無線通信のきっかけ

 電磁波の存在とその性質は、英国の物理学者マックスウエル(James clark Maxwell 1831〜79年)によって数学的に証明されていたが(1864〜5年)、実際に電磁波が存在すること、および電磁波の伝播特性が証明されたのは、1885〜89年にかけてドイツの物理学者ヘルツ(Heinrich Rudolf Herts 1857〜94年)が行った実験による。

 ヘルツは以上の実験結果を1888年、ベルリン科学アカデミーで発表した。これが今日の無線による通信のきっかけになったのであるが、ヘルツ自身は電磁波が無線に利用できる可能性には思い到らなかったようである。

 世界で最初の無線通信会社
 イタリアのマルコーニは1894年、ヘルツの実験を科学雑誌で読んで、これを無線電信に使用することを思いついた。最初の実験は家の中で電線を使わずに離れたところに置いたベル(電鈴)を鳴らすことであった。

 その後モールス符号を送る実験を成功させ、1897年、マルコーニ無線株式会社を設立した。初期の受信機には、選択同調回路がなかったので通信相手を特定することが出来なかったが、1900年、ロッジの同調回路にヒントを得て、同調ダイアル方式の特許を申請した。

 1899年にドーヴァ海峡間(150Km),1901年にイングランド南部〜アイルランド(360Km)、同年12月には大西洋横断の3200Km通信に成功した。

 マルコーニ無線会社は電線の引けない、海上の船舶無線において独占的に事業を進めた。1912年に氷山と衝突して沈没したタイタニック号にもマルコーニ社の無線機が搭載され、同社の二人の通信士が乗船していた。この事故によって無線通信の重要性が認識されることになった。

 無線通信についてはロシアの物理学者アレクサンドル・ポポフも同時期に空中線(アンテナ)を使用し、無線通信を発明していた。しかし、国情の違いからこの無線機は普及しなかった。

 ドイツの物理学者カール・フェルディナント・ブラウン(Carl Ferdinand Braun、1850年6月6日‐1918年4月20日)は、ブラウン管の発明者でもあるが、1898年ころからは無線電信の研究に専念するようになり、高周波電流によって水中でモールス信号を送る実験や、電波に指向性を持たせての発信・受信実験を行った。

 1909年には、「無線電信の開発に寄与した功績を認めて」ノーベル物理学賞をグリエルモ・マルコーニと共に受賞している。

 グリエルモ・マルコーニ

 グリエルモ・マルコーニ(1874年〜1937年)は、イタリアの無線研究家である。マルコーニ無線電信会社を創立した。

 無線通信の発展に貢献し、イギリスの資本と国力を背景に実用化を試み成功させた。イギリス(ワイト島)からカナダへ大西洋を横断する無線通信の実験を成功させた。1909年には、無線通信の発展に貢献したとして、ブラウンとともにノーベル物理学賞を受賞した。

 フェルディナント・ブラウン

 カール・フェルディナント・ブラウン(Carl Ferdinand Braun、1850年6月6日‐1918年4月20日)は、ドイツの物理学者。電位計やオシログラフ、そしてブラウン管の発明など電磁気学の分野に業績を残した。

 ブラウンの最初の研究は弦や弾性体の振動に関するものであった。そのほか、熱力学に関する研究もしたことがあった。

 しかし彼の最大の業績は電気工学に関するものである。オームの法則によって得られる「抵抗」が非線形である場合についての論文をはじめ、電位計や陰極線オシログラフの発明をした。

 その後1898年ころからは無線電信の研究に専念するようになり、高周波電流によって水中でモールス信号を送る実験や、電波に指向性を持たせての発信・受信実験を行った。

 1909年には、「無線電信の開発に寄与した功績を認めて」ノーベル物理学賞をグリエルモ・マルコーニと共に受賞している。