原子の重さはどうやって調べるか?
 私たちの身の回りの物は、手に取ったり、はかりを使って重さを知ることができる。しかし、原子の重さ(質量)となるとどうだろうか?

 知っての通り、原子は物質をつくっている粒。非常に小さい。水素原子「H」 1つの大きさ(直径)は、約1億分の1cmほど。身の回りの物で考えると、原子とピンポン玉の関係は、ピンポン玉と地球の関係と同じだ。原子を1億倍するとようやくピンポン球の大きさになる。

 水素原子「H」 1つの質量は、1.67×10-24g。 炭素原子「C」は、1.99×10-23g。そして酸素原子「O」は、2.66×10-23 gである。これでは、とてつもなく小さなものになり、水素原子と炭素原子の質量がどう違うか、その差がピンとこない。



 原子量とは何か?
 そこで、原子1つの質量を「比」で表すことにした。すなわち、炭素原子の重さを基準に、質量を「12」と定めた。すると、酸素原子は「16」、水素原子の重さはちょうど「1」になった。このように、原子の質量を「比」で表したものを「原子量」という。

「原子量」がわかると、身の回りの物は、その組成(化学式)さえわかれば、手にとったり、はかりを使わなくても、重さを比べることができる。原子量は大変便利なものだ。では、原子量はどのようにして決定したのだろうか?


 原子量決定のアイデア
 これにはちょっとしたアイデアがあった。1799年、フランスのプルーストは「定比例の法則」を発見する。これは、ある化合物をつくるときにどんな作り方をしても成分元素の質量比は同じになるというもの。

例えば、二酸化炭素は酸素と炭素からできているが、二酸化炭素であれば、炭素:酸素=3:8の質量比でできている。酸化銅であれば、銅:酸素=4:1である。

1818〜1826年の間に、スウェーデンのベルセリウスは、様々な化学反応のときに、反応する物質の質量比を調べることによって、原子量を決定していった。


 1914年ノーベル化学賞
 原子量についてさらにくわしく調べたのが、米国の物理化学者セオドア・リチャーズである。

 1886年、米国の物理化学者セオドア・リチャーズは、酸素と銅の原子量の決定に関する研究を行った。

しかし、20世紀に入ると、原子の重さは一様でなく、重さの違う同位体が存在することがわかった。例えば、炭素原子「C」には原子量12のもの「12C」がほとんどであるが、原子量13のもの「13C」が、少量存在する。

セオドア・リチャーズは同位体の質量も含めて、生涯で30以上の原子量を決定した。この功績によって1914年にノーベル化学賞を受賞している。受賞理由は「 原子量の精密測定に関する研究」であった。


 原子量の意味
 原子は種類によって質量が違う。そこで炭素原子「C」の重さを基準「12」として考えると、酸素原子「O」は「16」になり、水素元素「H」の質量がちょうど「1」になった。実際に炭素原子を6.023×10の23乗個(アボガドロ数・1mol)集めると、12gになる。

 周期表を見ると、すべての原子の元素記号や原子番号、原子量を知ることができる。しかし、よく見るとちょっとおかしなことに気づく。それは原子量の値が整数ではなくて小数になっていることだ。

例えば炭素は原子番号は「6」で、原子量はその2倍の「12」になるはずだが、周期表の値は「12.0107」である。これはなぜなんだろう?

 正解は、自然界には同位体が存在するからである。その分も合わせて表示している。

例えば炭素は原子量「12」のものが98.93%、それ以外に原子量「13」のものが1.07%存在する。これを同位体という。同位体は中性子の数が1個または数個多い。そこで、原子量は自然界の炭素の原子量の平均値をとることになっている。


 「質量保存の法則」と「定比例の法則」
 1774年、フランスのラボアジエは「質量保存の法則」を発見した。これは反応前後で質量は変わらないという法則。

 次に1799年、フランスのプルーストは「定比例の法則」を発見する。これは、ある化合物をつくるときにどんな作り方をしても成分元素の質量比は同じになるというもの。

 二酸化炭素が酸素と炭素から出来ているということは既に知られていた。しかし木を燃やしたときに出る二酸化炭素と、呼気に含まれる二酸化炭素では成分が違うと考えられていた。それをプルーストは「二酸化炭素である以上は、どんな二酸化炭素であっても炭素:酸素=3:8の質量比である」ということを初めて示したのでる。

1803年には、イギリスのドルトンが「質量保存の法則」「定比例の法則」を説明するために原子論を発表した。


 原子量の基準「O」
 1818〜1826年にかけて、スウェーデンのベルセリウスは、この「質量保存の法則」「定比例の法則」を用いて、原子量の正確な求め方を考え出した。

 例えば銅Cuの原子量を知るために、銅を完全燃焼させる化学変化を利用する。銅Cuは酸素O2と、質量比4:1で反応することはと当時から知られていた。

 ここで酸素O=100という基準をとれば、Cu=400になり、計算がかなり楽になる。ベルセリウスはこうした実験を基にして、O=100を基準とする原子量の表を発表した。しかし、この方法では、金属などの原子量が大きい物質では数値が大きくなる問題点があった。

 1865年、ベルギーのスタスはO=16を基準とすることを提唱した。こうすることで原子量の値を低く抑えられ、最も軽い元素である水素「H」の原子量を1に近付けることができた。そして1898年、O=16を原子量の基準とすることが国際的に統一された。


 原子量の基準「C」
 20世紀に入り、原子の構造が明らかにされてきた頃、同位体の存在が発見された。同位体とは、元素としては同じだけど中性子の数が違う原子のこと。基準元素である酸素にも3種類の同位体が発見された。この発見がまた論争を引き起こした。

 酸素では同位体の種類が16O,17O,18O の3種類と多く、どれを基準にするかが問題となった。化学学会では同位体でも酸素は酸素今まで通りでよいという考えであったが、物理学会では同位体は中性子数の違う別の物質であった。

 そこで1960年、化学学会と物理学会は合同で話し合い、互いの主張を満たすような新しい原子量基準を探した。その結果、このどちらも満たす基準として、現在の12C=12が選ばれたのだ。


参考HP Wikipedia「原子量」「セオドア・リチャーズ」「同位体」・化学魔の還元「原子量のはじまり


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