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マヤ文明とは?
マヤ文明とは、メキシコ南東部、グアテマラ、ユカタン半島などいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明である。
紀元前2000年頃から紀元後300年の時期にマヤ文明は開花した。初期の古典期(A.D.300-900)にはティカル(Tikal)、カラクムル(Calakmul)などの大都市国家の君主が「優越王」として群小都市国家を従えて覇権を争った。「優越王」であるティカルとカラクムルの王は、群小都市国家の王の即位を後見したり、後継争いに介入することで勢力を維持した。各都市では、巨大な階段式基壇を伴うピラミッド神殿が築かれ、王朝の歴史を表す石碑(stelae)が盛んに刻まれた。
古典期後期(A.D.600-900)の終わり頃の人骨に栄養失調の傾向があったことが判明しているため、焼畑(ミルパ)農法や建造物に使用する漆喰を造るために、森林伐採を行い続けたため、地力の減少によって食糧不足や疫病の流行が起こり、それによる支配階層の権威の失墜と、数少ない資源の奪い合いによって戦争が激化したことが共倒れを招き、衰退に拍車をかけたと考えられている。
後古典期(A.D.900-1524)には、マヤパン(Mayapan)やコスメル島(Cozmel Island)が、カカオ豆やユカタン半島の塩などの交易で繁栄した。
統一国家を樹立することなく、各地の都市国家が合従連衡と興亡を繰り返し、16世紀、スペイン人の侵入を迎えた。1697年最も遅くまで自立を保っていたタヤサルが陥落、マヤ圏全域がスペイン領に併合された。
マヤ文明の特徴
マヤ文明の特徴として、以下のような点が挙げられる。
青銅器や鉄器などの金属器をもたなかった。生贄の儀式が盛んであったことはよく知られている。また、車輪の原理は、知られていたにもかかわらず実用化されなかった。牛や馬などの家畜も飼育しなかった。とうもろこしの栽培のほかにラモンの木の実などが主食だったという不思議な文明である。
数学が発達していて、4万種に及ぶマヤ文字を使用していた。高度な建築技術を使った遺跡がたくさん発見されている。極めて正確な暦を持っていた(火星や金星の軌道も計算していた)。
マヤの神秘の予言
マヤ文明では歴史は繰り返すという観念があり、異なる周期を持つ複数の暦が用いられていた。また、暦のなかには、一つの周期の終わりが滅亡に結び付くと考えられていたものもあったらしく、マヤ文明衰退の一因に、こうした終末観の影響を挙げる者もいる。ただし、衰退要因としては有力視されなくなってきているとも指摘されている。
マヤ文明で用いられていた暦の一つ、主に碑文などで用いられていた長期暦はある起点日からの日数で表わされており、その周期は13バクトゥン(187万2千日)であった。長期暦のグレゴリオ暦への換算は、様々な計算法が確立されているが、現在有力視されているのはGMT対照法である。
ニューエイジ思想などにおいてマヤの暦と2012年を結び付けることは、ホゼ・ アグエイアス(英:José Argüelles)の著書「マヤンファクター」によって、2012年12月21日に「新しい太陽の時代」が始まるとされたことで広まった。エイドリアン・ギルバートの著書「マヤの予言」の影響の強さを指摘する者もいる。日本では特に1999年の恐怖の大王に関連したブームの後に、次の終末論としてオカルト関係者がさかんにとりあげる題材になっている。
このテーマを広く知らしめる上で大きな影響力を持ったホゼ・アグエイアスは、様々な批判にさらされたが、自身の仮説が考古学におけるマヤと関係のない旨を『マヤンファクター』の序文に記している。その上で、自分の説は「銀河のマヤ」のものだと主張している。
マヤ文明の神話
マヤの神話はディエゴ・デ・ランダの焚書の影響などにより、現存する資料が少ない。しかしながら、現在残されている『ポポル・ヴフ』などからは、マヤの世界観が破滅と再生の周期を持っていたとされている(ただし、この説に否定的な論説も存在する)。
その世界観では、現在の世界は第5の時代にあたっており、先行していた4つの世界はいずれも何らかの要因で滅んだとされている(それぞれがどのような要因で滅んだかは、資料によって違いがある)。
それらの世界の周期は各13バクトゥンとされていた。こうした世界観はメソアメリカでは典型的なもので、アステカ人の神話にも見られる。アステカやトルテカの神話・宗教観との類似性については、マヤが影響を及ぼしたのか、それらが古典期のマヤの宗教観に上書きされたものなのか、諸説ある。
長期暦の現サイクルの始点である紀元前3114年には、世界はおろかメソアメリカ限定ですら、何らかの大規模な天災地変の痕跡を見出すことはできないため、この年代は歴史的な理由というよりも神話上の起源として想定されたものであると考えられている。この始点を設定したのは紀元前3、4世紀ごろの神官たちであったと推測する者もいる。
なお、『チラム・バラムの書』には中世ヨーロッパでのペスト流行、ナポレオン・ボナパルトの登場、第2次世界大戦など、世界史上の大事件が予言されていたと主張するオカルト関係者もいる。これについては、具体的な年代指定に欠ける文言を事後的にこじつけているだけに過ぎないとする懐疑的な反論があり、学術的にもそのような読み方は支持されていない。
他の事柄との関連
この年の5月20日に最大規模と呼ばれる金環食が起こり、この時太陽、地球、月、さらにこれに加えプレアデス星団までが正確に地球と一直線に並ぶという天文学的に稀な現象が発生すると主張する者もおり、その日が12月22日の滅亡に向かう契機と解釈するものもいる。また、フォトンベルトと関連付けるものもいる。
ほかに太陽活動の極大期が2012年頃に当たっており、太陽嵐が発生する可能性があることから、エイドリアン・ギルバートのように、これと関連付ける論者もいる。だが、これについては1957年にほぼ同程度の活動があった時も、特に人類滅亡には繋がらなかったとする反論が寄せられている。それに対して、地球の磁気圏で見つかった巨大な穴により、今回は大きな被害に結びつくと指摘するものもいる。
また、1999年に向けたブームがそうであったように、年代の明記されていない予言を2012年と結び付けようとする者たちもいる。例えば、ホピ族は独特の予言体系をもっていることで知られるが、終末論的な伝承を2012年と結び付けようとする動きがホピ族の一部にもあるという。しかしながら、こうした結び付け方については、オカルト雑誌『ムー』の記事においてさえ、否定的な見解が示された。ほかに、聖書、クルアーン、ミドラーシュ、易経などと関連付ける論者もいるようである。
なお、21世紀に予言者を自称する者には、人類の8割が滅亡する時期を2043年におくジュセリーノ・ダ・ルース、2012年に特に言及のないまま西暦3000年までの予言をしているジョー・マクモニーグルのように、2012年に人類が滅亡するという立場と一致しない予言をする者もいる。また、自称「未来人」のジョン・タイターは2036年から来たと主張していたが、彼によれば2015年に米ロをはじめとする主要国の核戦争が起こったという。
予言は何かの暗示か?
1999年のノストラダムスの予言のときもそうであったが、特に何が起きるという事はないかも知れない。しかし、表面上は何も変わっていないが、世界的な変革は必ず起こっていると思う。それが予言の真実だ。つまり100%ウソとは言えない面がある。
これは、人がさまざまな感受性を持っているからであって、感受性がなければ予言なんてするわけがないし、そもそも変化が起きても気が付きもしないであろう。
長く続く景気後退、低金利時代。世界的に見ても終わらない国どうしの対立、戦争。環境問題、地球温暖化。時代が新しい変化を必要としているのに、大多数の人は気づかずにいる。日本も自民党から民主党に目先を変えれば何かが変わると思っている人が大半であるが、果たしてそうだろうか?
2012年も、人類は滅亡することはないと思うが、何らかの変化が起きているのは確かであると思う。そのために私たちは何を準備すればよいのだろうか?
参考HP Wikipedia「マヤ文明」「マヤの予言」
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「新しい時間」の発見 甦るマヤの預言―人類はなぜ“偽りの時間”の中にいるのか ホゼ アグエイアス 風雲舎 このアイテムの詳細を見る |
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