建国250年 トランプ大統領 演説
アメリカのトランプ大統領は、7月4日の独立記念日を前に中西部サウスダコタ州で演説した。演説は、野党・民主党の一部の政治家を念頭に「共産主義を速やかに打破する」と述べるなど党派色の強い内容となった。分断が続いているというアメリカは一つの理念の元に一つになれるのだろうか。
アメリカのトランプ大統領は、独立記念日の7月4日を前に、3日夜、中西部サウスダコタ州にあるラシュモア山で演説した。
アメリカ中西部サウスダコタ州にあるラシュモア山は有名な観光地の一つで、岩肌に4人の歴代大統領、初代のジョージ・ワシントン、第3代のトーマス・ジェファーソン、第16代のエイブラハム・リンカーン、第26代のセオドア・ルーズベルトの顔が18メートルほどの大きさで彫られている。
トランプ大統領は冒頭「アメリカは地球上で最も強く、人類史上に存在したどの国よりも成功し、卓越した国だ」と述べた。

その上で、野党・民主党で左派色の強い政治家が存在感を強めていることを念頭に「われわれの土地で、共産主義が再燃している。アメリカ国民は共産主義を速やかに打破すると決意し、ここに誓う」と述べた。
自由や平等といった理念がうたわれた独立宣言から250年を前にしたトランプ大統領の演説は、党派色が強い内容となり、有力紙のニューヨーク・タイムズは「11月の中間選挙に向けたウォームアップのようだ」と伝えている。
国内にも共産主義者がおり、さすが自由の国アメリカであると思う。一方でコロナウイルスやUFO技術の一部を、中国政府に流出した協力者がいたのもアメリカである。その結果、現在の中国覇権主義を許してしまった。
アメリカでは、政治的な二極化(民主党と共和党、リベラルと保守の対立)や価値観の多様化による社会的な分断が深刻化しており、「分断国家アメリカ」と形容されることもある。独立戦争では確かに一つになったアメリカは、今後一つの国として成立し続けられるのだろうか。
イラン ハメネイ師葬儀、米と1週間 協議中断
イランでは、アメリカとイスラエルの攻撃で殺害された前の最高指導者、ハメネイ師の葬儀が行われている。アメリカとイランは、一連の行事が終わるまで、戦闘終結に向けた協議を1週間中断することに合意したと伝えられていて、イラン側は、参列のために訪れた各国の要人と会談を重ねている。
イランの前の最高指導者、ハメネイ師の葬儀は現地時間の7月4日、首都テヘランで始まり、ひつぎが安置された礼拝施設には大勢の市民が集まり、ハメネイ師の肖像を掲げたり、イスラム教シーア派のしきたりにのっとって、みずからの胸をたたいたりして追悼している。
集まった人たちは「アメリカとの関係は決して良好にはならない」とか、「私たちは全力を尽くして最高指導者が流した血の復しゅうを果たす」などと話していた。
トランプ大統領は「彼らは全員そこにいる。一撃だ。だが、われわれはそのようなことはしない。協議する相手がいなくなってしまうからだ」と述べて、イランの指導者層をねらって葬儀の会場を攻撃するようなことはしないと説明した。
さらに、トランプ大統領は、イランの人々がハメネイ師を嫌っていると考えていたので、葬儀で一部の人たちが涙を流していることに驚き「おそらく、偽りの涙だろう」と述べたという。
また7月3日、トランプ大統領とイスラエルのネタニヤフ首相が電話で会談した。トランプ大統領は、両者の関係は良好だと強調した。
ただ、アメリカ政府の当局者が「トランプ大統領の側近の多くはネタニヤフ首相の考えはすべて間違っていたと考えている」と述べたとも伝えていて、両者の安全保障や外交をめぐる目標に隔たりが生まれているとも指摘している。
アメリカ250年の歩み
アメリカ建国250年の歴史を振り返ってみたい。1400年代後半、イタリア半島を中心としたヨーロッパでルネサンスが花開いたこの時代、ポルトガルとスペインがいち早く遠洋航海技術を身に付け、大航海時代が幕をあけた。
イタリア(ジェノヴァ)人クリストファー・コロンブスはスペイン女王の承諾を受け、大西洋周りによるアジア発見を志したが、1492年に西インド諸島に到達した。
これに引き続き、1498年英国人ジョン・カボットが北米大陸の東海岸を探検し英国がこれを領有(ニューイングランド植民地)、1534年フランス人ジャック・カルティエがセントローレンス川を遡ってこれをフランスが領有化(カナダ植民地)するなど、西欧人による南北アメリカ大陸の探検と開拓、インディアンに対する領土略奪と虐殺が始まった。
1607年のジェームズタウン植民地建設に始まるイギリスの北アメリカ十三植民地の形成と発展は、先住民アメリカインディアンの「排除」とヨーロッパ人年季契約奉公人とアフリカ人奴隷(黒人奴隷)の「植民」を前提として行なわれた。
イギリスの名誉革命後、ヨーロッパにおける数次の王位継承戦争と連動したフランスとの植民地争奪戦争に勝ったイギリスは、1763年以後帝国統制政策を強化したが,すでに植民地自治を強化し、いまやフランスの軍事的脅威からも解放された北アメリカ十三植民地はこれに強く抵抗し、1775年ついに武力抗争に踏み切り、独立戦争(アメリカ独立戦争)に突入した。
翌 1776年大陸会議に結集した十三植民地は独立宣言(アメリカ独立宣言)を公布し、次々に邦憲法を制定して 13の共和邦に転換、それらが連合してアメリカ合衆国を形成した。
1783年のパリ条約で政治的独立を国際的に承認されたのち、1787年連邦憲法と北西部領地条令を制定して、国家建設の第一歩を踏み出した。
1812年のアメリカ=イギリス戦争を経て、北東部では綿工業を軸に産業革命が進展し、南部では黒人奴隷制の再強化による綿花プランテーションが発展、西部ではインディアンから土地を奪取して拡大した領土で農林業と工業の発展がみられ、白人市民の政治的発言権が拡大した(ジャクソン民主主義)。
この間、1803年にはミシシッピ川以西のルイジアナ、1819年にはフロリダ、1845年にはテキサス、1846年にはオレゴン、1848年にはカリフォルニア、ニューメキシコなどを、それぞれ獲得あるいは併合して 19世紀半ばにはほぼ今日の合衆国本土領域を形成するにいたった。
1850年代には西方領土における奴隷制の存否をめぐって南北間の政治的対立が激化し、南北戦争による奴隷制廃止によって決着がつけられた(奴隷制廃止運動)。
戦後から 19世紀末までの間に、鉄鋼・石油部門を中心に工業が飛躍的に発展して、大企業による独占体制が成立する一方、労働運動が進展してアメリカ労働総同盟(アメリカ労働総同盟産業別組合会議)が結成された。
西部においてはインディアン征服を終え、農業、鉱業が著しく発展してフロンティアは消滅し、農民運動の高揚、人民党の結成をみた。
1898年のアメリカ=スペイン戦争を機にアメリカは「門戸開放」を旗印に帝国主義列強による世界分割競争に加わり、国内では人種差別制度をてことする資本の支配を強めていく。
第1次世界大戦後、最大の資本主義国(資本主義)として国際経済への支配力と国際政治への発言権を強め、国内では大量生産、大量消費、大量伝達の時代を現出したが、1929年の大不況(大恐慌)により繁栄の夢は終わり、その克服策としてニューディールがとられた。
第2次世界大戦後、資本主義世界の指導国として社会主義世界と対立し、1960年代には内外の植民地独立運動、民族解放運動に直面、1970年代にはそのよって立つ原理に反省を迫られた。
1980年代は経済の低迷や社会問題の悪化に苦しんだが、1989年に冷戦が終結すると、1990年代は経済の回復、拡大で未曾有の経済的、社会的繁栄を迎え、世界で唯一の超大国となった。
2000年代初頭、経済にかげりが見え始めた 2001年9月11日、イスラム過激派によるアメリカ史上最悪のテロ事件が起こり、精神的・経済的打撃を受けた(アメリカ同時テロ,アルカイダ)。2009年1月、バラク・オバマがアメリカ史上初のアフリカ系アメリカ人大統領に就任した。
アメリカの建国250年は、日本では江戸時代後期から明治維新〜太平洋戦争〜現代にかけての期間の出来事である。
複雑な思いを抱える先住民の人たち
アメリカで建国250年の祝賀行事が続く中、トランプ政権が主導する行事がアメリカの歴史や多様性を反映していないという批判の声も上がっている。
なかでも建国の前からアメリカ大陸に暮らしてきた先住民の人たちは複雑な思いを抱いている。 東部ニューヨーク州のシラキュース近郊に住むオノンダガ族の人たちは、のちに初代大統領となるジョージ・ワシントンの命令を受けた軍隊により村を焼かれて以来、歴代のアメリカ大統領を「村の破壊者」と呼び続けている。
オノンダガ族の文化施設の館長を務めるエマーソン・シェナンドアさんは「私たちの歴史の多くは隠蔽されてしまっている。アメリカの歴史を学ぶ際に、公民権運動などは教わりるが、土地がどのように与えられ、あるいは奪われたのか、また、アメリカがどのように成立したのかについてはほとんど教えられない」と述べ、建国250年のキャンペーンに不満を示した。
そのうえで「アメリカの建国250年が迫るなか、アメリカの文化とわれわれの価値観の対比があまりに鮮明で悲しい気持ちだ。私は、お金は食べられないと教えられて育ったが、現代の西洋社会はお金にばかり目を向けている」と述べ、アメリカ社会のあり方を批判した。
そして独立記念日の過ごし方については「私たちにとって7月4日はただの一日です。祝う日ではありません。花火を見るのは楽しいですが、あくまで普通の一日です。アメリカが先住民の権利全般を尊重しない限り、われわれが独立記念日を祝うことは考えられないです」と話した。
アメリカ先住民(インディアン)が迫害されたのは19世紀から。アメリカ合衆国による「西部開拓」に伴い、彼らの土地と資源が白人入植者によって奪われた。
白人たちの間で「明白な運命(西へ領土を広げるのは神の意志)」という思想が広まり、彼らの生活圏である広大な土地が大規模な開発や農耕地として狙われた。
1830年の「インディアン移住法」により、先住民は住み慣れた土地を追われ、軍事力を用いて現在のオクラホマ州などの保留地へと強制的に移動させられた。
土地だけでなく、伝統文化、言語、宗教の放棄が強要されました。特に子供を親元から引き離して白人社会へ同化させるための寄宿学校政策など、深刻な人権侵害が行われた。
この過程で、生存の糧であったバッファローが白人によって乱獲され絶滅寸前まで追い込まれたことも、彼らをさらに窮地に陥れたとされている。
20世紀初頭のアメリカでは、優生学に基づき、貧困層やマイノリティを標的とした断種法が広まった。1970年の「家族計画・人口調査法」により、IHS施設での不妊手術費用の9割が連邦政府から補助されるようになった。これにより、貧しい先住民女性がターゲットにされた。
1970年から1976年の間に、出産適齢期のネイティブアメリカン女性の約 25%、あるいはそれ以上の数万人が同意なし・十分な説明なしに不妊手術を受けたと推計されている。一部では11歳の未成年も含まれていたという。
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