センチュウ
センチュウ類には、人間の寄生虫をはじめ、人間の生活に関わりの深いものも多く、それらの研究が進められる一方、自由生活のものの研究は後回しになりがちであった。しかし、自由生活のものの方が遙かに種数が多く、その研究が進むにつれ、種類数はどんどん増加しているので、どれくらいの種数があるかははっきりとは言えない状況である。その最大限の見積もりは、なんと1億種というものがある。
これは、海底泥中のセンチュウ研究に於いて、サンプル中の既知種の割合から算定されたものである。これが本当であれば、昆虫の種数を大きく抜き去り、地球上の生物種の大半はセンチュウが占めていることになる。個体数も多く、土壌中の個体数は、地球上のバイオマスの15%を占めているともいわれている。
ところでヒトに寄生するセンチュウ類としてはギョウチュウやカイチュウが知られている。ギョウチュウとカイチュウの違いは何だろう?
ギョウチュウ
ギョウチュウは線形動物門、双線綱桿線虫亜綱カイチュウ目ギョウチュウ科に属するものの総称であり、動物に寄生する寄生虫である。
ヒトに寄生するギョウチュウは体長がオス2〜5mm、メス8〜13mm程度であり、乳白色でちりめんじゃこ状の形をしている。虫卵は卵型で直径40μm程度であり、通常の室内環境で数週間生存し感染性をもつ。
ヒトの盲腸に寄生し、肛門の括約筋が弛緩する睡眠中に産卵を肛門の周辺で行う。このときギョウチュウの活動や、産卵の際に分泌する粘着性物質によってかゆみが発生するため(無意識下で)掻き毟ることが多々あり、手などに付着した虫卵が撒き散らされることによって感染源や自己再感染の原因となる。虫卵は人間が摂取すると十二指腸で孵化し、盲腸で数週間ののち成虫となる。先進国においては乳児・児童とその親に感染者が多く、感染率は10〜20%程度とされている。
なお、このように直接に人間から人間に伝搬することが可能であるため、現在においても広く寄生が見られる。
カイチュウ
一方カイチュウ(回虫)とは、ヒトの小腸などに寄生する動物であるが、線形動物門、双線綱桿線虫亜綱カイチュウ目アニサキス科とカイチュウ科に属する
ギョウチュウとの違いは大きさだ。雌雄異体であり、雄は全長15〜30cm、雌は20〜35cmと、雌の方が大きい。環形動物のミミズに似た体型であるが回虫は線形動物であり、環形動物とは全く異なるので体節も環帯もなく、視細胞などの感覚器も失われており、体の先端に口と肛門があるだけで、体幹を腸が貫通する。生殖器は発達し、虫体の大部分を占める。成熟した雌は1日10万個から25万個もの卵を産む。
次に違うのは生活史である。カイチュウ卵は小腸内で産み落とされるが、そのまま孵化する事はなく、糞便と共に体外へ排出される。排出された卵は、気温が15℃くらいなら1ヶ月程度で成熟卵になり、経口感染によって口から胃に入る。虫卵に汚染された食物を食べたり、卵の付いた指が感染源となる場合が多い。卵殻が胃液で溶けると、外に出た子虫は小腸に移動する。
しかしそこで成虫になるのではなく、腸壁を食い破って体腔内へ出たり、或いは血管に侵入して、肝臓を経由して肺に達する。この頃には0.1cmくらいに成長している。数日以内に子虫は気管支を上がって口から飲み込まれて再び小腸へ戻り、成虫になる。子虫から成虫になるまでの期間は3ヶ月余りであり、寿命は2年から4年である。こうした複雑な体内回りをするので「回虫」の名がある。このような回りくどい感染経路をたどる理由ははっきりしていない。
カイチュウの撲滅
カイチュウは、かつて日本で寄生率が著しく高かった。これは人糞尿を肥料に用いていたと共に、それで栽培した野菜類を漬け物などとして生食いしていたのが大きな原因である。回虫卵は強い抵抗力を持ち、高濃度の食塩水中でも死なないので、食塩を大量に使用した漬け物でも感染は防げなかった。
第二次大戦後は化学肥料の普及が回虫撲滅の一端を担った。現在、化学肥料の多用は環境・人体に危険であるとして下肥を用いた自然食野菜が広まっているのるが、カイチュウに対する知識が忘れられたまま安易に使うのは危険である。
カイチュウ卵は熱に弱く、70℃では1秒で感染力を失う。従って野菜類は充分熱を通して食べれば安全である。有機栽培の生野菜を摂取するのであれば、下肥の加熱処理をしなければならない。
ヨハネス・フィビゲル
ヨハネス・フィビゲル(1867年〜1928年)はデンマークの病理学者。デンマーク中部オーフス県のシルケボア (Silkeborg) に生まれる。コペンハーゲン大学医学部を1890年に卒業後、ベルリンに留学し、ロベルト・コッホやベーリングについて細菌学を学ぶ。1900年、デンマークに戻りコペンハーゲン大学病理解剖学教授に就任、1926年には総長となった。ノーベル生理学医学賞を受賞したのも同年である。受賞理由は「寄生虫発ガン説に関する研究」である。
フィビゲルは1907年にネズミの胃癌を比較研究している際、線虫の一種 Spiroptera carcinoma を発見した。この線虫はネズミのえさとなっていたゴキブリを宿主として広く分布しているものであった。胃に異常が認められないネズミに線虫が寄生したゴキブリを与えると、高い確率で胃癌を発生することを確認した。フィビゲルは1913年、世界で最初に人工的にがんを作り出したことになる。ついでネコに寄生する条虫を用いて、ネズミに肝臓肉腫を起こすことにも成功した。
がんの発生原因は、当時、ウィルヒョーの反復刺激説が議論されており、フィビゲルの仕事はウィルヒョー説の有力な証拠とされた。しかし1952年アメリカのヒッチコックとベルは、ビタミンA欠乏症のラットに線虫が感染した場合にフィビゲルの報告したような病変がおこることを報告し、さらにフィビゲルの診断基準に問題があり、フィビゲルが使った標本を見直しても、ヒッチコックら自身の実験の標本でも、悪性腫瘍の像はないことを証明した。
がんの発生原因は多様であり、現在、フィビゲルがノーベル賞を受賞した寄生虫発癌説は、誤りであったと考えられている。ヨハネス・フィビゲル(Johannes Andreas Grib Fibiger)、1928年1月30日没、享年60歳。
ノーベル賞をめぐる諸問題
ノーベル賞の受賞や、受賞者については、いつでも正しいものである必要はないと思う。フィビゲルが世界で始めて、人工的にがんを発生させた事はすばらしいし、寄生虫ががんの一因になることもあるであろう。
ノーベル賞の創設者、ノーベル自身もダイナマイトという武器を作った“死の商人”である。すべてが正しいとはとても言えない。
ノーベル賞の面白いところは、科学技術の発展がわかることもさることながら、当時の時代を反映したものであるということ、ノーベル賞の研究内容や研究者の人格が必ずしも理想的でないところにむしろ面白さを感じる。
今回のヨハネス・フィビゲルの話では、なぜ「寄生虫発ガン説」が正しいと考えられたのか。またどうしてそれが間違いとわかったのかが興味深い。そのあたりを調べてみた。
「寄生虫発がん説」
フィビゲルはコペンハーゲン大学で学んだ後、ベルリンに留学し、ロベルト・コッホ、エミール・アドルフ・フォン・ベーリング等の下で細菌学を学び、1900年にデンマークに戻る。
細菌学をコッホ、ベーリングと云った先駆者の下で学んだ事は、良くも悪くも、フィビゲルの研究の方向性を決めてしまったのかもしれない。
1907年、ネズミを用いて結核の研究を行っている最中に、偶々ネズミに胃癌を発見する。ネズミが食べたゴキブリに寄生していたセンチュウ類(Spiroptera carcinoma)を確認し、これが癌の原因ではないかと考えた。
実は、ネズミはビタミンAの欠乏症で、それが癌(腫瘍)の原因だったのだが、当時、発癌機構の仮説として、ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョーの「反復刺激説」が注目されていた。そして、このセンチュウの存在こそが、反復刺激の原因と考え、フィビゲルは比較臨床試験といえるものを世界に先駆けて行った。
そして、その結果、ネズミに胃癌を引き起こす事に成功し、更に他の実験動物でも成功した。こうして1913年、世界で初めて、人工的に癌を引き起こす事に成功した事を発表する。かくて、フィビゲルは、ノーベル賞を受賞する事になる。
「化学物質発がん説」
フィビゲルの1913年の発表から少し遅れた、1915年、山極勝三郎は、ウサギの耳にコールタールを塗り続ける事で、癌を引き起こす事に成功し、コールタールに何らかの発癌性のあることを発表した。実は、イギリスの煙突掃除夫の腫瘍の発生率の高さに目を付けた実験であったのだが、世界の研究者の評価はフィビゲルに軍配を上げた。
だがその後、1952年、ヒッチコックとベルがフィビゲルの実験を追試し、癌の発生原因はセンチュウだけではなく、ビタミンA欠乏症との複合的なものである事を解明した。
実は1920年代、フィビゲルの寄生虫説と、山極の化学物質説のどちらが正しいか、かなり激しい論争が行われており、スウェーデンのノーベル賞選考委員会もかなり迷っていたらしい。
だが、ノーベル賞選考委員会は人種差別の壁をこの時も乗り越える事はできなかった。当時の選考委員だったフォルケ・ヘンシェンは、「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」と云う発言が委員会内であったとの発言を残している。
人種差別と全体主義
また、それ以前にも、野口英世のノーベル賞受賞も何度も先送りされてきている。野口の場合、黄熱病の原因は病原菌ではなくウィルスであり、当時の技術水準では発見は不可能だった。その意味では、野口がノーベル賞を受賞しなかった事は良かったのかもしれないが、野口の業績は、黄熱病が細菌によるものと云う間違いを明らかにした事(それも自らの命をもって)で、最終的な「ウィルスの発見」へと繋がるものであった。
他にも、鈴木梅太郎や長岡半太郎、北里柴三郎、梅毒の薬「サルバルサン」を作った秦佐八郎、黄疸出血性レプトスピラ病(ワイル病)の病原体を発見した稲田龍吉、井戸泰、強力磁石鋼を発明した本多光太郎等、挙げるときりがない程、ノーベル賞を逃した日本人研究者がいる。
フィビゲルの受賞は、有色人種差別に根ざしたものと考えている人もいる。しかし、一方で、日本国内での評価は如何だったろうかとも考える。山極勝三郎の名前を知る人が何人いるだろうか?
あるいは、福井謙一がノーベル賞を受賞した時の、「その人誰?」と云う国内の反応や、江崎玲央奈がエサキ・ダイオードを発明した時、日本物理学会は全く評価していなかった事、あるいは、白川英樹のポリアセチレンを評価したのはアラン・マクダイアミッドだったこと、実は、日本の学会や日本人社会は、全体主義化しており、個人の業績評価が苦手だ...という意見もある。(出典:猫又号のブログ「ヨハネス・フィビゲル」)
参考HP Wikipedia「ギョウチュウ」「カイチュウ」「ヨハネス・フィビゲル」・猫又号のブログ「ヨハネス・フィビゲル」
参考文献 馬場錬成「ノーベル賞の100年」(中央公論新社:2002)・朝日新聞社「100人の20世紀」(朝日新聞出版:2001)・科学朝日編集部「ノーベル賞の光と陰」(朝日新聞出版:1987)
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