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 復活したアホウドリ
 アホウドリは環境省のレッドリストでは、絶滅危惧II類(VU)になっている鳥である。1956年に天然記念物、1962年に特別天然記念物に指定、また種の保存法(1992)では、1993年に国内希少野生動植物種に指定されている。

 1949年には絶滅が宣言されたこともある。しかし、その2年後、鳥島南東端の燕崎で十数羽の繁殖が確認され、1971年に尖閣諸島南小島の個体群も再発見され、1988年には繁殖が確認されている。1981年からは当時の環境庁と東京都による繁殖地の環境改良事業、1992年からは環境庁によるデコイ(鳥模型)設置などにより、1999年4月には推定生息数が1,000羽を超えるまでに回復した。

 東邦大学の長谷川博教授の調査では、2017年ころには4,000羽に達する予想。ただ、鳥島は噴火の恐れがあり、山階鳥類研究所が2008年から5か年で、火山のない小笠原諸島の聟島に約50羽のひなを移住させ、新たな繁殖地を作る計画が進行中である。長谷川教授は「鳥島での増殖は極めて順調。将来、3か所で繁殖し、5,000羽を超せば絶滅の心配はなくなるだろう」と話す。(2008年2月2日 読売新聞)

 アホウドリの餌の謎
 アホウドリの仲間は、繁殖を行っている陸地から数百キロ以上も海上を飛翔し、餌となる魚やイカを探していることが知られている。しかし、アホウドリが実際どのように餌となる魚やイカを見つけ出しているのか、その現場が観察されたことはほとんどない。

 また、餌の魚種の中には、アホウドリの潜水能力では届かない深海に生息している種類も含まれており、どうやってこのような餌をとっているのか、今まで謎とされていた。

 今回、国立極地研究所の高橋晃周准教授らが、アホウドリの背中に小型カメラを取り付けて観察したところ、アホウドリウドリがシャチを追跡して、その食べ残しを餌にしているということがわかり、論文を米科学誌「プロスワン」に発表した。

 高橋さんは、南極に近いサウスジョージア諸島で、小型の「マユグロアホウドリ」に、小型カメラと、潜水深度や水温の記録計を付けて観察。アホウドリが仲間とともにシャチを約30分間追いかけ、潜水を繰り返していることを確認した。シャチが深海で取ってきて食べ残した魚が、海面に浮いたところなどを狙っていたとみられる。

 高橋さんは「餌のうち、シャチなどに頼る割合がどの程度なのか、今後の調査で全体像に迫りたい」と話している。(2009年10月10日  読売新聞)

 アホウドリ受難の歴史
 100年前には500万羽もいたアホウドリだが、19世紀も後半に入って、外国との貿易がひろくおこなわれるようになると、羽布団の材料になる羽毛に目をつけられ、繁殖地での大量捕殺がはじまった。

 からだが大きく、上質の羽毛をたくさん持っていたこと、地上では歩くのが遅くてすばやく飛び立つことができないこと、離れ小島に集まってたくさん繁殖することなどが、アホウドリにとって不幸のもとになった。

 1887(明治20)年になると、鳥島開拓をもくろんだ羽毛採取業者が大勢の作業員を島に住み込ませ、やがて羽毛をはこぶための軽便鉄道を敷くほどの組織的な乱獲が始まった。鳥島だけで少なくとも500万羽が殺され、尖閣諸島やその他の繁殖地でも同じような乱獲がおこなわれた。

 1930年、山階芳麿博士が鳥類学者としてはじめて鳥島をおとずれたときには、わずかに2,000羽ほどが見つかっただけであった。そして、その後も捕獲が続いたり、火山の噴火があったりして、1949年、アメリカのオースチン博士が調査をしたときは、1羽のアホウドリも発見できなかった。彼はアホウドリが地球上から絶滅してしまったと思った。

 1951年、鳥島南端の急斜面で、10羽前後のアホウドリが生き残っているのが、気象庁鳥島気象観測所の人に発見された。これが、当時、地球上における生きているアホウドリのすべてであった。

 再発見は1954年鳥学会に発表され、特別天然記念物、国際保護鳥、特殊鳥類の指定を受けるとともに手あつく保護されて、その数は少しずつ増えていく。発見から10年、生息数は40〜50羽を数えるまでになり、1962年、山階鳥類研究所の調査がはじまったが、火山活動が活発になったため、観測所は1965年秋に閉鎖され、鳥島は無人となり、アホウドリの保護、調査、研究は一時ストップした。

 無人島となって8年後の1973年、イギリスの研究者ティッケル博士が鳥島へ上陸、アホウドリが順調に増えていることを確認する。1977年には研究者の長谷川博氏が成鳥71羽とヒナ15羽を確認。以後は長谷川氏のほか、1990年代からは山階鳥類研究所の研究員たちが毎年鳥島へ行き、調査をおこなうようになった。

 アホウドリに本格的な保護の手がさしのべられるようになったのである。そして、1992年に推定総数約500羽、1999年には約1,000羽をこえるまで回復した。

 いっぽう、1971年、尖閣諸島の南小島でも70年ぶりに12羽のアホウドリが戻っているのが確認された。1992年、この島の集団は約15つがい、総数は約70〜80羽と推定されているが、その後は、領土問題等の関係で調査ができていない。
(Suntory よみがえれアホウドリ!) 

参考HP Wikipedia「アホウドリ」・国立極地研究所「マユグロアホウドリの捕食戦略 

50羽から5000羽へ―アホウドリの完全復活をめざして
長谷川 博
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アホウドリの島 (森の新聞)
長谷川 博
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