DNA発見の歴史
今では、「人間の遺伝情報はDNAにある」という事実は、多くの人が知っている。それは、DNAに並ぶ塩基の配列がどのような遺伝情報をもつかを、科学者たちによって、次々と解き明かされてきたからである。しかし、人間が、こうした知識を得るまでの道のりは、けっして平坦ではなかった。というより、実際は失敗や間違えの連続だった。
膿から発見された核酸
現代のバイオテクノロジーにつながるひとつの発見が、スイスの生化学者フリードリッヒ・ミーシャーによって行われたのは1869年のことであった。彼は、けが人の包帯に付着した膿から細胞を取り出し、1つの物質を抽出した。そして彼は、この物質が細胞の中心部の核(ヌクレウス)から抽出したために、「ヌクレイン(Nuclein)」という名前をつけた。
このときミーシャーは、現在の「核酸」と呼ばれる物質を発見したのだが、この物質はタンパク質に構造が似ており、分析を重ねるほどタンパク質との相違点より、類似性が多く発見された。そこで「リンとタンパク質の混合物にすぎない」と主張する科学者も多く、たいした関心はもたれなかった。

「核酸」の発見
しかし、ドイツの生化学者アルブレヒト・コッセルは、この「ヌクレイン」に注目し、その分析によって、1892年にアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)という4種類の塩基があることを確認し、この塩基と結合する五炭糖(リボース)という糖の存在も明らかにしたのである。
アルブレヒト・コッセル
アルブレヒト・コッセル(Ludwig Karl Martin Leonhard Albrecht Kossel、1853年〜1927年7月5日)はドイツの医学博士。
ドイツのロストックでプロシアの領事アルブレヒト・コッセルと妻クララの間に生まれた。ストラスブール大学の医学部に学びアントン・ド・バリー、ワルデイヤー、クント、アドルフ・フォン・バイヤー、フェリックス・ホッペ・セイラーの授業を受けている。1878年にロストック大学を卒業。
1910年、細胞生物学とくに蛋白質と核酸に関する研究に対しノーベル生理学・医学賞が与えられた。(出典:Wikipedia)
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