1995年12月8日「もんじゅ」
高速増殖炉「もんじゅ」というと、1995年12月8日、二次冷却系で温度計の設計ミスからナトリウム推定700kgが漏出し、火災となった事故がある。国際原子力事象評価尺度では、放射能漏れはなく、最も低いレベル1であるが、対応の遅れや動燃による事故隠しが問題となった。
このとき「もんじゅ」は運転開始前の点検のために、出力上昇の試験をしていた。目標の熱出力43%を目指し、出力を徐々に上げていたところで、二次冷却系配管室で配管のナトリウム温度計が「温度高」を示した。さらに同じ場所で、火災報知器が2箇所で、更にナトリウム漏洩を知らせる警報も発報した。
すぐに試験を中止し、運転員らが現場に駆けつけたところ、白煙を確認。それはナトリウム火災の証拠であった。運転員らは原子炉停止を決断し、原子炉の出力を徐々に落とし始めた。原子炉を急激に停止させる「緊急停止」は炉に負担をかけるため、炉を保護する為に緩やかな出力降下を目指した。
しかし、一旦は落ち着いたように見えた火災報知器がさらに発報し、ついには34箇所にも及んだ。事態を重く見た運転員らは、事故発生から1.5時間後、原子炉を緊急停止させた。充満した白煙と高温により、防護服を着用しても現場に立ち入ることは困難で、被害状況は全くつかめなかった。しかし、原子炉停止後も火災報知器の発報は続き、最終的には66箇所に及んだ。
「ナトリウム漏洩事故」の問題点
この事故では様々な問題点が指摘されている。第1に、事故発生直後、運転員らはゆるやかな出力降下による原子炉停止を行っていたが、これは運転マニュアルに違反した対応だった。運転マニュアルには、火災警報が発報した場合は直ちに原子炉を「緊急停止」するように記載されていた。
第2に、事故現場に立ち入り、状況を確認したところ、ナトリウム漏洩による被害が予想以上に広範囲に広がっていたことである。高融点の鋼鉄製の床が浸食され、さらにナトリウムが周囲にスプレー状に散布されている事がわかった。調査の結果、ナトリウム管路のすぐ下に、換気ダクトがあり、これにより広範囲に被害が広がったことがわかった。
なお、漏洩した金属ナトリウムは二次冷却系で、放射能は帯びておらず、原子力発電所の国際原子力事象評価尺度としては極めて軽微な被害ということになった。ただし、尺度そのものに対する批判も絶えない。
事故後の不可解な隠蔽工作
第3の問題点は、事故後の隠蔽工作である。事故後の会見で、動燃は事故当時撮影した1分少々のビデオを公開した。しかし数日後、これが編集されたビデオであることが発覚し、マスコミに指摘を受けた動燃は編集前のビデオを渋々公開した。不適切な対応はこれに留まらず、さらに数日後、動燃側から更に事故発生直後の現場のビデオがあるとの発表があった。
編集前のビデオを公開した記者会見に出席した当時の動燃総務部次長は会見の翌日(1996年1月13日)自殺し、この自殺の原因が虚偽の発表を強いられたためとする親族による訴訟の過程で動燃の隠蔽体質が指摘された。
難航!ナトリウム漏洩の原因
第4に事故の原因であるが、事故後1ヶ月経ってようやく、ナトリウム漏洩の明確な原因が明らかになった。はじめ、最も有力だったのは、ナトリウムの温度を測定する熱電対温度計の収めてある「さや」と配管の接合部の破損ではないかという説であった。「さや」は、ナトリウムの流れる配管の中に棒状に突出しており、直径3.2mmの温度計を保護する役割を果たしていた。
この「さや」は大変丈夫に作られており、ナトリウムの流速程度の機械的負荷で折損するとは考えにくかったため、破損箇所があるとするなら接合箇所だろうと考えられていた。しかし、X線写真によれば問題の「さや」の先端は途中のくびれ部分から完全に折損しており、これが原因であった。
日本原子力研究所が調べたところ、ナトリウムの継続的な流れにより「さや」に振動が発生。徐々に機械的強度が衰え、金属疲労により折損に至ったことがわかった。
原因究明に時間がかかったとは言え、原因が特定できたのはよかった。フランスの高速増殖炉は、実験段階で異常な温度上昇が起こり、その原因が解明できないがために、計画中止になっている。
2009年いよいよ運転再開か?
2005年2月6日、西川一誠・福井県知事は、それまで留保していた「もんじゅ」の改造工事を了承した。これにより、「もんじゅ」の再稼動にひとつ道が開かれた形になる。
西川知事は、「これをもって運転再開を了承するものではない」としているが、反対派からは、当然の如く激しい非難が噴出している。
2005年9月27日、フランスは日本に対し、もんじゅの共同利用を提案した。
2009年2月20日、もんじゅは運転再開に向けた設備の確認試験を平成19年8月から実施してきたが、昨年9月に排気ダクトで長期間放置されていたとみられる、腐食した穴が見つかり、試験を中断。2月に予定していた運転再開の大幅延期が決まっている。
2009年3月6日、日本原子力研究開発機構は、長期停止中の高速増殖炉原型炉もんじゅで年間約0.5トン、高速実験炉「常陽」(茨城県大洗町)で同約0.1トンを使用するとした平成21年度のプルトニウム利用計画を公表している。いよいよ今年は運転再開されるのだろうか?
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