スペースシャトルが退役した主な理由

 スペースシャトル(Space Shuttle)は、アメリカ航空宇宙局(NASA)が1981年から2011年にかけて運用した、世界初となる繰り返し使用可能な有人宇宙往還機。

 ロケットのように打ち上げられたのち、飛行機のように滑走路へ着陸するスタイルで、国際宇宙ステーション(ISS)の建設や人工衛星の修理など多岐にわたるミッションで活躍した。あのスペースシャトルはなぜ中止になったのだろうか。

 コンセプトは良かった。宇宙に出た後、飛行機で滑空して戻ってくる。何度も何度も利用できる。格好がいいし、わかりやすい。しかし、ロケットの安全技術と飛行機の安全技術とは別物で両方の点検に莫大な費用がかかった。特に大気圏突入時の衝撃は大きく、耐熱パネルを何度も変えなければならなかった。

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 運用コストは当初、1回の打ち上げ費用が約1200万ドルと見込まれていたが、実際には1回あたり約15億ドル(約2000億円)以上のコストがかかった。再使用のためのメンテナンスが予想以上に複雑だったことが原因である。

 1986年のチャレンジャー号空中分解事故と、2003年のコロンビア号空中分解事故の2度の悲惨な事故により、計14名の宇宙飛行士の命が失われた。

 これにより有人飛行の危険性と安全性の限界が浮き彫りになった。民間宇宙船への移行老朽化も進む中、NASAは宇宙ステーションへの物資や人員の輸送を民間に委ねる方針へと切り替えた。現在はSpaceX社(ドラゴン宇宙船)や、ボーイング社(スターライナー宇宙船)などの民間宇宙船がその役割を担っている。

 サスティナブルなハズのスペースシャトルの大誤算

 2011年7月21日午前5時57分(日本時間午後6時57分)、NASAのスペースシャトル「アトランティス号」が13日間のミッションを終了し、米・フロリダ州のケネディ宇宙センターに帰還した。この飛行を最後に、米国の30年間にわたるシャトル計画はその歴史に幕を閉じた。

 スペースシャトルはそれまでのロケットとは異なり、世界初の再使用ができる有人宇宙船としてアメリカで開発され、1981年から運用された。スペースシャトルは、クルーが搭乗する「オービタ」、打ち上げ中にオービタの主エンジンへ燃料を供給する「外部燃料タンク」、打ち上げの途中までの推力を担う「固体燃料ロケットブースタ」の3つの要素から構成されている。

 このうちオービタと固体燃料ロケットブースターは再利用が可能だった。NASAもそのコンセプトを強調し、低コストで宇宙飛行ができるという見込みで計画を進めた。

「1回の打ち上げ費用は1200万ドルで済むだろう」という主張をした者もいた。

 しかし、いざフタを開けてみると再使用するための部品のメンテナンス費用が莫大で、計135回の打ち上げで2090億ドルもの多額の費用を要した。これは、一回の打ち上げで15億ドル強のコストがかかった計算になる。

 このような問題に加え、2度の事故、さらにリーマンショックによる不況と巨額の財政赤字も拍車をかけ、スペースシャトルは2011年についに打ち切りとなった。

 とはいえ、スペースシャトルは国際宇宙ステーションの建設を筆頭に多くの成果を残し、アポロ計画後のアメリカの威信を守る大きな役割を果たした。

 米国の威信のせデビュー113回の飛行

 1981年4月12日。米ケネディ宇宙センター(フロリダ州)の発射台を人々が遠巻きに見守る。午前7時、青空に向かって歓喜の声が上がった。

 米国が威信をかけて開発した宇宙船「コロンビア号」が飛び立つ。スペースシャトルの1号機だ。「次回の打ち上げはみんなで星条旗を振ってくれよ」。シャトルの打ち上げ責任者であるジョージ・ページ氏は記者会見で胸を張った。この日は旧ソ連のガガーリン少佐が史上初の有人宇宙飛行に成功してちょうど20年目だった。

「すべて順調だ」。ヤング船長とクリッペン操縦士は地上と交信。地球の軌道を回り2日後に帰還した。シャトルの初飛行は、人類を月へ送った60~70年代のアポロ計画に続く新時代の幕開けを告げた。

 シャトルは1回で使い切る従来の宇宙船と違い、宇宙と地球を繰り返し往復できる。飛行機型は、地球の滑走路にスムーズに着陸するため。米航空宇宙局(NASA)は、低コストだからと何度も使える飛行機型にこだわった。

 最大7人乗れるので、搭乗機会が増えた。医師や教師など民間人でも宇宙に行けるようになった。また胴体内部に大型の実験装置を積み込み、宇宙実験の成果を多く持ち帰れる。

 シャトル計画は順風満帆。83年に2号機の「チャレンジャー号」、84年には3号機の「ディスカバリー号」が就航。旧ソ連を上回る成果は米国民の愛国心を満たした。

 初飛行以降、大小様々なトラブルに見舞われながらも1年間に3度の打ち上げに成功。世界の有人宇宙開発をシャトルが主導する輝かしい時代が続く。

 2度の事故「チャレンジャー号」と「コロンビア号」の衝撃

 1986年1月28日、打ち上げからわずか73秒後の惨事だった。「チャレンジャー号」が観衆の目の前で爆発した。米国民が誇るシャトルの安全神話が打ち砕かれた。それまで順調に飛行回数を重ね「宇宙の定期便」とすら呼ばれた。85年には9回の打ち上げに成功した。

 1986年のチャレンジャー号は打ち上げ直後に空中分解し、乗組員7名が死亡した。原因は固体ロケットブースター(SRB)の継ぎ目を密閉するゴム製部品「Oリング」が、打ち上げ当日の異例の寒さで弾性を失い破損した。これにより高熱のガスが漏れ出し、隣接していた外部燃料タンクを破壊したことで大爆発を引き起こした。

 飛行士7人の犠牲は、米国内では「ケネディ暗殺以来の悲劇」となった。レーガン米大統領は「乗組員は我々を未来へ導こうとしていた。我々はそのあとを追い続けていく」と宇宙開発の継続を強調したが、打ち上げは2年半凍結された。

 万全の安全対策を施したはずが、悲劇は繰り返された。2003年の空中分解事故。ブッシュ米大統領が「コロンビア号は失われ、生存者はいない」と述べ、米国は再び深い悲しみに包まれた。

 コロンビア号は地球周回ミッションを終え、大気圏に再突入する際に空中分解し、7名の乗組員が死亡した。原因は打ち上げの約81秒後、外部燃料タンクから剥がれ落ちた発泡断熱材が左主翼の熱防護システム(耐熱パネル)に衝突。この衝突で耐熱パネルに穴があき、再突入時の超高温の空気が翼内部に侵入したことで機体が崩壊した。

 この時点で「113分の2」という高い事故率。大量の物資と乗員を一緒に積み込み、宇宙へ渡る飛行機。斬新な発想も、設計思想を誤ったとの疑念がわく。退役を早める要因の1つにもなった。

「ハッブル」を宇宙へ運ぶ

 1990年、宇宙に浮かぶ天文台「ハッブル宇宙望遠鏡」が完成した。大気の影響が無く、遠くの星まで見渡せる。全長13メートル、重さ11トンの円筒形。巨大な積み荷を運んだのがシャトル。後世に残る大きな功績だった。

 宇宙望遠鏡が最初に撮った天体画像はピンぼけで、関係者を大きく落胆させた。復旧へ再びシャトルに白羽の矢が立つ。

 望遠鏡はシャトルの飛行高度より200キロメートル以上高い、上空約600キロメートルにある。飛行士が宇宙遊泳して修理する途方もない計画が浮上。93年、「エンデバー号」で飛行士が向かった。連続5日、計30時間という当時最長の船外活動で修理に成功。シャトルの歴史でも「最も過酷で複雑なミッション」だった。

 望遠鏡は約20年間で3万以上の天体を観測、美しい天体画像を50万枚以上撮った。シャトルは2009年にも老朽化した望遠鏡を補修。天文学の発展に大きく貢献した。

 役割終え最後の発射

 チャレンジャー号の爆発から約2年半後、飛行は再開した。1998年からは人類最大の事業となる国際宇宙ステーション建設で中軸を担う。2008年に土井隆雄さん、星出彰彦さん、09年に若田光一さんがそれぞれ搭乗。日本実験棟「きぼう」を宇宙に完成させた。「宇宙ステーションは人間が造った21世紀のモニュメント。宇宙にできた日本の家も素晴らしい」(土井さん)

 しかし皮肉にも、宇宙ステーションの建設でシャトルの存在意義が薄らぐ。輸送作業が目立ち、華やかさが消えた。それまではシャトル船内が画期的な宇宙実験場だった。

 2010年4月15日、NASAケネディ宇宙センター。オバマ米大統領は演説した。「2030年代半ばまでに宇宙飛行士を火星の軌道に送る。シャトルは近く退役する」。宇宙ステーションへの物資や人の輸送は民間に開発を委ねる方針を確認した。

 2004年、ブッシュ米大統領が10年の退役を表明していた。数百億円とされる打ち上げ費用や老朽化が理由だ。今ではロシア宇宙船ソユーズに日本人飛行士が乗り、日本の宇宙船が物資を運ぶ。シャトルに頼る時代は終わった。当面、宇宙への「足」はソユーズが担う。10年4月、山崎直子飛行士がシャトルに乗った最後の日本人となった。