ダム問題って何だろう?
テレビでたびたび流れるダム建設問題。特に八ッ場(やんば)ダム(群馬県)と川辺川ダム(熊本県)は、前原国交相が中止を明言したことで何度もニュースが放映されている。いったい何が問題になのだろうか?
八ッ場ダム工事現場では、建築途中の高架道路が、まるで墓標のようにそびえ立つ。これを見ると、誰もが違和感を感じる。ここまで造ったのなら、最後まで完成させたほうがよいのではないだろうか?多数の国民がそう感じている。
朝日新聞社のアンケートでも、地元住人の7割が「中止に反対」つまり、ダムを完成させてほしいと望んでいる。中止に賛成はわずか1割だ。
八ッ場ダムの歴史は長い。1949年、台風などによる洪水対策として「利根川改訂改修計画」において利根川に10箇所のダムを建設する計画ができた。1965年には現在の地点にダム建設が決定された。しかし、水没する地元住民の反対運動が起きる。紆余曲折を経てようやく工事が開始されたところであった。
民主党のマニュフェストに「中止」は掲げてあったそうだが、つかわれるのは国民の血税である。前原国交相は、地元住民の生活補償事業は行うとしているが、ここまで費やした時間や予算が無駄にならないようにしてほしい。マニュフェストより、予算に無駄のない決断をしてほしい。
ここでは今回のダム問題と八ッ場ダムについて調べる。
全ダム見なおし
2009年9月18日、前原誠司国土交通相は全国に143ヶ所もある全ダム計画を順次見直していくとした。見直しに際しては、改正河川法に住民参加の理念が盛り込まれたことを念頭に、地方の住民や自治体の議会、首長などから反対意見が出ている事業を優先的に見直すとした。
そのうえで「完成間近なものについては継続するという判断も含む」との考えも示した。国交省は今年度、前原国交相が中止を明言した八ッ場(やんば)ダム(群馬県)と川辺川ダム(熊本県)を含め、全国で143のダム事業を実施しており、すべてが見直しの対象になるという。
2009年10月9日、国直轄ダムの今年度事業に関し、前原誠司国土交通相が表明した工事の新段階への移行凍結は、48ダムが対象とされたが、このうち既に本体工事中の17ダムは最終段階にあるため工事は進むという。残り31ダムのうち、今年度に新段階に進む計画があったサンルダム(北海道)など6ダムが凍結されることになる。
31ダム全体については来年度以降、どう事業を進めるかを今後検討し、来年度予算編成までに示すという。
ダム建設は(1)調査や地元説明(2)用地買収(3)生活再建工事(4)本体建設のために河川をバイパスさせる転流工工事(5)本体建設−−の5段階に大別される。
前原国交相は9日の閣議後会見で「本体工事が行われているものは止めない。本体工事に至っていない段階で、何らかの事業が行われているものは、新たな段階に移さない」と述べた。国交省によると、次の段階に移らない部分の事業は継続するという。
今後凍結が検討される31ダムには、八ッ場ダム(群馬県)と川辺川ダム(熊本県)も含まれるが、前原国交相は「生活再建事業については、継続することを私がお約束した」と明言した。(毎日新聞 2009年9月19日)
継続決議文「八ッ場ダム中止容認できない」
鳩山内閣が建設中止を表明している八ッ場ダム(長野原町)について、県町村会(会長・鈴木和雄みなかみ町長)は9日、国土交通省を訪れ、建設継続を求める同会の決議文を、前原誠司国交相に手渡した。決議文は「中止は住民の総意を覆し、地元の心情を踏みにじるもの」などと、ダム建設を強く求めている。
県町村会は、9月25日に臨時総会を開き、鳩山内閣の建設中止の方針について「再度、住民を不安の境地に立たすことは断じて容認できない」などと、全会一致で決議をし、前原国交相に手渡す方針を決めていた。
国交省には、会長の鈴木みなかみ町長のほか、八ッ場ダムの地元の高山欣也長野原町長、東吾妻町の関口博義副町長らが訪れ、地元の総意として決議文を手渡した。
一方、県議会産経土木委員会は9日、国交省の幹部職員を参考人として委員会出席を求めることを決めた。同委員会では、ダムの必要性や中止の理由について、国側からの情報開示を求めるべきだとの意見が相次いでいた。週明けに同省側に打診する。
ただ、県議会が15日に閉会の予定で、時間が限られ、鳩山内閣が政治主導を打ち出し、官僚の政治的な発言を禁止する方針を打ち出していることから、実現するかは不透明となっている。(毎日新聞 2009年10月10日)
八ッ場ダムとは何か?
八ッ場ダム(やんばダム)は利根川の主要な支流である吾妻川中流部、群馬県吾妻郡長野原町川原湯地先に建設が進められている多目的ダムである。2015年(平成27年)度の完成予定で、完成すれば神奈川県を除く関東1都5県の水がめとしては9番目のダムとなる。
形式は重力式コンクリートダムで高さは131.0m。国土交通省関東地方整備局が事業主体である。吾妻川流域の多目的ダム建設計画は、1949年(昭和24年)に経済安定本部の諮問機関である治水調査会の答申に基づき建設省によって手掛けられた「利根川改訂改修計画」において利根川に10箇所のダムを建設する利根川上流ダム群(後の「利根川水系8ダム」)計画に準拠しており、カスリーン台風級の水害から首都・東京及び利根川流域を守る為に1952年(昭和27年)に計画発表された。
当初は堤高115.0m、総貯水容量73,100,000トンのダムとして計画されていた。だが支流の白砂川や万座川から流入する強酸性の河水の為に吾妻川本流には当時の建設技術ではダム建設が出来ず、一旦計画は凍結された。
建設省は代替案として白砂川における「六合ダム計画」又は温川における「鳴瀬ダム計画」として吾妻川支流へのダム計画を進めていたが、両ダム計画とも貯水容量や水没物件の点で問題があったため計画は進捗しなかった。
しかし1965年(昭和40年)に品木ダム及び草津中和工場を中心とする中和事業・「吾妻川総合開発事業」によって吾妻川の水質が改善した事から1967年(昭和42年)現在の地点にダム建設を決定した。
この間首都圏の水需要増大に対応する為計画規模を拡大し、矢木沢ダム(利根川)・下久保ダム(神流川)に次ぐ規模の1億トン級のダムとして事業が発表された。だが計画発表以降、水没地域である長野原町において頑強なダム建設反対運動が起きた。
昭和40年代からの実施計画調査や地元住民の生活再建案調整を経て、1986年(昭和61年)、「八ッ場ダムの建設に関する基本計画」が2000年(平成12年)の事業工期として策定された。その後、2001年(平成13年)の第1回変更で工期が2010年(平成22年)に延長され、2004年(平成16年)の第2回変更で建設目的に流水の正常な機能維持が新たに追加されると同時に総事業費が2,110億円から4,600億円に増額修正された。(出典:Wikipedia)
参考HP Wikipedia「八ッ場ダム」・毎日新聞
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八ッ場ダムは止まるか―首都圏最後の巨大ダム計画 (岩波ブックレット) 岩波書店 このアイテムの詳細を見る |
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