イラン情勢混沌の理由
アメリカのトランプ大統領は7月8日、イラン情勢について「イランは非常に悪いふるまいをしている。昨夜、彼らが無人機やミサイルなどで攻撃したあと、われわれは彼らを激しく攻撃した」と述べた。その上で「われわれはおそらく今夜もまた彼らを激しく攻撃する。少し警告しておく」と述べ、イランに対して、7日に続き、8日も攻撃を行う可能性を示した。
イランはホルムズ海峡を通るカタール船籍のタンカーに向けて、ドローンで攻撃したのだ。なぜ停戦に向けて協議する覚書にサインしたにもかかわらずそんなことをしたのだろうか。
トランプ大統領は、訪問先のトルコでイラン情勢をめぐり「停戦は終わったのか、停戦に向けた覚書は破棄されたのか」などと記者団から問われたのに対し「非常に興味深い質問だ。私としては終わったと思う。もう彼らとは関わりたくない」と述べ、イランに対する不満をあらわにした。

一方、イラン議会のガリバフ議長は9日、SNSの投稿でアメリカによる一連の攻撃について「アメリカはいまだに、威圧や約束の破棄に代償が伴うことを学んでいない。はっきり言おう。攻撃すれば、反撃を受けることになる」として報復も辞さない姿勢を示した。
そして「悪あがきはやめろ。さらに深みにはまるだけだ。ホルムズ海峡は、アメリカの脅しによってではなく、イラン側の取り決めによってのみ開放される」とアメリカをけん制した。
まるで、停戦をし、これから和平に向けての話し合いが始まるとも思えない状況だが、一方でトランプ大統領は「少し前にイラン側から電話がかかってきた」と明らかにした上で「彼らは必死に合意を望んでいる。ただ、合意を結ぶ価値がある相手かどうかはわからない」などと述べている。
記者団から「イランが合意を望んでいるならなぜ、商船を攻撃したと思うか」と問われたのに対し、「彼らは制御が少しきかない状態になっているがそれでも必死に合意を望んでいる」と主張した。
トランプ大統領の言うことと、イランの言うことが一致していないことがわかるが、なぜこのようなことになっているのか。
原理主義と自由民主主義の違い
これが原理主義の国と自由民主主義の国との違いだと思う。
ロイターが実施した最新の世論調査で、トランプ米大統領によるイランに対する軍事攻撃は代償に見合う価値があったと考えるのは回答者の約4分の1にとどまり、過半数がイランとの停戦は長続きしないと懸念していることが分かった。
トランプ大統領の支持率は34%と、4月の調査で示された第2期政権下の最低水準に並ぶ水準に低下。対イラン政策が支持率に重くのしかかっていることが示された。
米国とイランは6月17日に和平に向けた覚書(MOU)に署名。調査は全米の成人を対象にオンライン形式で実施された。軍事攻撃開始前と比べて米国がイランに対しより強い立場にあると考える回答者は23%。トランプ氏が所属する共和党の支持者の間でも約50%にとどまった。
支持率は低下しているものの、大統領としての権限は絶対でありこれがアメリカである。一方、イスラム原理主義のイランは、戦争に負けているのにもかかわらず、負けを認めていない。トランプ大統領もイランとの交渉も誰が国を代表しているのかわからないと言っている。
まるで太平洋戦争中の日本と似ている。日本も天皇を中心とした原理主義の国だったからだ。負けていても負けを認めない。下手をすると原子爆弾を落とされても認めない可能性もあった。しかし最後に天皇が負けを認めたことで日本は助かった。戦後日本は象徴天皇となり、現在は民主主義の国と言われている。
イランが今後、発展していけるかどうかは、やはり民主化できるかどうかにかかっている。原理主義でも良いが、誰が国を代表しているかわからない国ではいけない。イランにも大統領がいて権限がなく、イラン革命防衛軍の司令官が権限を持っていたり、議会の議長が権限を持っていたり、宗教的指導者が権力を握っていたりする。イスラム教宗教的指導者が政治家であっては、キリスト教国や他の宗教立国と対立するのはあたりまえだ。
地球上の宗教はほとんど原理主義で排他的だ。原理主義の国が核兵器を持とうと意図したことは、アメリカでなくとも、やはり止めたいと思うだろう。では、中国が核兵器を持っているのはどうなのか。
当然ものすごく不安である。中国共産党も原理主義の国なので、共産主義の国以外を敵視する。非常に危険な状態だと思う。
それにしても、他国はイランに対して戦争しようとは思わない。なぜアメリカだけあのような自由が許されているのか?
自由の国アメリカ
原理主義の国があってもいいと思う。ディープステートの国があっても構わないと思う。ただし、大多数の国民の自由を奪わなければ…。
イランとアメリカの交渉をみると、インディアンとアメリカ政府の交渉の歴史を思い出す。それは原理主義と自由主義の戦いの歴史であり、いつまでも平行線であったからだ。
アメリカでは1790年から1920年にかけて、ネイティブ・アメリカンをヨーロッパ系アメリカ人の主流文化に同化させるための一連の取り組みが行われ た。
そもそも初代大統領ジョージ・ワシントンは、アメリカの本流の中でネイティブ・アメリカンの文化的同化を最初に提唱した。
彼はいわゆる「文明化プロセス」を奨励する政策を策定した。ヨーロッパからの移民の波が増加するにつれて、市民の大多数が共通に持つべき文化的価値観や 慣習の標準セットを奨励するための教育に対する社会的支持が高まった。
教育は、マイノリティの社会化プロセスにおける主要な方法と見なされた。 アメリカ化政策は、先住民がアメリカの習慣や価値観を学べば、部族の伝統をアメリカ文化と融合させ、平和的に社会の多数派に加わることができるという考えに基づいていた。しかし、その努力は無駄であった。彼らは彼らの原理を変えなかったからだ。
原理主義者だったネイティブ・アメリカン
1622年から1890年の間の、北アメリカで白人入植者(white man)がインディアンに対して行った組織的な虐殺の総称をインディアン大虐殺とよぶことがある。
初期から白人入植者によるインディアンへの一方的な攻撃と土地や資産の強奪、虐殺が続いていたが、白人入植者の増加とともに大規模化していった。大多数の白人の自由を優先したのだ。
この絶滅政策は、白人、主にキリスト教徒によって行われた大量虐殺、民族浄化、強制移住であった。これらの絶滅政策の影響により、インディアンは少なくとも500万人以上が死亡し徹底的に資産を強奪された。インディアンはブラックヒルズなど白人に奪われた土地の返還を求めて闘い続けているが、アメリカ合衆国政府や政府を支持する人々は現在でも土地を返還する意向を示していない。
はじめ、白人たちはインディアンとの戦いの中で、酋長を部族の代表、部族長だと考えていた。「部族民たちが敬愛する大戦士」を大酋長だと思い込んで彼らをそう呼んだ。白人には大戦士も酋長も見分けがつかなかった。
酋長(Chief) とは実際には、部族の調停者、世話役、あるいは奉仕者であって指導者でも部族長でもない。インディアンの社会に指導者も部族長もいない。個人が権力を持つ上意下達のシステムを持たないのである。これがインディアンの「原理主義」だった。
しかるにアメリカ合衆国はインディアン大虐殺を行うにあたって、酋長あるいは大戦士を部族長だとして、和平の調停や交渉の責任者とみなした。酋長の署名として「×印」を書かせ(インディアンは文字を持たない)、これを「部族の総意」と解釈したのである。もちろんこれは全くのやらせであって、合議を経ていない部族の総意はあり得ず、インディアンは抵抗をやめなかった。
インディアンの戦士と争ううちに、これはインディアンの「原理主義」だと気づいたにもかかわらず、アメリカ合衆国はしばしば「インディアンが協定を破って攻撃した」としている。しかし、協定を破っているのはイギリスやアメリカ側だった。「原理主義」もわかっていたはずだ。それを逆用したうえでの大虐殺だった。
神はアメリカに何を託したのか
「原理主義」に対する断固たる行動。一つの国に二つの主義は存在し得ない。もはやアメリカが何をするかは、神のみぞ知ると言うところかもしれない。
トランプ大統領は、一昨年7月の選挙集会での演説中、暗殺者に撃たれた。その直後、こぶしを挙げて「ファイト! ファイト! ファイト!」と叫ぶ姿は世界中に報道された。
幸福の科学の霊査では、トランプ氏の過去世とされるジョージ・ワシントン初代大統領も、将軍時代に13発もの銃弾を浴びたにもかかわらず、奇跡的に難を逃れている。
彼を標的にしたインディアンの酋長の「神はあなたに大きな役割を用意しているに違いない」という言葉は、その後のワシントンの運命とアメリカの行く末を預言するものとなった。アメリカ建国史の第一人者のスパルディング氏も、ワシントンがいなければ独立革命は不可能だったと語る。
トランプ大統領は創造者なのか
極めて重要な歴史の転換点で、ワシントンが救国のリーダーとなり、建国の礎を築いたように、トランプ氏は「アメリカを再び偉大に」をスローガンに、「ゴールデン・エイジ」を築こうとしている。幸いなことに、アメリカ人は現状維持を是とする官僚的な人物ではなく、未来を創造する革新的な人物を大統領に選んだ。
トランプ氏が2期目に行った革新的政策を例証しよう。関税政策による米製造業の復活、大型減税法案(「トランプ減税」の恒久化と追加減税策(昨年7月成立))、国境強化対策(不法移民対策)、政府改革(政府効率化や、DEI(多様性、公平性、包括性)やLGBTQ啓蒙方針の撤廃)、気候変動対策の見直しと原油掘削の拡大、ベネズエラなど西半球からの中国の排除、イランの核保有阻止の試みと中国との分断などである。
こうしたトランプ氏の政策は、自国を繁栄させるのみならず、悪を抑止し、「自由の精神」を国の内外に行き渡らせようとするものに見える。
実は、この自由の精神は建国時の「独立宣言」に由来する。独立宣言の冒頭部分を紹介する。
「人類の営みにおいて、一個の人民が他の人民との間に結ばれた政治的つながりを解消し、世界各国のなかで自然法と自然の神の法があたえた自立平等の地位を獲得しなければならぬと決意する時、独立の大義を明らかにすることは人として当然のことである」
「われわれは以下のいくつもの真実を自明のものと考える。すなわち、すべて人は平等に創られ、創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む奪うことのできない一定の権利を与えられている」
トランプ大統領は、7月4日の独立記念日に先立ち、「独立宣言に明文化された神聖な理想」を「復興、再生、自信、そして新たな時代」の礎として掲げる。現在、アメリカでは、「独立宣言」や憲法の精神を批判する学者が左派を中心に急増している。しかし、建国の父たちの並々ならぬ情熱からアメリカは生まれた。その建国の精神はどこから生まれたのか、そして神はアメリカに何を託したのか。あらためて考えたい。
![Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2026年7/7号[特集:歴史で読み解く アメリカ建国250年]](https://m.media-amazon.com/images/I/51UEzCKzirL._SL160_.jpg)
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