不治の病と言われた「エイズ」
エイズ(AIDS:後天性免疫不全症候群)は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)に感染することで体の免疫細胞が破壊され、本来なら抑え込めるはずの様々な病気(日和見感染症など)を発症した状態を指す。
1981年に最初のエイズ症例が報告されて以来、世界中へHIV感染が急激に広がった。現在は多少ペースが鈍化したもののHIV感染者数・エイズ患者数は増え続けており、2024年末現在、HIVとともに生きている人は世界で約4,080万人となっている。
また、2024年に新たにHIVに感染した人は約130万人、エイズ関連疾患によって亡くなった人は約63万人となっている。日本では、2024年の新規HIV感染者/エイズ患者報告数は994件となり、2年連続の増加となっている。

HIVに感染していたことを知らずに、エイズを発症して初めて気づいたというケースが、新規HIV感染者・エイズ患者数全体の約3割を占めている。
エイズの恐ろしいところは性感染症であり、ワクチンがなく治療法がなかったことである。現在は1987年に実用化された世界初の治療薬「AZT」により、ウイルスの増殖を抑えることができ、発症しにくくなっている。
科学の進歩とヒトの情熱は素晴らしい。あのエイズが発症しない。もし、ウイルスが増殖したらどうなるのだろうか…。HIVウイルスはヒトの免疫細胞を標的にするので免疫が破壊され、普段は感染することのない病原体に感染し、苦しみのうちに死を迎えることになる。
後天的免疫不全による23の全身性炎症疾患
具体的には、免疫細胞を破壊された後天的免疫不全による「日和見感染症」、次の23の合併症のうち、いずれかを発症した状態になる。
23の合併症とは真菌による 1.カンジダ症(食道、気管、気管支、肺) 2.クリプトコッカス症(肺意外) 3.コクシジオイデス症 4.ヒストプラズマ症 5.ニューモシスティス肺炎(P. jiroveci)、原虫による 6.トキソプラズマ脳症(生後1か月以後) 7.クリプトスポリジウム症(1か月以上続く下痢) 8.イソスポラ症(1か月以上続く下痢)細菌による 9.化膿性細菌感染症(13歳未満) 10.サルモネラ菌血症(再発を繰り返すもので、チフス菌によるものを除く) 11.活動性結核(肺結核又は肺外結核) 12.非結核性抗酸菌症 、ウイルスによる13.サイトメガロウイルス感染症(生後1か月以後) 14.単純ヘルペスウイルス感染症 15.進行性多巣性白質脳症、腫瘍性のもので16.カポジ肉腫 17.原発性脳リンパ腫 18.非ホジキンリンパ腫 19.浸潤性子宮頚癌、その他の炎症では 20.反復性肺炎 21.リンパ性間質性肺炎/肺リンパ過形成 22.HIV脳症(認知症又は亜急性脳炎) 23.HIV消耗性症候群(全身衰弱又はスリム病)である。
感染から2〜4週で、無症候やインフルエンザのような症状などを起こしてから、5年から10年の症状のない潜伏期間に入る。後に風邪によく似た症状や全身の脂漏性皮膚炎を呈し、その後多くの感染症にかかるようになる。感染経路は、主にコンドームを用いない性行為のほか、注射器の打ち回し、血液製剤による血液感染や母子感染がある。AIDSの検査には血液検査が用いられる。
世界を震撼させた「不治の病」
かつて「不治の病」といわれたエイズ。その治療薬を世界で初めて発見し、治療できる病気に変えたのが日本人研究者・満屋裕明氏。現在、東京にある「国立国際医療研究所」の所長をつとめている。
75歳となった今も、日本とアメリカを行き来しながらエイズをはじめとする感染症の研究を続け、ことし、開発に関わった5つめの治療薬が承認された。
エイズの患者が初めてアメリカで報告されたのは1981年。体を守る免疫機能が失われ、さまざまな感染症に襲われて命を落とす。その恐ろしさは世界に大きな衝撃を与えました。
エイズの原因となるHIV=ヒト免疫不全ウイルスが発見されたのは1983年でしたが、治療法はわからず、当時、エイズと診断されることは事実上「死の宣告」だったという。
1985年には世界中でエイズの患者が確認されるようになり、患者は増え続ける。診断された時点で、絶望して自殺する人も少なくなかった。満屋さんがアメリカでエイズ研究を始めたのはその頃だった。
在籍していた研究室でエイズの治療薬を研究する方針が示されたとき、多くの同僚は参加を拒否した。エイズへの恐怖心は研究者にも広がっていて、研究すること自体が大きなリスクと考えられていた。
「アメリカの同僚には『エイズの研究をやるならこのラボ(研究室)を出ていく』とまで言われました。もちろん私自身も、怖くなかったわけではありません。ただ、そこは蛮勇とでもいうのでしょうか。何でもかんでも心配していたらこの仕事はできません。私がやらなければ誰がやるのか、という思いでした」
実験をするのは夜中、周囲に誰もいなくなった研究室。孤独の中での挑戦だった。
「研究を始めた当初、エイズは男性同性愛者の病気だとされていました。感染した人々への差別や偏見は非常に大きかった。研究者として、そうした立場に置かれている人たちの側に立とうと思ったのです」
「治療や研究の進展は、差別をなくす大きな力になります。科学の力と正しい理解があれば、無意味な差別はなくせる。感染症による差別は、必ず防げると信じています」
世界初の治療薬「AZT」
満屋さんはまず、原因となるウイルスを抑える物質を見つける実験方法を探すことから始めた。
エイズのウイルスはヒトの免疫細胞に感染して増殖する。満屋さんはウイルスを増やすのに適した細胞の株を見つけ、試験管でさまざまな薬品を細胞に投与する実験手法を確立した。
薬品に効果があるかどうかを肉眼ですぐに確認できるため、効率的に実験を進めることができた。 数十種類もの薬品を試した末に、がんの治療薬として開発されていた物質にウイルスの増殖を抑える効果があることを発見。
1987年、その成果は世界初のエイズ治療薬「AZT」として実用化された。医学の歴史を変える一歩だった。
「当時、HIVでこうした実験方法を編み出していたのは、おそらく私だけでした。仮説を立証する方法を持っていたので、ほかの研究者がなかなかできなかった治療薬AZTの発見ができました」
「実際に実験データが出て、自分の予測が当たるとうれしいんですよ。Eureka(エウレカ)!と言うんです。ああ、だから研究はやめられないんだよなって思うんです」
もっとよい薬を
世界初の治療薬発見の快挙。AZTの登場はエイズの患者に生きる時間と希望をもたらした。しかし、満屋さんはそれだけでは満足しなかった。
「AZTがHIVの増殖を抑える効果はすぐに失われてしまうため、1日に5回、決まった間隔で服用しなければなりません。貧血や吐き気といった副作用もありました。患者の負担は重く、決して理想的な薬ではなかったのです」
満屋さんはより効果が長続きし、副作用の少ない治療薬の開発に打ち込む。
「その時の私自身の心の声は『死ぬな、もっと良い薬ができる』でした。実際、AZTが実用化されて、アメリカでの自殺者が減ったとする報告もあったのです」
「研究室では次の薬の可能性が見えていましたが、実際に副作用と効果はどうなるか、3年間の臨床試験の結果を見届けるしかありません。開発の間、『確実に良い薬ができるから、患者さんは絶望しないでほしい』と思い続けていました」
救われた2000万人以上の命
満屋さんはAZTに続いて次々に治療薬を開発。満屋さんが開発したもののほかにも治療薬が登場し、複数の薬を組み合わせて服用する治療が確立された。
現在では1日1回の服用で日常生活を送ることができるようになった。国際的な推計では、エイズ治療の進歩によって、これまでに2000万人から2500万人の命が救われたと試算されている。
かつての「不治の病」は、「治療しながら生きる病」へと変わった。
「薬を飲み続けさえすれば患者は普通の生活ができて、他人に感染させることはない。HIVに感染したお母さんからも立派な子どもが生まれて、子どもは普通に生活できるようになりました」
「感染しても治療すれば、ほぼ天寿を全うできる病気になったのです。エイズ治療薬の研究に関しては、この40年でここまで進んだのは奇跡的とも思っています」
いまも続けられる治療薬の研究
満屋さんはいまもエイズ治療薬の開発を続けている。ことし、満屋さんにとって5つめとなる治療薬が承認された。
開発を続ける背景には、耐性ウイルスの問題がある。薬による治療を長く続けていると、ウイルスが変異し、これまでの薬が効きにくい耐性ウイルスが出現することがある。そうすると、既存の薬ではウイルスの増殖を抑えられなくなる可能性がある。
「どの治療薬の開発も、高い臨床効果でありながら、副作用の問題をクリアするいわば狭き門を抜けないといけないのです。今回開発に携わった5つ目の治療薬は、いま分かっている耐性ウイルスにも効果を示す、最も強力な薬だと思っています」
エイズ治療薬は「生き延びるためのもの」から「より良く生きるためのもの」へと、いまも進化を続けている。現在の治療では薬を1日1回飲むのが一般的だが、満屋さんは「週に1回の服薬でよい治療薬」の開発を目指している。飲む回数を減らせれば、患者の負担が大きく軽減されるだけでなく、飲み忘れることが少なくなり、耐性ウイルスの出現を抑える効果も期待される。
さらに、医療アクセスが限られる地域では、費用の負担や受診回数を減らすことにつながる。
「高血圧の薬であったならば、1回飲み忘れたくらいでは大変なことにはならないかもしれませんが、エイズの場合は耐性ウイルスを生み出してしまうリスクがあります。耐性をもって薬が効かなくなってしまうと、事態はふたたび深刻になってしまう」
「また、エイズの治療薬は高価で、年間、数百万円以上かかるものもあります。生活面でもコスト面でも、患者にとって飲みやすい薬の開発が重要です」
エイズを取り巻く危機的な状況
エイズは、過去の病気になったわけではありません。
世界では、HIVの感染拡大が続いていて、WHOによると2024年には推定63万人がエイズが原因で死亡、130万人が新たに感染しているとされている。日本でも毎年、新たにおよそ900人がHIVに感染したり、エイズを発症したりしていると報告されている。
状況を悪化させかねないのが、アメリカの対外援助削減です。治療薬が買えない途上国には、各国が資金を拠出するなどして薬の供給が行われてきた。
しかし、アメリカの対外援助が削減されたことで、アフリカの一部の地域などでは治療薬が不足しつつあり、2030年までに900万人以上が亡くなってしまうという試算も報告されている。
「WHOも警鐘を鳴らす事態になってきています。せっかく薬があってもそれを必要な患者に届けられないと意味がないのです。薬を作るにはどうしても費用がかかります」
「これまでは、先進国にある程度お金を払ってもらって、中低所得国にはほぼ無料で提供するという仕組みでうまく回していましたが、それがいま崩壊しつつある状況です。私自身もアメリカの研究所で仕事をした手前、アメリカは国際支援に対する考え方を改めるべきだと思っています」
感染症にどう備えるか
世界情勢の変化で国際的な協力体制が難しくなっているのはエイズだけではない。国境を越えて広がる感染症への備えも危機にあると満屋さんは指摘している。
まだ記憶に新しい新型コロナウイルスのパンデミック。クルーズ船でのハンタウイルス感染症の発生、アフリカ中部でのエボラ出血熱の拡大など、感染症は人類を脅かし続けている。
「歴史的に見れば新型コロナのようなパンデミックは絶対に起きます。そのときに人類が生きていくために準備をしていかないといけないのです。だからこそいまの研究が重要です」
かつて満屋さんが世界初のエイズ治療薬として見つけたAZT。
元は抗がん剤の候補として開発されていた物質でしたが、使われなくなっていたものでした。それが満屋さんの研究の結果、エイズの治療薬として新たな役割を見いだされた。
「いまの病気には薬にならなくても、次に我々を襲うウイルスには効くかもしれない。あるいは、少し変えれば薬になるかもしれない。そういう研究を、知識を、平時から積み重ねておかないといけないんです」
「Scientist」はかっこいい
満屋さんのデスクのすぐ横には、お気に入りだというジョン・レノンの記念切手が飾られている。 世界に平和を訴え続けた歌手の姿と、エイズの研究に半世紀近くをささげて患者の希望を支え続けてきた研究者の姿はどこか重なって見える。
「Scientist(科学者)は、どんなスターよりも、かっこいい。『人の痛みを和らげて幸せをもたらす、こんなかっこいい商売があるか』と思っています。科学者がいなければ、たとえば、電気も音楽も、新型コロナのワクチンもできていません。いまの生活、そして毎日の幸せはないのです。“Science”が大事なのです」
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