目に見えない電磁波と放射線
携帯電話の国内ユーザー数は8,000万で、普及率は75%だという。(2007年現在)海外では100%を超えている国もあるという。
これは一人で2、3台保有している人もいるからで、個人用、法人用、国内用、国際用、音声、データ用と使い分けているらしい。
私たちは、目に見えない電磁波を毎日使っている時代に生活している。しかし、電磁波は発見されて使うようになってからまだ100年ほどしかたっていない。
もう一つ目に見えないものとして放射線がある、毎年8月6日・9日は広島・長崎の原爆投下の日である。現在も多くの人があの時の放射線の影響で苦しんでいる。あの日から62年。放射線の発見からもまだ100年ほどしかたっていない。
放射線とは何だろう? いつ誰が発見したのだろう?
1896年「ウラン」から放射線は発見された。発見者はアンリ・ベクレルでウラン鉱石の近くに写真乾板をおいたところ感光しているのを発見。ウランから光は出ておらず、光以外の別の物質が出ていて、写真の物質を変化させたことがわかった。
1898年にはパリにいたキュリー夫妻はウラン鉱石から放射線を出している「ポロニウム」や「ラジウム」を発見した。
1903年放射線発見の功績により、アンリ・ベクレルとキュリー夫妻はノーベル物理学賞を受賞した。
ウランよりもラジウム、ポロニウムは放射線量が多く、キュリー夫妻は研究を通して放射線を多量に浴び、ノーベル賞の栄光と同時に放射線障害の苦しみを味わいながら亡くなった。まさに科学に捧げた一生であった。
さて、放射線も電磁波と同じ目に見えない存在であるが、電磁波とどこが違うのだろうか?
放射線とは電離性を有する高いエネルギーを持った電磁波や粒子線(ビーム)のことをさす。
放射線の一部は電磁波であり、一部は粒子のことである。そして放射線は他の物質に当たると物質自体を変化させるはたらきがある。ただの電磁波では物質は変化しない。
今日は「放射線の発見」と「アンリ・ベクレル」と「キューリー夫妻」について調べる。(参考HP Wikipedia)
放射線はどのように発見されたか?
1895年、低圧気体中での放電の研究中に、レントゲン(ドイツ)はX線を発見した(1901年・第1回ノーベル物理学賞)。X線の発見は大反響をよび、X線は蛍光を発していたので、「蛍光物質からもX線が出ているのでは」と考える科学者もいた。
そして、蛍光物質の研究をしていたベクレル(フランス)は蛍光物質の一つであるウラン化合物を調べ、蛍光現象とは無関係に透過性の放射線がウランから出ていることを1896年に発見した。(1903年ノーベル物理学賞)。
ラジウムの発見
ベクレルの発見に刺激され1897年末に博士論文のテーマとして放射能を選んだマリー・キュリー(キュリー夫人、フランス)は、純粋なウランよりもウラン鉱石からの放射線の量が多いことを見つけた。
放射線の量を定量的に測定する装置を開発した夫ピエール・キュリーの協力が加わって、キュリー夫妻の放射能研究は飛躍的に進展した(→1903年ノーベル物理学賞)。そしてウラン鉱石中に含まれる‘強い放射線を出す物質’を化学的に分離していくことによって、1898年7月にはポロニウムを、同年12月にはラジウムを発見した(→1911年ノーベル化学賞)。
ラジウムの発見が引き金になった科学の進歩
強力なラジウム線源のおかげで、多くの科学者は放射性物質と放射線の研究を一段と活発に行うことができるようになる。その中で「人類に有用な科学」の進歩に貢献した研究をいくつかあげてみると...。
放射能現象の本質解明と放射性物質の化学的研究(1908)
同位体(アイソトープ)の発見(1921)原子構造の解明(1922)
放射線検出法の発展霧箱の開発(1927)、泡箱の開発1960)
原子核反応の発見、中性子の発見(1935)、中性子原子核反応の発見(1938)原子核分裂の発見(1944)、超ウラン元素の発見(1951)
人工放射能の発見(1935)、粒子加速器の発明(1939、1951)
放射性同位体(ラジオアイソトープ)のトレーサー利用の開発(1943)
植物の光合成の研究(1961)、生理学・医学の研究(1903年)
(出典:ラジウム発見と科学の進歩 中西 孝(金沢大学理学部助教授))
アンリベクレル
アンリ・ベクレル(Antoine Henri Becquerel, 1852年12月15日 - 1908年8月25日)は フランスの物理学者。放射線の発見者であり、この功績により1903年ノーベル物理学賞を受賞した。パリ生まれ。
蛍光や光化学の研究者アレクサンドル・エドモン・ベクレルの息子で、研究者の道に進んだ。理工科学校で自然科学を、国立土木学校で工学を学んだ。
1896年、ウラン塩の蛍光を研究中に、ウランが放出した放射線(アルファ線)が写真乾板を露光させることを発見した。
ベクレルは偶然放射線を発見したとはいえ、あくまでも蛍光の研究に結びついた発見であった。最初のきっかけは1895年11月にドイツのレントゲンが発見したX線である。
ベクレルの同僚であったポアンカレは1ヶ月後に入手したレントゲンの論文をベクレルに手渡す。このときポアンカレは「X線が蛍光を生じるなら、蛍光から何らかの放射線が発生するかもしれない」とベクレルに話している。
実験を始めると、太陽光に当てたウランの硫酸カリウム塩が燐光を生じることをすぐに確認できた。さらに、太陽光にさらしたウラン塩を黒い紙で包んでも写真乾板が感光することを、1986年2月に発見している。
最後の幸運は曇天が続き実験ができなかったことだった。実験再開に備え、ベクレルはウラン塩と乾板を一緒にしまっておいた。ところが実験を再開する前に確認すると、乾板が既に感光していることに気づいたのだった。
ウランが発しているのが何らかの放射線であることは、空気の電離によって確認した。ウランの濃度に対する放射線の強度の分析や、ウラン以外の放射性元素の発見はピエール・キュリーとマリ・キュリーによる。
ベクレルがウラン塩によって偶然感光させてしまった写真乾板1903年、ノーベル物理学賞をピエール・キュリー、マリ・キュリーと共に受賞した。
放射能のSI単位のベクレル(Bq)はアンリ・ベクレルに因んでいる。(出典:Wikipedia)
キュリー夫妻
ピエール・キュリー(Pierre Curie, 1859年5月15日 - 1906年4月19日)は、フランスの物理学者。妻はマリ・キュリー、旧名マリヤ・スクウォドフスカヤである。1903年に妻と共にノーベル物理学賞を受賞した。
相当な知識人で、マリとともにラジウムやポロニウム発見のために文字通り心身を削った。ラジウム発見の頃には放射線障害が体を蝕んでおり、夜な夜な激痛に襲われて悲鳴を上げたが、それでも科学を捨てることは無かったという。
彼の業績としては妻マリと共に成した放射能の研究が有名であるが、それ以前に弟ジャック・キュリーと共同で行った磁性の研究においても大きな業績を上げ、磁性体が温度を上げるとその性質を失うことを発見した。
この業績にちなみ、鉄などの強磁性体がその磁性を失う温度のことを「キュリー温度(キュリー点、Curie Temperature)」という。また圧電効果の研究でも大きな業績を残している。
1906年の雨の日、交通事故で死去(道で馬車に撥ねられ、辻馬車と荷馬車に挟まれた)。彼が命を落とした後、妻マリは単独で2度目のノーベル賞を、また娘のイレーヌ・ジョリオ=キュリーとその夫で研究所の助手だったフレデリック・ジョリオ=キュリーもノーベル賞を受賞している。
マリヤ・スクウォドフスカ=キュリー(Maria Skłodowska-Curie, 1867年11月7日 – 1934年7月4日)はポーランド出身の物理学者・化学者。ワルシャワ生まれ。「キュリー夫人(Madame Curie)」として有名である。
フランスのソルボンヌ大学を卒業。夫のピエール・キュリーともに、大量のピッチブレンド(瀝青ウラン鉱)の残渣からラジウムとポロニウムを精製、発見した。
1903年に夫婦でノーベル物理学賞を、1911年には単独でノーベル化学賞を受賞した。
彼女とその一家は歴史に名前をとどろかせている。彼女が物理学賞と化学賞、夫ピエールが物理学賞、娘夫婦(イレーヌ・ジョリオ=キュリーとフレデリック・ジョリオ=キュリー)がそれぞれ化学賞を得ている。
一族4人で獲得したノーベル賞の数は5つである。また次女イブは芸術家として別な一路を繁栄させた。彼女の功績を称え放射能の単位「キュリー」に、またパリ大学のキャンパスに名が残る。
彼女は女性として史上初のノーベル賞受賞者であり、物理学賞と化学賞を受けた唯一の人物である。2度のノーベル賞受賞は"人物"として最多記録である。("団体"としては赤十字国際委員会:International Committee of the Red Cross (ICRC)が3度受賞している。)
夫の事故死の後、夫の弟子の物理学者ランジュバンと恋愛関係にあるとマスコミに書き立てられ、彼女の科学者としての名声にも関わらずフランスの外国人嫌いの犠牲になった。このため、科学アカデミー会員に選ばれる事はとうとうなかった。
1934年5月、体調不良で療養所に入院した。同年7月4日、研究の影響による白血病で死去。享年66。亡骸はパリ郊外のソーに埋葬されたが、1995年、夫のピエールの遺体と共にパリのパンテオンに改葬されている。またパンテオンの近くにある国立科学学校で当時彼女が活動した研究棟は現在キュリー夫妻博物館となっている。(出典:Wikipedia)
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