物質は何でできているか?

 物質は何でできているのだろうか?きっと誰もが一度は、考えたことがあると思う。現代科学では「物質」は、クオークとレプトンでできていることがわかっている。

 紀元前400年古代ギリシャの時代、哲学者デモクリトスは「物質」が極めて小さく、不変の粒子から成り立つと考えた。この不変の粒子を「原子」と呼んだ。

 近代的な「原子説」を確立したのは19世紀初頭のイギリスの化学者ドルトンである。彼の言葉によると、物質には単一原子(現在の原子)と複合原子(現在の分子)があるとされた。「原子説」によると物質をつくる最小の粒「原子」は不変であると考えられていた。

 ところが、20世紀初頭、イギリスのJ.J.トムソンにより「陰極線」の正体が「原子」から飛び出した「電子」であることが発見された。

 また、トムソンのもとで研究したラザフォードは、ソディと協力し、ウランがα線、β線を出しながら「放射性壊変」することをつきとめた。このことは、原子の概念を大きく変えた。ウランという物質が放射線を出しながら、別の物質に変わったからである。「原子」は不変の粒子ではなくなった。

 放射線の発見と放射性元素変換説

 放射線は物質から出ている、光のようなイメージだった。1895年レントゲンの発見したX線が初めての放射線である。

 1896年にはベクレルがウランから出ている放射線を発見。1898年キュリー夫妻はウラン鉱石の中からラジウムとポロニウムを抽出、放射線が出ていることを発見した。

 1898年、ラザフォードとソディは ウランから二種類の放射線(α線とβ線)が出ていることを発見。1899年には放射線のアルミ箔の透過を調べ、α線とβ線を分離。1900年にはγ線が電磁波であることを示した。

 さらに、ソディと共同でラジウム、トリウム、アクチニウムの研究を始め、放射性元素が互いに移り変わると考えるようになる。「半減期」の概念を作る。これは後に岩石の年代測定に用いられるようになった。

 1902年、元素が放射線を放出すると別の元素に変わるという、放射性元素変換説を提唱。1907年、ガイガーと共同でα粒子の計数に成功。これは後にガイガー・ミュラー計数管として実用化される。

 1908年、ボルトウッドと共同で放射性元素の変換系列を調べて変換が鉛で終わることを発見し、またその速度を求めた。この年、α線をガラス管に集め、放電スペクトルを調べることでα線がヘリウム原子核であることを発見。

 同年、「元素の崩壊および放射性物質の性質に関する研究」によりノーベル化学賞を受賞する。

 原子核の発見とラザフォードの原子モデル

 ラザフォードは、ノーベル賞受賞後も研究を続ける。1911年「α線」を金箔の中に打ちこむと、α粒子の散乱が起きることを見出した。

 ほとんどすべてのα粒子は曲がらないでまっすぐに金箔を通り抜けるのだが、二万個に一個の割合で少数の粒子はそのコースを著しく変えたり、反発され戻ってくることがあった。

 ラザフォードはこれは、原子の中心には正の電荷を持つ質量の大きな粒子があって、それに正の電荷を持つα粒子が近づく時の反発であると推測し、1911年に原子構造の模型を作る。原子の中心の正の電荷を持つ粒子、原子核の発見であり、原子核を持つ原子、これがラザフォードの原子モデルである。

 それまで考えられていたJ.J.トムソンの「プディンプリンモデル」が根底から覆され、新たな原子モデルができた。しかし、新たな疑問も生まれることになった。

 原子核では正の電荷を持つ粒子(陽子)が集まっており、互いの反発力は非常に大きくなるはすなのに、陽子が複数個密接して存在できる理由が説明できまなかった。

 この説明には湯川秀樹博士の中間子理論を待たねばならなかった。

 アーネスト・ラザフォードとは?

 アーネスト・ラザフォード(1871年8月30日 – 1937年10月19日)はニュージーランド出身のイギリスで活躍した物理学者。

 マイケル・ファラデーと並び称される実験物理学の大家である。α線とβ線の発見、ラザフォード散乱による原子核の発見、原子核の人工変換などの業績により「原子物理学(核物理学)の父」と呼ばれる。

 1908年にノーベル化学賞を受賞した。また、ラザフォードの指導のもとにチャドウィックが中性子の発見で、コッククロフトとウォルトンが加速器を使った元素変換の研究で、アップルトンが電離層の研究で、それぞれノーベル賞を受賞している。

 ニュージーランドの銀行券100ドル紙幣の肖像に採用されている。
1871年 - ニュージーランド、ネルソン近くのブライトウォーターで生まれる。
1882年 - ペロラス・サウンドに引越し、中学校に通う。中学校で後に妻となるメアリ・ニュートンと出会う。
1889年 - クライストチャーチのカンタベリー・カレッジ(現在のカンタベリー大学)へ進学。在学中に電波検知器を作る。また、鉄の磁化に関する論文で理学の学士号を取る。
1895年 - ニュージーランドの奨学金を得てイギリスのケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所の研究員となる。トムソンの指導のもと気体の電気伝導の研究を始める。
1899年 放射線を透過力の違いにより α 線と β 線に分類.
1908年 放射性物質の化学に関する研究でノーベル化学賞を受賞.
1908年 T. Royds とともに α 線がヘリウムの原子核であることを実験的に立証.
1911年 金属箔による α 線の散乱(ラザフォード散乱)の理論から原子核の存在を結論(ラザフォードの原子模型).
1914年 E. N. C. Andrade とともに第3の放射線の γ 線が電磁波であることを証明.
1919年 窒素原子が α 線によって破壊され水素原子核が生じることを発見(最初の人工核反応).
1920年 中性子の存在を予言.
1919年 〜37年 J. J. Thomson の後を継いでキャベンディシュ研究所の所長を務める.

参考HP Wikipedia → アーネスト・ラザフォード
FNの高校物理→ ラザフォードのα線散乱実験と有核原子モデル
奈良県高等学校理化学会物理部会→ 科学と研究の歴史


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