハヤブサをかわしながら19キロメートル飛行するように訓練された。
「訓練さえ終われば彼らは完璧です」とビケルスキー氏は言う。「どんな敵もかわします。悪魔に追われているかのように、必死に飛んで帰ってきます」
しかし、マクロファージを除去すると、ハトは曇天時には帰巣できなくなった。雲が晴れ、太陽が再び顔を出すと、マクロファージを除去したハトも問題なく帰巣できた。
この結果は、ハトが視覚的手がかりと磁気的手がかり、すなわち頭上に輝く太陽と地下で脈打つ地球の磁場の両方を使って道を見つけられることを示唆している。太陽が雲に隠れている間は、ハトたちは体内のコンパスに大きく依存して飛行しているようだ。
ますます深まる謎、他の動物でも?
研究チームは、自分たちが提唱する磁気受容のメカニズムについては、まだ解明すべき点が多く残っていることを認めている。地球の磁場と調子を合わせるために、マクロファージの内部でどんなことが起きているのだろうか? その信号をどの神経が脳へと伝えているのだろうか? そして脳のどの部位が、その情報を処理するのだろうか?
「私たちの論証には多くの穴がありますが、それを少しずつ解消していくことで、この発見の妥当性を裏付けられると思います」とクルツ氏は言う。
研究チームは、他の動物も免疫系をコンパスとして利用しているのか、それとも生命は地球の磁場を解読する方法を何種類も進化させてきたのかについても明らかにしていきたいと考えている。
研究に参加していないリッツ氏は、自身の研究で、鳴き鳥は目の磁気感受性分子を使って、通常は見えない地球の磁場を「見て」いると示唆しているが、今回提案されたマクロファージのメカニズムには説得力があると評価する。
「動物が進化上の優位性を得る方法には、ほとんどの場合、複数の解決策が存在します」とリッツ氏は言う。「私は、勝ち負けを決めようとするよりも柔軟な姿勢を保つべきだと考えているので、現時点では『どちらも正しい可能性がある』という立場を全面的に支持しています」
実際、今回の研究は、磁気受容のしくみをめぐる長年の議論に新たな一石を投じた。「サイエンス」の同じ号に掲載された論説記事の中で、今回の研究は肝臓以外の器官がナビゲーションに何らかの役割を果たしている可能性を否定するものではないと、研究者のサイモン・スパイロ氏とハル・ドレイクスミス氏は指摘する。太陽が照っていない状況においては、特にそうだ。
「異なる精度で機能するプロセスが共存していて、長距離のナビゲーションでは一方のプロセスが主導的な役割を果たし、より具体的な目的地の探知にはもう一方のプロセスが用いられるのかもしれない」と、彼らは論説記事で述べている。「実際、暗闇の中で家に帰る手段を複数持っておくのは賢明かもしれない」
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