
非人道的な化学兵器
化学兵器がその威力のほどを広く知らしめたのが第1次世界大戦だった。1914年からイギリス・フランス・ドイツの各国が、クロロアセトンやヨード酢酸エチルなどの催涙ガスの配備を始め、遅くとも1915年3月までには散発的な催涙ガスの実戦使用が行われた。
塹壕戦で戦線が膠着する中で、突破手段としての期待が化学兵器に集まるようになった。そしてついに、1915年4月22日、イーペル戦線でドイツ軍が塩素ガスを使用した。これが最初の毒性の強い化学兵器の実戦使用であるとされている。
この戦いでは5700本のボンベに詰められた150〜300tの塩素が放出され、フランス軍を局地的に壊乱状態に陥れた。イギリス軍も同年9月には塩素ガスを使用した。同年12月にはドイツ軍がホスゲンガスを同様に使用し始め、改良型のジホスゲンも使われるようになった。これらは風向きを考慮に入れ、相手陣地の風上から燻すような方法が取られた。
これらのガスを吸引した兵士は、高濃度のガスに晒されればもちろん全身の組織を塩素による化学反応で破壊されて死亡した訳だが、低濃度でも呼吸器官に甚大な被害を受け、死亡しないまでも、呼吸困難に陥って長い間症状に苦しむ事から、非人道的な兵器として恐れられた。
ドイツの化学工業
当初早く終わると考えられていた、第1次世界大戦が1914年から1918年の5年間におよんで長引いた理由の1つが、ドイツのすすんだ化学工業力にあった。戦争に必要な火薬や爆薬には、窒素が必要である。当時火薬はチリから輸入する硝石 (NaNO3 硝酸ナトリウム)に含まれる、窒素を原料にしてつくられていた。
当時優位にあった、イギリスの海軍力は大西洋を制圧、海上封鎖した。このため、ドイツはチリ硝石を輸入できす、やがて弾薬は底をつくはずであったが、弾薬に不足することなく戦い続けることができたのは、空気中の窒素からアンモニアをつくる「ハーバー・ボッシュ法」をすでに開発していたからである。
1912年、フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュは、鉄を主体とした触媒上で水素と窒素を400 - 600°C、200 - 1000atmの超臨界流体状態で直接反応させ、N2 + 3H2 → 2NH3 の反応によってアンモニアを生産する「ハーバー・ボッシュ法」を完成させていたのだ。
1914年、第1次世界大戦が始まると、ハーバーはさらに毒ガスの開発に携わる。そればかりか、戦場で陣頭指揮を執った。自身も科学者であった妻クララは、夫が恐ろしい殺人兵器の開発に携わることに反対した。そして、初めてそれが実戦で使われた(1915年4月22日)のちに、クララは抗議の自殺をする。
戦争と科学者
ハーバーの化学的な業績は大変素晴らしいものであるが、このために戦争は長引き多くの命を失ったことを考えると、はたして彼の行ったことは良かったのかどうか疑問が残る。このため、終戦後は激しい非難にさらされ、戦争犯罪人の候補に挙げられた。1918年にノーベル化学賞を受賞して名誉を回復することにはなったが...。
戦争の悲惨さは、戦後につくられた映画を見ると伝わってくる。第1次世界大戦を舞台にした映画には「西部戦線異状なし」や「ジョニーは戦場に行った」など映画賞を受賞した作品も多い。
開戦時にイギリス海軍大臣だったウィンストン・チャーチルは、「第一次世界大戦以降、戦場から騎士道精神が失われ、戦場は単なる大量殺戮の場と化した」と評す。
ハーバーボッシュ法
ハーバー・ボッシュ法とは、鉄を主体とした触媒上で水素と窒素を400 - 600°C、200 - 1000atmの超臨界流体状態で直接反応させ、N2 + 3H2 → 2NH3 の反応によってアンモニアを生産する方法である。
窒素を含む化合物を生産する際の最も基本となる過程であり、化学工業にとって極めて重要な手法である。
現代の工業化学では、メタンから不均一系触媒を使って単離された水素と大気中の窒素とを反応させてアンモニアを合成している。
水素の合成
まず、メタンを精製して触媒を失活させる硫黄分を除去する。約800°C、3MPaで精製したメタンを酸化ニッケル(II)を触媒として水蒸気と反応させる。これは水蒸気改質と呼ばれる。
CH4 + H2O → CO + 3H2
不純物除去
水素量に対応する化学量論量の窒素を含有するだけの空気を加えて、水蒸気改質で残存したメタンを酸化させる。水素の一部も燃焼する。いずれも大きな発熱反応であり、発生した熱(およそ1000°Cに達する)を利用して水蒸気改質に用いる高温高圧の水蒸気を得る。
2CH4 + O2 → 2CO + 4H2
CH4 + 2O2 → CO2 + 2H2O
2H2 + O2 → 2H2O
高転化率と高い反応速度を両立するため、Fe-Cr系触媒とCu-Zn系触媒を用いた二段階の水性ガスシフト反応によって、一酸化炭素と水蒸気から二酸化炭素と水素を得る。本反応は平衡反応であるため、濃度0.5%程度の一酸化炭素が残存する。
CO + H2O → CO2 + H2
炭酸カリウム水溶液により、二酸化炭素を除去する。生成した炭酸水素カリウムは再生塔で炭酸カリウムに再生される。
CO2 + K2CO3 + H2O → 2KHCO3
混合気体はメタン化炉へ送られ、ニッケル系の触媒を用いて、アンモニア合成反応で触媒毒になる一酸化炭素を10ppm以下までメタン化により除去する。
CO + 3H2 → CH4 + H2O
アンモニア合成
最後に二重促進鉄を触媒としてアンモニアを合成する。
N2(g) + 3H2(g) → 2NH3(g) + ΔHo ΔHo = −92.4 kJ mol-1
この反応は約20MPa、約500°Cで行う。触媒を通した後アンモニアは-33°C程度まで冷却され、液体の状態で排出し適当な平衡定数を維持する。未反応の水素と窒素は循環し再び触媒床に通される。
なお、尾崎、秋鹿らによりハーバー法よりも温和な条件でアンモニアを合成できるルテニウム触媒を用いた合成法が確立されている。
ハーバー・ボッシュ法の功罪
フリッツ・ハーバー、カール・ボッシュによるこの方法は、「水と石炭と空気とからパンを作る方法」とも言われた。小麦の育成には窒素分を含む肥料の十分な供給が不可欠で、やせた氷河地形で、土壌が未発達の土地が多いドイツでは、小麦の栽培は困難で、主要な穀物生産は硝石などの海外産窒素肥料の輸入によるか、やせた土壌に強いライ麦に頼る、あるいは穀物の代替品として新大陸産のジャガイモに頼らざるを得なかった。
本法によるアンモニア合成法の開発以降、生物体としてのヒトのバイオマスを従来よりもはるかに多い量で保障するだけの窒素化合物が世界中の農地生態系に供給され、世界の人口は急速に増加した。現在では地球の生態系において最大の窒素固定源となっている。
しかし、同時に爆薬の原料の硝酸を大量に製造、供給できるようになり、その後の戦争が長引く要因を作った。例として、この方法でドイツは、第一次世界大戦で使用した火薬の原料の窒素化合物の全てを国内で調達できた(火薬等、参照)。
さらに、農地生態系から直接間接双方の様々な形で、他の生態系に窒素化合物が大量に流出しており、地球全体の生態系への窒素化合物の過剰供給をも引き起こしている。この現象は、地球規模の環境破壊の一端を成しているのではないかとする懸念も生じている。
参考HP Wikipedia「ハーバー・ボッシュ法」「チリ硝石」「フリッツ・ハーバー」「化学兵器」・栄光なき天才たち「フリッツ・ハーバー」
![]() |
毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者 (朝日選書 834) 宮田 親平 朝日新聞社 このアイテムの詳細を見る |
![]() |
生物・化学兵器 (図解雑学) 井上 尚英 ナツメ社 このアイテムの詳細を見る |
��潟�<�潟��