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7月25日国立科学博物館に訪問した。旧館が日本館と名前を変えて、リニューアルオープンしたのを見るのが楽しみだった。

また、現在「インカ・マヤ・アステカ」という南北アメリカに誕生した謎の文明の特別展を開催しておりこれも楽しみだった。

今まで、詳しいことはわからなかったが、今回の展示物でかなりのことが理解できた。

まず、この3つの文明の民族はわれわれ日本人と同じモンゴロイドということに驚いた。

そして3つの文明とも「生贄(いけにえ)」という儀式を重んじた。3つの文明とも海外と交流はなく、閉鎖的で独自な文明を繰り広げた。そして3つの文明ともスペイン人と伝染病によって滅ぼされた。

なんだか鎖国時代の日本のような親近感を覚えた。「生贄(いけにえ)」という奇行も「切腹、特攻」などを行った日本人と同族ならありうるかもしれない。などと日本人と照らし合わせて見たのは私だけだろうか?

また3つの文明の共通点として、かわいいマンガのキャラクターのような装飾品が多くあり、これも独特のマンガ文化を持つ日本人に似ている点であった。

今日は「インカ・マヤ・アステカ」文明について調べる。(参考HP Wikipedia・国立科学博物館)
 くわしくはこちら → NHK「失われた文明インカ・マヤ・アステカ」国立科学博物館

インカ文明とは?


インカ帝国(正式名称「タワンティンスウユ(Tawantin Suyu / Tahuantinsuyo)」) は、南アメリカのペルーとボリビア(チチカカ湖周辺)を中心にケチュア族が作った国。13世紀に成立し、16世紀にスペインに侵略されるまで続いた。最盛期には、80の民族、1000万人の人口をかかえ、チリ、エクアドルにまで広がっていた。

インカの拡大インカ帝国は、メキシコ・グアテマラのマヤ文明と対比する南米の原アメリカの文明として、インカ文明と呼ばれることもある。その場合は、巨大な石の建築と精密な石の加工などの技術、土器や織物などの遺物、生業、インカ道を含めたすぐれた統治システムなどの面を評価しての呼称である。なお、インカ帝国の版図に含まれる地域にはインカ以前にも文明は存在し、プレ・インカと呼ばれている。

首都をクスコに置いた。インカ帝国は、被征服民族については、比較的自由に自治を認めていたため、一種の連邦国家のような体をなしていた。

マヤ文明とは?


マヤ文明は、紀元前4世紀頃、熱帯雨林を中心とした地域に誕生した。現在のメキシコ、グアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス、エルサルバドルの中米5か国にまたがる地域で、ユカタン半島北部のサバンナ地域やグアテマラ南部の高地もその範囲に含みながら2000年にもわたり栄え続けた。

8世紀の終わりごろ、マヤでは60〜70ほどの都市やセンターが独立国家として共存し、方言の違いがあるとはいえ、言葉も文字も共通でありながら一度として統一されることはなかった。「マヤ」とは、マヤ語という言語、またはマヤ語を話す言語集団をさしている。

マヤは、高度な建築技術、現代科学に匹敵する天文学技術、複雑な絵文字の体系をもっていた。一方で金属器をもたない新石器時代の文明でもあった。また牛や馬などの役畜もいなかったため、ピラミッド建設や遠距離交易などもすべて人力で行われていたと考えられる。

宗教は多神教で、恵みや災いをもたらす神々に生けにえを捧げた。

統一国家を樹立することなく、各地の都市国家が合従連衡と興亡を繰り返し、16世紀、スペイン人の侵入を迎えた。1697年最も遅くまで自立を保っていたタヤサルが陥落、マヤ圏全域がスペイン領に併合された。

アステカ文明とは?


アステカとは1325年から1521年まで中米メキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の王国。またの名をメシカという。

アステカ族は、北方からメキシコ中央高原に移住してきた人々であり、伝説によると100年あまりテスココ湖畔を放浪したのち、1345年、湖上の島に首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を築いた。その後、メキシコ中部からグアテマラの海岸部にまで勢力を広め、14〜16世紀まで、アステカ王国として栄えた。

社会は最高神官兼軍事司令官である王(トラトアニ)を頂点とする身分制社会で、厳しく統治されていた。支配階級は聖職者と軍事司令官をかねる貴族で、一般市民は、親族集団や職業別に共同体(カルプリ)を形成していた。農民は低い身分にあったが王国の経済を支える礎だった。

アステカ族は、自らの部族伝統の神々に加え、伝説のトルテカ族以来中央高原で信仰されてきた神々を受け継いであがめ、人間の心臓を神に捧げるという生けにえの儀式も行っていた。

アステカの暦は、2つの体系から成り立っていた。太陽の運行の観測にもとづいて作られた365日周期の暦(シウポワリ)と、260日周期の暦(トナルポワリ)の組み合わせで作られており、この2つの周期が完全に一致する52年が、いわば世紀のような意味をもっていた。

365日暦は、20日間の月18か月と残りの5日で、260日暦は、1〜13の数と20個の記号の組み合わせで構成されていた。一方、アステカ族の言語はナワトル語と言い、隠喩を多用する詩や散文が作られた。

テノチティトランは、スペイン人征服者たちがはじめて足を踏み入れたとき、その荘厳・壮麗さに驚いたといわれるほどの見事な都市だった。スペイン人たちはテノチティトランを完全に破壊し、現在2,000万人が住むメキシコの首都・メキシコシティに作り変えた。往時の面影を残すものといえば、幾つもの神殿が建ち並んでいた大神城テンプロ・マヨール遺跡のほか、わずかである。 (出典:NHK失われた文明) 


NHKスペシャル 失われた文明 インカ・マヤ マチュピチュ 天空に続く道

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失われた文明 空から見たインカ・マヤ・アステカ ~悠久の古代文明紀行~

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