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「新潟中越沖地震」では10人の方が亡くなった。御冥福をお祈りする。

柏崎刈羽原子力発電所では、地震直後火災があったが、放射能漏れはないということであった。その後次々に不祥事が明るみに出て、「なんだこれは?」という状態になった。

東京電力側の体制が50ものトラブルをひた隠しにしようという態度にあきれてしまった。建設当時には未確認の断層が動いたなどと言い訳ばかりしている。

 柏崎刈羽原子力発電所

これでは、チェルノブイリ発電所の時の教訓が活かされていない。確かに原子力発電所の事故は重大であってはならないこと。しかし天変地異まで防ぐことは人類には不可能だ。「原発は安全です」なんて約束すること自体おかしい。

問題は事故を公表しない体制にある。今原発はどういう状態にあるか、いつも掲示・公表するシステムがどうしても必要だ。チェルノブイリでは原発が吹っ飛んでもすぐ近くの住人に知らせようとはしなかった。

公表する体制がなかったからである。チェルノブイリでは1986年4月26日に爆発があった。28日にスエーデンに死の灰が降り、何かあったことはわかったが、謎のままであった。死の灰は5月3日には日本にも到着、世界中を巡った。

IAEAとソ連との交渉により、ようやく8月になってソ連はIAEAに事故報告書を提出。報告書には事件の様子がくわしく書かれていた。(その裏では、原子炉の設計欠陥などを追求しないという取引きが、IAEAとソ連代表団の間で行われたという)

1986年秋頃には、ヨーロッパでの汚染の様子はだいたい判明したが、肝心のソ連国内での汚染の詳細は、ほぼ3年間、西側にも汚染地住民にも隠されていた。

こうして何の罪のない住人が何万人も被爆した。

おそらく、原発についてはいくら責任者の頭を換えたところで、事故は隠されるだろう。だからこそ新しいシステムでは、いつも公表することを法令で決定するしかない。

放射線は浴びる時間に比例して生命を危険にする。一刻も早く住人には知らせるべきだと思う。たとえパニックが起きたとしても、近くに住む住人はある程度覚悟はあるはずであり、知る権利があると思う。(参考HP チェルノブイリ原発事故後20年再生への道
 

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柏崎刈羽原発、全7基でトラブル50件…地震対策見直しへ

新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原子力発電所(新潟県)の被災状況を調査している東京電力は17日、建屋と主排気筒をつなぐ排気ダクトがずれるなど、地震の影響とみられる50件のトラブルが全7基で確認されたと発表した。

7号機の主排気筒では、ヨウ素などの放射性物質が検出された。地震の影響で何らかの機器や設備が破損した可能性がある。地震によって原発でさまざまな異常が確認されたのは初めてで、原発の地震対策の大幅な見直しを迫られそうだ。

東電は地震後、全原子炉について、主排気筒の排気サンプリング装置の試料を分析。その結果、1〜6号機では放射性物質は検出されなかったが、7号機では、放射性のヨウ素、クロム、コバルトが検出された。こうした放射性物質は主に原子炉の冷却水に含まれる。大気中に放出された放射性物質は微量で、保安規定の放出上限の1000分の1程度。東電は「地震との関連も含め、原因は調査中」としている。

また、1〜5号機では、建屋の屋上などを通っている排気ダクトがずれているのが見つかった。ダクトの破損や、それに伴う放射能漏れの可能性については調査中。さらに全7基で、使用済み燃料プールの水が作業用の床にこぼれていることが確認された。

1、2号機の計5台の変圧器で、固定用ボルトの折損が見つかった。3号機の変圧器火災の原因は不明だが、ほかの変圧器でも火災が起きる可能性があったことになる。1、2号機は、建屋内外の計5か所で消火用水の配管の損傷が確認されており、火災が起きた場合には消火活動に影響があった可能性がある。

固体廃棄物貯蔵庫では、交換した配管や汚染した手袋などの低レベル放射性廃棄物を納めたドラム缶約100本が転倒し、数本はふたが開いていた。貯蔵庫内の床の汚染状況を調べた結果、17か所のうち1か所で微量の放射能が確認された。ドラム缶は全部で2万2000本あるが、そのうちの相当数の状況が未確認で、今後、転倒数は増える可能性がある。(2007年7月18日1時47分  読売新聞)

 

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