空気の成分
空気の中には何が入っているだろう...? 正解は、もちろん酸素、窒素、そして最近温暖化で注目されている二酸化炭素である。では3番目に多い気体は何だろう?
正解は意外だが二酸化炭素ではない。正解はアルゴン(Ar)である。二酸化炭素は空気中に0.03%含まれているが、アルゴンはその30倍の0.9%含まれている。ちなみに1番は窒素で空気中に約78%、、酸素は約21%含まれている。
それにしても空気中にわずかに0.9%しかなく、しかも無色・無臭・不活性の気体アルゴンをいったいどうやって発見したのだろう?

最初に気づいたのはイギリスのキャベンディッシュであった。1795年、窒素の研究の際に空気中に酸素と窒素以外の未知元素が含まれている可能性があると記した。
しかしそれが何であるかは、分析技術の向上を待たねばならなかった。1800年代のはじめ、イギリスに産業革命が始まり、労働者が豊かになると、さまざまな測定機器が開発された。1860年にはスペクトル分析という新しい分析方法が開発され、ドイツの化学者ブンゼンはセシウムを発見した。
1887年、イギリスのレイリー(ジョン・ウイリアム・ストラット)は王立研究所教授に就任し、精密な測定機器を使っていくつもの気体密度を計測した。そうするうちに空気中の窒素の密度はアンモニアを分解して得た窒素より0.5%程度大きいということを見出していた。
当然彼はその誤差の原因となる不純物が試料に含まれないよう工夫したが、問題を解決することはできず、1892年に「ネイチャー」に短いノートを発表して化学者の助けを求めた。
それから2年間、レイリーはラムゼーと共同でその原因を研究した。そしてついに空気中に存在する新元素アルゴンを発見し、1895年に発表した。キャベンディッシュの発見からちょうど100年後のことである。
この業績により、彼は1904年のノーベル物理学賞を、ラムゼーはノーベル化学賞を受賞した。レイリーの受賞理由は「気体の密度に関する研究、およびこの研究により成されたアルゴンの発見 」である。(参考HP Wikipedia)
レイリーとは誰か?
レイリーは通称であり、正式にはジョン・ウィリアム・ストラット(John William Strutt、第三代レイリー男爵(3rd Baron Rayleigh)、1842年〜1919年)である。レイリーはイギリスの物理学者である。「気体の密度に関する研究、およびこの研究により成されたアルゴンの発見」により、1904年の ノーベル物理学賞を受賞した。
光の散乱の研究から空が青くなる理由を示す(レイリー散乱)、地震の表面波(レイリー波)の発見、ラムゼーとの共同研究によるアルゴンの発見、熱放射を古典的に扱ったレイリー・ジーンズの法則の導出などを行った。このほかにも流体力学(レイリー数)や毛細管現象の研究など、古典物理学の広範な分野に業績がある。
レイリーは晩年、当時現れつつあった量子論や相対論に対して、機械論的な古典物理学の立場から辛辣な批判を加えた。彼は最後まで熱放射を古典物理学で説明する望みを捨てなかった。エーテルの存在を信じ、これを不要にする相対論を嫌悪をもって見ていたといわれる。
年表
1842年 - エセックス州モールドン近郊のラングロード・グローブに生まれる。
1861年 - ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学(-1865年)。
1871年 - バルフォアの姉妹イヴリン・バルフォアと結婚。
1873年 - 父親ジョン・ジェームズ・ストラットの死去によって爵位を継承し、レイリー卿となる。また、王立協会会員となる。
1879年 - マクスウェルの後任として第2代のキャヴェンディッシュ研究所所長となる( - 1884年)。
1884年 - マクスウェルから引き継いだ、電磁気学の基礎単位の精密な基準を定めるプロジェクトを完成させる。
1885年 - 王立協会幹事となる( - 1896年)。
同年、現在レイリー波と呼ばれる地震波(表面波)を発見。
1887年 - ロンドン王立研究所の自然哲学教授となる( - 1905年)。
1892年 - 空気から酸素を除いて作った窒素が、アンモニアを分解して作った窒素より重いことを示す。
1894年 - ラムゼーと共同でアルゴンを発見。
1900年 - レイリー‐ジーンズの式を導出。
1901年 - エーテルを見つけるための実験を行うが、失敗に終わる。
1904年 - ノーベル物理学賞を受賞。
1905年 - 王立協会会長となる。
1908年 - ケンブリッジ大学名誉総長となる。
1919年 - エセックス州ウィザムのターリング・プレイスで死去。爵位は息子で物理学者のロバート・ジョン・ストラットが継いだ。
アルゴンの発見
1795年にキャベンディシュは、窒素の研究の際に空気中に酸素と窒素以外の未知元素が含まれている可能性があることに気づいた。
約100年後の1892年、ラムジとレーリーは空気から酸素・水蒸気・二酸化炭素などを完全に除いた窒素の密度は、1.2572g/l であるのに対して、亜硝酸アンモニウムNH4NO2を熱分解して得た窒素は1.2506g/lであることを知った。この値からラムゼーは、空気から得られた窒素は不純物を含むと考えた。そして熱したマグネシウムに空気から得た窒素を通して、窒化マグネシウムMg2N2として除いたところ、窒素(分子量28)より重い気体が残った。
最初はオゾンに似た窒素の変態物と考えられたが、スペクトルを観察するとそれまで発見されていたどんな気体にも観察されたことのない線スペクトルが現れた。これがアルゴン(分子量40)の発見である。
レイリーとラムゼーはアルゴンの発見を1895年に発表した。この業績により、彼は1904年のノーベル物理学賞を、ラムゼーはノーベル化学賞を受賞した。

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